2013年4月29日の織田記念国際陸上(広島)男子100メートルで、桐生祥秀(京都・洛南3年=当時)が日本歴代2位の10秒01をマークした

陸上の男子100メートルで日本選手として初めて10秒の壁を破り、9秒98(追い風1.8メートル)の記録を出した桐生祥秀(東洋大4年)。短距離を始めたのは中学1年から。洛南高校3年生の時には当時の日本歴代2位となる10秒01を記録。だが、高校の部活では、特別扱いをされず、ほかの部員と同じように基礎練習を続ける日々だった。(文・写真 白井邦彦)

故障に悩んだ中学時代

桐生が短距離を始めたのは滋賀・彦根南中学1年生から。箱根駅伝を経験した億田明彦先生の下、学校近くの上り坂で負荷をかけて走ることで、スタートダッシュの力強さを身に付けた。下り坂ではスピードを殺さずにリラックスして走る感覚を体に染み込ませた。その結果、中学1年時に12秒台だったタイムは、中学2年の春には11秒25に。その後も上り調子だったが、中学3年時は故障に悩まされた。結果が残せず、レースに勝ちたい思いを募らせた。

高校では特別扱いなし、皆とグラウンド整備

高校入学後は、中学で学んだ走り方を意識しながら黙々と練習を続けた。インターハイ総合優勝を目標に掲げる部において、いくら才能があっても特別扱いはない。陸上部の一員として仲間と同じように基礎練習を繰り返し、皆と一緒にグラウンド整備をした。毎朝5時50分の電車で片道90分かけて通学。特別な才能は持っているが、特別扱いされない環境で、「0.01秒でも速く走りたい」と自分を磨いてきた。

高校2年のインターハイの悔しさ

高校2年生だった2012年10月5日、国体の陸上少年男子100メートルで10秒21の高校新、ジュニア日本新記録を達成した。だが、桐生は、タイムよりも1位にこだわっていた。理由は4位に終わった2カ月前の全国高校総体(インターハイ)の悔しさにある。「インターハイの決勝では隣のレーンに(優勝した)大瀬戸一馬選手(福岡・小倉東3年=当時)がいた。それを意識して自分の走りができず……。国体では、とにかく優勝したかった」。国体決勝のゴール後には「勝てたことがうれしくて」普段は見せないガッツポーズも出た。インターハイの悔しさを晴らす納得の走りだった。

高校3年春に10秒01もタイムよりチーム

高校3年になった13年4月29日の織田記念国際陸上(広島)男子100メートルの予選で、日本歴代2位の10秒01をマークした。決勝では夢の9秒台が出るかと沸き立つ取材陣に対し、「決勝は、タイムよりもまず優勝したい」と語った。大記録のすぐ後でも、一人冷静に決勝を見据えていた。「1本だけ速くても全国制覇できない」。そこでも、前年インターハイの悔しい思いが、彼の中には刻まれていたのだ。 迎えた決勝では、ロンドン五輪代表の山懸亮太(慶応大=当時)らを抑えて優勝。追い風参考ながら10秒03の好タイムで有言実行を果たした。

2013年4月29日の織田記念国際陸上(広島)男子100メートルで、桐生祥秀(京都・洛南3年=当時)が日本歴代2位の10秒01をマークした

洛南の柴田博之監督は当時、「正確な動作を長く継続できる。特に60メートル以降の減速率が低い」と桐生の強みを話していた。背景には、決して楽しいとはいえない反復練習を、部員同士で続けてきた日々がある。0.01秒を追い求めながらも、「1位になった瞬間が一番うれしい」と話していたのは、チームの一員という意識が高いからだろう。偉大な記録を樹立してなお、おごらず、ひたむきに走り続けていた。=高校生新聞2012年11月号、2013年6月号から再構成