ダルモマイケル君(岐阜・加茂農林高校3年)は、地元・岐阜の干し柿を広く知ってもらうため、映像番組の作成やイベント開催など活動してきた。7歳でフィリピンから来日してから地元の人々に見守られ成長できたという。「その恩返しがしたい」という思いが、ダルモ君を突き動かした。

小学校で干し柿の魅力を発表

美濃加茂市は、「人の笑顔」と「緑豊かな自然」が魅力

――子どもの頃はフィリピンに住んでいたんですよね。

7歳になるまでフィリピンで祖母と過ごし、父母は日本へ出稼ぎに行っていました。父母と離れて過ごしていたためか、自分の気持ちを表現できない子どもになっていました。

しかし、来日して、岐阜県美濃加茂市で暮らすようになり、私は変わりました。学校の先生や気軽に話しかけてくれる地域の方々のおかげで、心を開き、積極的に自分の気持ちを表現できるようになったのです。

――それで、地域の方への恩返しを活動のテーマにしたんですね。

はい。「私を育ててくれた美濃加茂市に恩返しがしたい」と思うようになりました。中学校では、市のイベントのボランティアに積極的に参加し、裏方や司会を経験しながら、美濃加茂市についてとことんリサーチをしました。

そこで、特産品の堂上蜂屋柿の存在を知りました。堂上蜂屋柿は、枝1本に1個の摘果で大きく育てた下記を天日干しして作る干し柿。農家の高齢化や担い手不足が問題になっています。多くの人にこの干し柿を知ってもらうことで地域に貢献したいと思いつきました。

学外のフィールドでインタビュー

――具体的にどんな活動をしてきたのですか?

堂上蜂屋柿の干し柿をピーアールする活動を高校1年生から始めました。初めに現状をしっかりと把握するために、干し柿農家や農協、県外の干し柿農家へ取材をしてきました。 

その上で、蜂屋柿の栽培や加工の流れ、高齢化の問題などを紹介する映像番組を制作しました。そのほかにも干し柿を広く知ってもらうためにイベントを開催したり、ツイッターでの投稿活動をしたりしてきました。

例えば、堂上蜂屋柿の廃品である柿渋を利用したイルミネーションイベントを企画しました。「人の笑顔」と「緑豊かな自然」をキーワードに、竹と和紙を使った「パロル」という星型のイルミネーションを作りました。パロルはフィリピンの伝統的なクリスマス飾りです。地元産の竹で星形を作り、柿渋で染めた美濃和紙を張って、LEDを入れました。3回のワークショップを開催した後、地域住民に95個のパロルを作ってもらいました。

「見返してやりたい」という反骨精神

――印象に残っている活動は?

富山県の干し柿農家の取材です。初対面なのにも関わらず、干し柿栽培のことをやさしく教えてくれました。人生初めての旅だったのですが、いろんなことが刺激になりましたし、その夜に顧問から「マイケル君はすべてをかける価値がある」と言ってくれて、その日から一生懸命に取り組めるようになりました。

――これまでの活動で大変だったことは?

一番苦しかったのは、周りの批判があったことです。クラスでは笑いのネタにされ、家に帰れば父に「やる意味はない」と怒られる日々で、何度もスランプに陥りました。

――どうやって乗り越えたの?

ここまでひどいことを言われると「見返してやりたい」と反骨精神に火が付き、より一層活動に没頭しました。そして、活動によって知名度も上がり、実績もできてきたので、クラスの人や、父親の意見を変えることができました。

美濃加茂市小学校でのワークショップ

やらないで後悔するより、やって後悔すべき

――この活動を通して変わったことは?

「意見を貫き通す力」と「意見を他の人に伝える力」が身につきました。当初はバカにされて笑われましたが、それでも「美濃加茂市に恩返しをしたい」という思いを、反骨精神とともに燃やしながら貫き通すことができました。また、プレゼンテーションを通じて、多くの人に思いを語る力を身に着けることができました。

――高校生にメッセージをお願いします。

「一生懸命がかっこいい」。これだけは言えます! 高校生は周りの環境に合わせて行動してしまいがちですが、「やらないで後悔するより、やって後悔」したほうがいいです。僕自身、活動当初は日本一の称号(編集部注:ボランティア活動に励む高校生を表彰する「ボランティアスピリットアワード」(ブルデンシャル生命など主催)で最高賞の文部科学大臣賞を受賞)をいただけるなんて思っていなくて、ただ「美濃加茂市に恩返しがしたい」その一心で活動していました。自分の譲れないものを見つけてほしいです。