東京五輪の追加種目に決まったスケートボードでプロとして活躍している中村貴咲(大阪・大阪学芸1年)は6月、米テキサス州オースティンで行われた世界最高峰の大会の一つ「X Games(Xゲーム)」で初優勝した。スケートボードのXゲームで金メダルを獲得した日本人は初めて。華麗なテクニックを見せる姿の裏には、けがや自分自身との戦いがあった。(文・写真 白井邦彦)
なかむら・きさ 2000年5月22日、兵庫県生まれ。神戸生田中卒。06年に競技を始め、中学2年で本場米国の「VANS US OPEN」パークスタイル6位入賞。16年1月の「Girls Combi Pool Classic 2016」で5位に入るなどプロスケーターとして活躍中。得意技は、空中で1回転する、世界で数人しかできない大技「ミラーフリップ540」。153センチ53キロ。
「骨に穴」けが乗り越え
「X Games Austin 2016 Skateboard Park Women’s」での優勝は、アジア人としても初の快挙となった。「うれし過ぎて頭が真っ白になった」と振り返るが、実は「優勝を狙っていたわけではない」とも打ち明けた。
理由は、昨年10月に右足首を手術し「骨を固定するボルトを外せたのはXゲームの2カ月前。骨に穴が空いていた」。
まずは、出場が目標だった。だが、いざ出場が決まると持ち前の「負けず嫌い」に火がついた。けがのことはすっかり忘れ、ファイナルの2本目には予定ルーティン(演技構成)を完璧に滑った。女王リジー・アーマント(米国)を破っての初優勝に、顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
幼いころから「天才」
スケートボードに出合ったのは6歳。サーファーの父から「サーファーはオフシーズンにスケートボードで技を磨く。貴咲もやってみる?」と言われて競技を始めたという。
週1回、地元神戸の「“g”スケートパーク」のスクールで技を磨いた。8歳で、大人も参加する大会で優勝。周りからは「天才」と言われた。
現在は週5日、通い慣れた同パークで練習を続ける。「スケートボードは一つの技をマスターするのに時間がかかる。繰り返して練習するのは(成果がすぐに出なくて)もどかしいし、難易度が上がるとけがも増える」と葛藤を明かす。「練習した分、その技を試合で決められた時は達成感が大きい。そこが魅力だけど、つらい時も正直ある」
東京五輪は通過点
今年8月、スケートボードが2020年東京五輪の追加種目に決まった。その時、中村は「出場してメダルを取りたい」と素直に思ったという。
だが、同時に「東京五輪は一つの通過点」と心の中で定めた。あくまで目標は、プロスケーターとして長く活躍し続けること。そして「競技としてのスケートボードに真剣に取り組んでいる選手たちがいることを、五輪を通して知ってほしい」と願っている。
次の出場予定は、来年1月中旬に米ロサンゼルスで行われる国際大会。世界一になった今も、課題を克服するために、ほぼ毎日、全力滑走。ブレない気持ちと実行力が、強さの秘密でもある。
スケートボード
東京五輪に採用が決まったスケートボード種目は「パーク」と「ストリート」。「パーク」は、すり鉢状の斜面などを複雑に組み合わせたコンビプールと呼ばれるコースで行われる。「ストリート」は文字通り、街中の階段や縁石、手すりなどを模したコースで行う。共に採点競技で、難易度、メーク率、ルーティン、スピード、オリジナリティーなどを総合的に評価。ほかの大会では、スノーボードのハーフパイプに似た種目「バーチカル」などもある。