青年海外協力隊ストーリー スリランカ編 協力・JICA(国際協力機構)

12月23日、スリランカで初の野球専用グラウンドがオープンする。青年海外協力隊員として、草の根の交流を続けて現地で野球を広め、球場建設にも尽力した渡辺泰眞さんに話を聞いた。

幼いころから野球一筋だったという渡辺さん。高校・大学でも野球部に所属し、卒業後、大学病院に勤務する傍ら、医学部の野球部の監督を務めた。

やがて、「野球を通じて世界とつながりたい」という思いが強くなり、野球部監督を続けながら病院の職を辞し、メジャーリーグ情報を発信する国内ウェブサイトの編集や翻訳に携わるようになった。28歳の時、街頭で青年海外協力隊募集の広告を見て、「もっと世界につながれるという直感を信じて、応募しました」。

2010年3月、スリランカに赴任。同国では、バットとボールを使うクリケットというスポーツが盛んな一方、野球はマイナースポーツで、専用の球場もない。そんな中、野球を指導し、広めるのが渡辺さんの仕事だった。山奥の小中学校まで8時間もの距離をバスに揺られて出かけ、生徒の自宅に1週間寝泊まりして、学校のグラウンドで野球を教える。同時に、大学生や高校生のナショナルチームの監督も務めた。日本で行われた大会に監督として同行し、日本の高校生らとの交流試合も積極的に行った。「スリランカの高校生にとって、日本人選手と触れ合うことが良い刺激になっていると実感しました」

指導の合間を縫って、野球専用球場の建設にも奔走した。実現の見込みがないまま、広い土地を持っている人やスポンサーになってくれそうな人がいると聞くと、資料を作って会いに出かけた。ちょうどそのころ、スリランカと日本の国交樹立60周年を機に、日本の外務省がスリランカの草の根活動に資金援助を行うことになった。数ある候補の中から、渡辺さんの約1年にわたる地道な活動が認められ、念願の球場建設につながったという。2013年1月、任期を終えて帰国する。「今後も、アジアのスポーツ振興に関わり続けたい」と渡辺さんは話す。(山口佳子)