将来の進路選択、みなさんはどのように考えていますか? 高校生の華子さんは、医者の父から医学の道に進むことを望まれ、悩む日々を送っていました。彼女が本当にやりたいことを選ぶまでのストーリーを紹介します。
父は医者の道を勧めるけれど、私は……
「人生は決められたゴールまでの辛く耐え難い期間」。これは、私が昔持っていた考えだ。
有名大学の医学部で教鞭を取っていた父に、小さい時から「医者になり人を救うことが将来の道」と諭されていた。
しかし、中学生になって本格的に将来を考え始めるようになると、人の命を救うには法学や社会福祉学など医学以外の学問があるにも関わらず、父に諭された医学の道にしか進めないことに苦しさを覚えるようになった。そして、進路に悩んでいた同時期に父が亡くなった。心も体もボロボロになった。
トラックにひかれそうになって
将来に疑問を持ちながら日々を過ごしていた中学2年生の時、青信号を確認して横断歩道を渡ろうとしたら右手からガーッ……という轟音が聞こえた。右手にはトラックがものすごいスピードで目の前に迫ってきていたのだ。
すっと一歩引き、事なきを得たが、もしあの時気づかず前に進んでいたら私の命はなかっただろう。その時私は、「これからの時間はトラックに気付いた私からのプレゼントなのだ」と考えるようになった。
本当に自分がやりたいことが見つかった
それから、与えられた時間を自由に使い興味の赴くままに行動した。今まで存在を認識していなかった学問を勉強しさまざまな視点を得ることで、自分自身が心からやってみたいと望むことを見つけた。
現在、虐待されている子どもを救う団体の設立や都市圏から近場で農業をする人たちの活動をサポートするという目標に向けて、努力を重ねている。ただ、「人を救う」という目標は以前から変わらない。
「しなければならないこと」は少ない
厚生労働省の統計によると、15歳から19歳における第一の死因は自殺だという。学業不振がその理由として上がることが多いそうだ。昔の私のように、将来の選択肢に関する視野が狭くなっている人が多いのかもしれない。
視野が狭くなっていると感じたとき、気づいてほしいことがある。それは、人生において絶対にやらなければならないことは少ないということだ。
現代社会で生きるにあたって、「しなければならない」という固定観念に縛られることは多い。私が考えていた「医者にならなければならない」も固定観念だ。しかし、多くは「してもいいこと」と「しなくてもいいこと」に分類されるのだ。
今までの固定観念を捨てることができれば、時間の使い方を選べるようになる。自身が心から望む目標を定め、それを達成するための手段を広い視点から考えることができる。そして、時には「しない」「しなくてもいい」という選択もできるのだ。
もし、涙が止まらなくなったときはこの記事を思い出して、命を絶つことを踏みとどまってほしい。なぜなら、踏みとどまることができれば、それからの時間は、その時の自分が与えた未来の自分へのプレゼントになるのだから。(華子=3年)