あさのあつこさんは、『バッテリー』シリーズや昨年発売した『アーセナルにおいでよ』など、10代を描く小説を数多く発表している。小説家デビューを果たしたのは、就職・結婚・出産を経た37歳だった。現在70歳のあさのさんに、小説家になるまでの軌跡や、夢を諦めずにいられた理由を聞いた。(安永美穂)

「読む人ではなく書く人」になりたい

―「小説家になりたい」と思ったのはいつ頃ですか?

中学1年生か2年生の頃です。中学生になって、エラリー・クイーンなどの海外ミステリーに出会った時、「私は読む人ではなくて書く人になりたい」って思ったんですね。

それまでは漫画家に憧れていたのですが、絵を描くのは得意ではなくて、「私はストーリーを考える人になりたかったんだ!」と気づいたんです。

小学校講師を務めた後、37歳で小説家デビュー。『バッテリー』『NO.6』など、10代を描く小説を数多く発表。

小説執筆は「妄想」から始まった

―いつから小説を書き始めたのですか?

中学生の頃は日記の代わりに、「こんな場所に行けたらいいな」「ちょっと気になる男の子が私のことを好きだったら」というような「妄想」のストーリーを書いていました。

小説を初めて書いたのは、高校2年生の時。長期休みの宿題として読書感想文か創作を提出することになり、原稿用紙30枚弱の小説を初めて最後まで書き上げました。

「美しい物語だ」初めての読者は高校の先生

―どんな内容の小説を?

『マグナード氏の妻』というタイトルで、妻を亡くしてふさぎ込んでいた男が、墓前で妻と同じエメラルドグリーンの瞳の黒猫と出会う、というストーリーです。

―提出後、先生の反応は?

今読み返すと恥ずかしくなってしまう稚拙な作品でしたが、先生が「美しい物語だと思います」と何行にも渡って感想を書いて返してくださったんです。

物語を書くと、それを誰かが読んで、感想を言葉にしてくれる。そのことが励みになり、大げさに言えば、初めて読者を得た瞬間の喜びを味わえたのだと思います。

大学時代、児童文学サークルで10代の物語執筆

―大学時代も小説を書き続けたのですか?

大学は教育学科に進み、友人に誘われて児童文学サークルに入りました。そのサークルは、年に一度、創作集を作っていて、自分の10代をなぞる感じで10代の物語を書いていました。

それまで私は児童文学には詳しくなかったのですが、創作集の批評会に児童文学作家の後藤竜二さんがいらしてくださって。10代をリアルな筆致で書く後藤さんの作品を読んだことは刺激になりました。

後藤さんは、私が30代になった時に小説家になるきっかけを与えてくださった人なので、この出会いは私の人生に大きな意味を持つことでした。

「教師に“なってしまった”」小説家の夢諦められず

―大学卒業後は地元・岡山に戻り小学校の教員をされていたそうですね。小説を書くことへの未練はなかったのでしょうか?

私は「教師になりたい」と思ったことはなくて、「教師になってしまった」というのが正直なところです。就職氷河期で東京での就職がかなわず、岡山の小学校の臨時教師の仕事しか見つからなかったんです。

「教師になれば長期休みの期間に小説が書ける」と思っていたのですが、現実はそう甘くはありませんでした。子どもは、目の前にいる大人が自分と本気で向き合おうとしているかをすぐに見抜きます。あるとき、女子児童から「先生のことは嫌い。一生懸命じゃないから」と言われ、「見破られている」と思いました。

だからと言って、気持ちを入れ替えて良い教師になろうとは思えなくて。本気で向き合うなら、教師の仕事ではなく、書くことに向き合いたい。そう気づいて教師を辞める決断をしました。

「忙しい」「誰も待ってない」執筆から足が遠のき…

―25歳で結婚した後は、書くことに対してどんな思いを抱いていましたか?

専業主婦となり、夫の歯科医院で事務の仕事を手伝いながらも、1日2~3時間は自由時間が取れるようになりました。でも、小説は1文字も書けなくて。教員時代は「私が小説を書けないのは書く時間がないからだ」と思っていたのですが、そうではなかったんですね。

―その後、出産されていますね。

子どもが3人生まれて日常生活が目まぐるしくなると、ますます「忙しいから」という理由で書くことから遠ざかってしまいました。

よくよく考えてみると、私が小説家にならなくても日々の暮らしには困らないし、誰も私の作品を待ってはいない。なのに、なんで私が小説を書かないといけないのだろう。そんなふうに、書かなくてもよい理由を並べることで自分をいなしていました。

鷗友学園女子中学高等学校での講演会(2024年10月30日開催)

「これが最後のチャンス」娘を保育園に預け執筆

―小説を再び書き始めたきっかけは?

大学時代のサークルでお世話になった後藤竜二さんと、年賀状のやり取りを続けていました。一番下の娘が保育園に入った年に、「そろそろ創作を再開しませんか?」と自身が主宰されていた児童文学の同人誌を送ってくださったんです。

物語を書けば、自分の小説を読んでくれる人と出会える。書かなければ、一生出会えない。これが最後のチャンスだと思って、娘が保育園に行っている2~3時間、キッチンのテーブルで小説を書き始めました。

10分でも空いた時間があれば机に

―子育てと執筆をどうやって両立したのですか?

「書く」という作業は、ずっと書き続けたい時もあれば、書けない時もあって、こういう段取りで進めればいいという計算が成り立たないんですね。

書く時間を決めてしまうと縛られてしまうので、家族が寝静まった夜や、日中の家事や子育ての手が空いた時間などに、10分でも空いた時間があれば机に向かうようにしていました。

本の世界がそばにあることを忘れないで

―小説家として活躍されるようになった今、小説を通して高校生に感じてほしいことは?

物語は、ある人にとっては暇つぶしだろうし、ある人にとってはものすごく大切なものかもしれない。癒やしになる人もいれば、刺激になる人もいるでしょう。

物語は個々のものなので、「こう感じてほしい」ということはないのですが、本という世界があなたの傍らにあることだけは忘れないでほしいと思います。皆さんが20代、30代、さらには60代、70代になったとき、本という世界があることをふっと思い出してもらえたら、それはあなたの中で豊かさになったり、救いになったりするはずです。

一番本を読んだ高校時代「言葉をためた経験」が生きる

―あさのさん自身の高校時代の経験は今にどう生きていますか?

高校時代は海外の作品から日本の古典に至るまで、人生の中で一番本を読んだ時代でした。あの頃に獲得した言葉が、今、自分の思いを表現する時にとても役立っているのは確かです。自分の思いを自分の言葉で表現しようとしたとき、たくさんの言葉をため込んでおく経験をしている人はとても楽なのではないでしょうか。

ただ、言葉と思いは少しずれるものだということも、覚えておいてほしいです。自分の思いにぴったりの言葉が見つかったと感じる時は、そう思わされているだけのこともあるので注意が必要です。

あさの・あつこ 1954年岡山県生まれ。岡山県立林野高校卒、青山学院大学文学部卒。小学校教員の経験を経て、90年に『ほたる館物語』で小説家デビュー。代表作に『バッテリー』シリーズ、『No. 6』シリーズなど。2024年、4年ぶりに現代小説『アーセナルにおいでよ』(水鈴社)を刊行。

アーセナルにおいでよ

 

幼なじみで初恋の相手・甲斐から突然呼び出された高校3年生の千香は、スタートアップのメンバーとしてスカウトされる。不登校経験のある甲斐、コンプレックスを抱える千香、詐欺に巻き込まれて逮捕歴のある陽太、バツイチのコトリ……4人の訳アリな若者たちがスタートアップ企業を立ち上げようと奮闘する青春小説。