3月22日から開催された第85回記念選抜高校野球大会(甲子園球場)に、近畿勢で唯一の公立校、大和広陵(奈良)が28年ぶりに出場。初戦で敗れたが、エースの立田将太(2年)=奈良・河合一中出身=を中心に、ハツラツとしたプレーでスタンドを沸かせた。 (文・高野想)
昨春、181㌢、82㌔の生徒が入学した。野球部の誰もが「甲子園に行けるかも」と胸を躍らせた。この1年生が立田だった。河合一中の1年先輩で捕手の岬宏二郎(3年)は、その年の初詣で立田と偶然に会い、「広陵に入学することにしました」と告げられた。「うれしかった。すごい投手が入ってくれる」と喜んだ。
立田は子どものころから所属していた「葛城JFKボーイズ」で、小学校時代と中学校時代に全国優勝した〝大物投手〟。「地元の公立校で甲子園に出たい」と大和広陵を選んだ。 立田は昨秋から岬とバッテリーを組んだ。岬は「球が速くて、最初は捕球するのに苦労しました」と振り返る。
立田の最高球速は149㌔。昨年10月の秋季高校野球・奈良県大会で準優勝する原動力になり、近畿地区大会でも好投、チームにセンバツ出場をもたらした。
他の選手も成長した。練習にバレエを取り入れて股関節を柔軟にしたこともあり、守備力も打力も冬の間に向上。胸を張って甲子園の舞台に立った。
初戦(2回戦)の尚志館(鹿児島)戦。初回に3番の山口祐司(3年)=奈良・京西中出身=が適時打を放って1点を先制した。立田も快調で、尚志館打線を無失点に抑えていった。誰もが、勝利を信じて疑わなかった。
九回の最後の守り。先頭打者に安打を許し、立田は「焦ってしまった」。安打と四球で無死満塁とされ、打席の関拓哉(3年)=鹿児島・垂水中央中出身=を速球2球で追い込んだ。ここで3球勝負に出たことが勝敗を分けた。内角のスライダーを二塁打にされて2失点。逆転を許すと、立田はその裏、最後の打者となってしまった。
「3球目をボールにしていれば……。僕のサインミスです」と岬は敗戦の責任を背負い、立田をかばった。立田は「まだまだ練習が足りないことがよく分かりました。もっといい投手になって甲子園に戻ってきます」。2年生エースは、天理や智弁学園といった、県内の強豪を倒さねばならない夏の大会を見据えた。
TEAM DATA
2005年創部。部員40人。前身の「広陵」が05年に高田東と統合して「大和広陵」となった。広陵時代の1985年のセンバツは、初戦で東海大五(福岡)に4-11で敗れた。