コンビニのおにぎりや弁当などでよく見かけるサケ。今では安く食べられる「庶民の味方」だが、一昔前までは今より手に入りにくい高級魚だったそうだ。庶民派サケを支えているのは、輸入品。中でも地球の反対側に位置するチリからが多くを占める。実は、チリが「サケ大国」になった陰には、日本の国際協力があった。
サケはそもそも北半球に生息する魚だ。もともと、南米チリにサケは生息すらしていなかった。海岸の広がるチリ南部は農業に適した土地もなく、貧しい漁民が多かった。チリ政府は漁民の生活を豊かにするため、地形や気候を生かしてサケ産業を根付かせたいと考える。
1969年、JICAの前身、海外技術協力事業団(OTCA)の研修でチリの水産技術者が北海道を訪れた。1972年には、日本の専門家がチリに派遣された。2万㌔も離れた日本から卵を飛行機で運び、チリで卵からかえして川に流す。海で成長し母川に戻ったサケを捕ろうと考えたのだが、なかなか戻ってこなかった。それでも日本の専門家たちは諦めず、やがて、川に放さず人工的に育てる海面養殖に方向転換。養殖に成功した後もエサの開発や病気対策など、日本の技術協力は続いた。日本企業の営業マンも、日本市場にチリ産サケを売り込むなど力を尽くした。
今やチリのサケ養殖業は世界で1、2位を争うまで成長した。養殖業に伴う加工業などサケに関する仕事が増えて、チリ南部に豊かな生活をもたらすようになったという。 サケ養殖によるチリの経済発展は、世界的にも注目されるサクセス・ストーリーだ。チリ自国の努力も大きかったに違いないが、日本人の国際的な活躍も大きな役割を果たしたのだ。
(山口佳子)