けいこに励む斉藤拓仁(学校の道場で)

8月の全国高校総体(インターハイ)剣道男子個人で初優勝を果たした斉藤拓仁(神奈川・東海大相模3年)。栄冠をつかむまでの約1年間は思うような結果を残せず、苦しんだ。長いスランプを乗り越える原動力になったのは、顧問の小林康介監督や両親など、周囲の人たちの支えだったという。(文・写真 小野哲史)

勝てない時期が続く

昨年のインターハイ団体で東海大相模は史上最高の成績となる3位入賞。その大会で先鋒(せんぽう)としてチームを勢いづけたのが斉藤だった。しかし、新チームが始動した昨秋以降、試合で勝てないことが続いた。

斉藤は「団体3位という結果に、どこかであぐらをかいていたのかもしれません」と語り、小林監督も「負けたらどうしようという気持ちから思い切って打っていけなくなっていた」とスランプを分析する。

斉藤の支えになったのが、小林監督の「今は勝てなくても諦めずにやっていれば、必ず良い流れが来るから」という言葉や、応援のために試合会場に足を運び、日々の生活で気遣ってくれる両親の存在だった。

「精神的に苦しかったので、そうしたことがありがたかったです」と、斉藤は振り返る。

勝ち星重ねて自信深める

今年5月のインターハイ県予選は「自分にとっては最後の大会。勝つことよりも剣道を楽しもう」と開き直れたことで、全国への出場権を手にできたという。

ただ、斉藤はそこで完全に自信を取り戻したわけではない。調子自体は依然として不安定だった。それでも、団体でのインターハイ出場を逃した仲間の思いも背負い、「悔いを残したくない」との一心で大会に入っていった。

インターハイでは、とにかく「自分の技を出すことに集中した」(斉藤)。一戦勝つごとに自信を深め、延長にもつれ込む接戦となった準々決勝を制すると、決勝でも優勝候補の相手に競り勝った。

積極的に相手に飛び込んでいく、斉藤本来の思い切りの良さを取り戻し、初めてつかんだ日本一のタイトル。結果に満足し不振に陥った経験があるからこそ、斉藤はこれからもたゆまぬ気持ちで厳しいけいこを自らに課していく。

 
さいとう・たくと
1997年10月21日、神奈川県生まれ。神奈川・神明中卒。兄の影響を受け、4歳から剣道を始める。中学時代は関東大会県予選での個人優勝が最高で、昨年のインターハイが初の全国大会出場。道場の先輩でもある小林監督に憧れて東海大相模に進学した。177センチ、80キロ。