長期間拘束、政府に批判
獄中でノーベル平和賞を受賞した中国の民主活動家、劉暁波(リウシアオポー)氏が7月13日、肝臓がんによる多臓器不全のため遼寧省瀋陽市の病院で死去した。61歳だった。中国における民主化運動の象徴的な存在で、中国政府は劉氏を長期間拘束、末期がんと診断された後は病院に移したが、当局の管理下で懲役刑の執行が続いていた。
劉氏の死去を受けて、「自由への偉大な闘士だった」(マクロン仏大統領)とその生涯をたたえ、「勇気ある闘士の死を悲しんでいる」(メルケル独首相)とその死を悼む声が次々に寄せられた。同時に、欧米諸国や人権擁護団体からは、劉氏を長期間拘束し容体悪化後も自由に治療を受けることを認めなかったとして中国政府への批判が相次いだ。
一党独裁への批判続け
1955年に吉林省で生まれた劉氏は89年の天安門事件に至る民主化運動を指導し、投獄された。出所後も「出国すれば影響力が低下する」として北京にとどまり、言論を武器に共産党批判を続けてきた。2008年12月、共産党の一党独裁体制廃止などを訴えた「〇八憲章」を起草したとして拘束され10年2月に国家政権転覆扇動罪で懲役11年の実刑判決が確定した。
服役中の同年12月、中国で基本的人権のために非暴力的な手段で闘ってきたことが評価され、国内に住む中国人として初めてノーベル平和賞が贈られた。だが、授賞式には出席できず、妻の劉霞(リウシア)さんの代理出席も認められなかった。
劉霞さんも法的な根拠がないまま長期間軟禁され、その間に相次いで家族が他界したことで精神状態が悪化しており、国際社会からは劉霞さんの解放や出国を求める声が高まっている。