バレーボールの全日本高校選手権(春高バレー)女子決勝で誠英(山口)を制し、24年ぶり四度目の優勝を飾った古川学園(宮城)。キャプテン・熊谷仁衣奈(3年)がチームをけん引した。春高バレーは、特に同じセンターコートに立つ3年生たちとって、昨季の悔しさを晴らす舞台だった。ようやくつかんだ日本一の陰には、チーム1人1人の個性を見極めながら時に厳しく、時に優しく接し、「決めてくれ」とばかりにトスを託した熊谷の努力があった。(文・田中夕子、写真・中村博之)
センターコートは憧れの場所。でも1年前、そこで敗れるのは何より悔しいと熊谷は思い知った。
「自分が勝ちたい、勝ちたいと先走ってしまって、アロン(タピア・アロンドラ3年)と(阿部)明音(3年)にトスが偏ってしまった。セッターの自分が攻撃を生かしきれずに負けてしまったので、絶対春高で優勝するためにこの1年は必死でやる。『来年絶対優勝してね』と言ってくれた先輩たちの分も、絶対に勝つんだ、という思いで臨んだ1年でした」
「このままじゃ、勝てない」
コートの中で最もボールに触る「セッター」というポジションで、キャプテンも務める。もともと真面目で責任感も強い熊谷だが、3年生になってからの1年間はとにかくひたすら、誰よりも練習してきた。
全体練習後にアタッカーと1本1本、トスの高さやタイミングを確認しながらコンビ練習を繰り返す。練習でできることしか試合ではできない、とわかっていたからこそ、誰よりもボールに触り、細かなこともおろそかにしなかった。
だが、勝負の世界は、どれほど努力してもすぐに成果が出るわけではない。熊谷を含め、昨年の春高を経験したメンバーが多く残ったが、昨夏のインターハイは頂点に立つことができなかった。
「このままじゃ、春高も勝てない」
あいさつ、ゴミ拾いも抜かりなく
心を鬼にして、熊谷は練習中だけでなく日頃の生活から徹底した。
「学校でのあいさつはもちろん、ゴミが落ちていたら必ず拾う。靴はそろえる。小さいことかもしれないですけど、後輩からすれば中学の頃にはそこまで厳しく言われていないことも『そんなじゃダメ』と言い続けてきました。正直、『ここまでやる?』と思った人もいたかもしれないけれど、日本一になるためには少しのゆるみもないように。毎日欠かさずミーティングをして、体育館で練習する時だけでなく、日頃から周りを引き締めるのが自分の役割だと思ってやってきました」
とはいえ、厳しく接するだけでは「怖い」と思われて距離を置かれてしまうかもしれない。個々がバラバラになることなく、チームとして1つになれるように。厳しいだけでなく、フォローも忘れなかった。
「すごくいいプレーをしてもちょっとしか褒めずに終わっていたこともあったんです。でも日頃から観察して接するうち、この子はもっと褒めたほうがいいな、と思えばちゃんと褒める。小さいことですけど、自分も先輩からかけられてうれしい言葉がたくさんあったので、後輩たちにも同じように、言われてうれしい言葉をかけてあげよう、と思っていました」
ドミニカ出身の「相棒」と絆深め
全国制覇を目指す古川学園には、宮城県内や東北のみならず、全国から選手も集まる。加えて、熊谷と同じ代にはドミニカ共和国からの留学生であるタピアもいた。身長196センチとずばぬけた高さを持つが、入学当初はバレーボールのレベルや考え方も周囲の選手とは異なり、日本語もほとんどしゃべれなかった。ホームシックになったこともある。
だが、3年間を共に過ごす仲間として、セッターとアタッカーとして信頼関係を築くことができなければ目指す優勝などできるはずがない。熊谷もタピアとコミュニケーションを取ろうと努めた。同様にできるだけ周囲の選手たちと関係を深めるべく、岡崎典生監督からバレーボールの技術指導を受けるだけでなく、コツコツ努力を重ねるタピア。その姿を見続けてきたのが熊谷だった。
「頑張って日本語を覚えようとしている姿や、いろんなことを教わるアロンの姿に回りも押された。アロンがいるからこそ私たち3年生がいるんだ、と思えたし、一番成長したアロンと一緒に絶対日本一になるんだ、と強い気持ちを持って春高に臨むことができました」
「仲間を信じる心」で逆転優勝
誠英との決勝戦は、2セットを取られてからの逆転勝ち。エースにトスが偏る悪い癖も出たが、試合の中で修正することができたのは「この仲間を信じる」という強い気持ちがあったから。優勝を決めた瞬間、「考えるより先に涙があふれた」というように、熊谷はコートで泣き崩れた。重ねた努力の日々をかみしめながら、最後は笑顔で言った。
「本当に、本当にうれしい。こうやれば日本一になれる、という姿を見せられました」
ようやく手にした日本一。金メダルが格別の光を放っていた。
- くまがい・にいな 2005年2月17日、秋田県生まれ。仙北中出身。小学1年からバレーボールを始め、中学時代には秋田選抜としてJOC杯にも出場。22年にはU20日本代表に選出され、アジアU20選手権にも出場した。165センチ、58キロ。