陸上女子20キロ競歩の日本記録保持者、渕瀬真寿美(大塚製薬)。陸上競技の強豪高校、須磨学園(兵庫)に進学した理由は「駅伝に出場するため」だったが、足の疲労骨折を繰り返し、走れない日々が続いた。「大会に出られるなら」と始めた競歩で全国高校総体(インターハイ)を制し、その後は五輪出場を果たすなど力強く歩いてきた。
(中尾義理)
「走りたい」夢を断念
高校時代の渕瀬には、あのときの涙がなかったら、今の私はいない、と思える苦い経験が何度もある。
駅伝やトラックレースで活躍することを目標にしていた高校1年の冬、疲労骨折の痛みに襲われた。思うように練習をこなせない日々が続き、2年時のインターハイ予選では、中長距離走種目に渕瀬の出番はなかった。
本当は走りたかったが、「大会に出られるのなら」と気持ちを切り替え、監督に申し出て3000メートル競歩にエントリーした。
部活の練習前には、競歩の動きを取り入れて体をほぐしていた。競歩独特のフォームなど技術面は急ごしらえだったが、日課のウオーミングアップを通して、自然と競歩の基礎を身に付けていた渕瀬は、神戸市予選を含め、わずか4大会目のインターハイで栄冠を手にした。
競技人生を変えた失格
だが、良いことは続かない。3年時のインターハイ県予選では悲劇が待っていた。競歩は、左右どちらかの足が接地していること、接地した前足が体の真下に来るまでひざを伸ばしていること、という歩型のルールがある。渕瀬は警告を3度受け、フィニッシュ後、失格を告げられた。ぼう然と立ち尽くしていた自分を今も覚えているという。この出来事が渕瀬の競技人生を変えた。
「インターハイを2連覇していたら、競歩はやめて、走ることに専念しようと思っていました。だけど失格だったので、未練とはちょっと違うのですが、悔しい気持ちのままではやめられないと思い、今も競歩を続けているんです」
高校卒業後、女子20キロ競歩の日本記録を2度更新。世界選手権には4大会連続出場し、2009年には7位に入賞した。12年のロンドン五輪は、日本女子競歩で過去最高となる11位と健闘した。
苦しくても目標をつくる
何度も日本代表に選ばれている渕瀬だが、故障や世界との差に直面するたび、「次こそは」と、ふがいない自分と戦ってきた。
「失敗しないと悔しさは味わえないし、強くなりたいと思えない。失敗した分、乗り越えたときうれしい。苦しくても悔しくても、目標をつくり、持ち続ける。私はそうしてきました」
15年には世界選手権がある。16年はリオデジャネイロ五輪だ。渕瀬は世界の大舞台に全力で挑むことを目標に、前を向いて歩き続ける。
輝けなかった高校3年時の1年間、腐らずに地道に練習した時間のおかげで、以来、歩型違反による失格はない。
ふちせ・ますみ
1986年、兵庫県生まれ。朝日中(兵庫)、須磨学園高、龍谷大を経て大塚製薬。高校時代の故障と失格をバネに、日本女子競歩のエースに成長。大学時代は日本学生選手権4連覇、4年時の日本選手権20キロ競歩で1時間28分3秒の日本新記録。09年ユニバーシアード銀メダル。10年アジア大会銀メダル。161センチ50キロ。