日常会話でよく使い、そして耳にする「かわいそう」という言葉。私はあまり好きではありません。それには、私の家庭環境が関係しています。(高校生記者・Wisteria=2年)

「かわいそう」=「自分じゃなくてよかった」?

みなさんは「かわいそう」という言葉について、どう思いますか?

正直に言ってしまうと、私はこの言葉があまり好きではありません。なぜなら、発言者の考えを他人に押しつけていたり、「自分じゃなくてよかった」という気持ちや、相手を見下すような考えがあるように感じてしまうからです。

離婚、母子家庭…「かわいそう」と言われてきた

両親は私が幼い頃に離婚し、私は母子家庭で育ちました。「幼い頃に親が離婚した」「母子家庭で育った」。ただそれだけで、他人から「かわいそう」とよく言われてきました。

母と神社にお参りに

しかし私は「母子家庭で育った」からといって、つらいとか、自分を不幸だとか、そのように思ったことや感じたことはありません。むしろ私は毎日楽しく、笑顔で過ごしていますし、幸せだと胸を張って言えます。

運動会、入学式、卒業式などの学校行事にも、母は必ず来てくれましたし、寂しいと思ったこともありません。

それなのに、他人に「かわいそう」と言われてしまうと、その度に少しだけ自分が惨めに感じてしまいます。そして「今の生活が充実していて楽しい、幸せだ」という思い、考えが、否定されているかのように感じてしまうのです。

中学の卒業式で。母に撮ってもらった

本当につらい人には言えない言葉

高校1年生のとき、SNS上で学校の先輩にこの思いを伝えたことがあります。「『かわいそう』という人はただ同情するだけで、言った相手に対して手を差し伸べることは少ないこと」「本当につらい人には『かわいそう』なんて絶対に言えないこと」の2つについて、先輩と話しました。

それを通して、やはり「かわいそう」は人を傷つけてしまう言葉なのだなと思いました。そして「かわいそう」に、否定的な意見を持っているのは私だけではないと分かり、少し安心感を覚えました。

日常会話の中でよく使ってしまいがちな「かわいそう」。そこで使うのは本当に適切なのでしょうか。他人を惨めな思いにさせていませんか? 自分の考えを他人に押しつけ、相手の思いを否定していませんか? 「かわいそう」と言う前に、少し立ち止まってみてほしいです。