昨夏、甲子園通算100勝を達成した龍谷大平安(京都)。今春には3年ぶり41回目の出場となった選抜大会でベスト8に進出した。そこには秋の敗戦を乗り越えてきた背景も。秋に入れた本気スイッチを押したまま、名門が35回目の全国選手権大会(夏の甲子園)を目指す。 (文・写真 白井邦彦)

チームを引っ張る主将の水谷祥

甲子園100勝の歴史背負い

第100回の記念大会となった昨夏の甲子園。龍谷大平安は記念すべき通算100勝を達成した。当時2年生だった主将の水谷祥平(3年)は「あの瞬間をベンチで体感できた経験は貴重。改めて『平安』の歴史を感じた」と話す。その経験もあって、新チームでは自ら主将に志願した。

だが、新チーム最初の公式戦となった秋季京都府大会は、準決勝で京都国際に敗戦。「悔しくて、悔しくて。あの敗戦で本気の本気になった」と振り返る。

左腕2枚看板を支える

同じく捕手の多田龍平(3年)も秋の京都国際戦をターニングポイントに挙げる。「5点を先取して自分たちに油断が生じた。捕手としても、投手が崩れた場面で立て直すことができなかった」

野沢秀伍、豊田祐輔(ともに3年)という左腕の2枚看板を擁す今年のチームは、彼らの能力をどこまで引き出せるかが一つのポイントでもある。「野沢はテンポとコントロールがいい。豊田は鋭いカーブとストレートが武器。2人のいい部分を引き出し、崩れても立て直せるようなリードをしていきたい」(多田)

「自分のせいで負けた」

甲子園で本塁打経験のある父と兄を持つ奥村真大
悔しさを記した帽子のつばの裏

奥村真大(2年)は、近畿大会優勝後の明治神宮大会(全国大会)で本気スイッチが入った。初戦で、初出場の札幌大谷に5-6で敗れた試合がきっかけ。「八回にノーアウトでランナーが出た。でも、自分がスリーバント失敗でチャンスをつぶしてしまった。あそこで1点返せていたら同点になっていた」と振り返る。

その悔しさを忘れないため、奥村は帽子のつばの裏に「俺のせいで負けた」とフェルトペンで書いた。「あの試合から守備も打撃も一球一球にこだわってきた」と話す奥村は、本気スイッチをオンにしたまま、夏の京都予選に向かう。その先には「もちろん、日本一」(奥村)を見据えている。

TEAM DATA

学校提供

1908年創部。部員92人(3年生30人、2年生33人、1年生29人)。春夏通算の甲子園出場は全国1位の75回(春41回、夏34回)。甲子園では通算103勝71敗。優勝は夏3回、春1回。OBには元プロ野球選手の衣笠祥雄さんらがいる。