納庄千寿(長野・佐久長聖3年)は、全国高校柔道選手権(3月)女子52キロ級で頂点に立つなど期待の選手だ。「小学生の頃は好きではなかった」が、高校生になって柔道の楽しさを知った。再び日本一になることを掲げ、インターハイに臨む。(文・小野哲史、写真・学校提供)
ライバルに一本勝ち
6月2日のインターハイ県予選は、準決勝が最大の山場だった。相手の永田夢空(長野・松商学園3年)は、「高校1年の新人戦から10回以上戦ってきて、勝つのが難しい」というライバル。互いに譲らず、延長戦も10分を超える熱戦となったが、「体落としか払い腰か……」と自身も明確でなかったほど必死に繰り出した技が鮮やかな一本勝ちとなった。
「ほっとした」という納庄は、決勝戦も横四方固めで快勝。昨年に続くインターハイ行きを決めた。
大会2週間前にはスペインジュニア国際に出場し、3位に入った。初の海外遠征は、「外国の選手は身長が高くて手脚も長い。日本人があまりやらない技もやってくるので、今までの柔道とは全く違う印象でした」。
苦手な技を繰り返し磨く
納庄の柔道は足技を多く繰り出すスタイルで、得意技は小外刈りや体落とし。自身の強みを「身体の軸があまりブレないことと、他の人より力があること」と語る。普段の練習では、課題の克服を重点的に取り組んでいる。
「得意技を磨くより、自分が今やりたい技や苦手な技をいろいろな相手に試して、失敗しても何回も繰り返して練習することを意識しています。そう考えるようになったのは、永田さんとの試合を振り返って、『こういう技を入れられていたらもっと勝てたのに』と思う部分がたくさんあったからです。どんな相手にも対応できるような技を作っていきたい」
「部員1人」に苦しんで
柔道の魅力を「いろいろな技や戦い方があって、それを自分で作っていくのが面白い」と語る。しかし、これまで常に前向きな気持ちで競技と向き合ってきたわけではない。小学校のころから競技を始めたが、当時は「全然勝てなくて、練習も嫌で柔道が本当に嫌いだった」。挫折しそうになったことは何度かあり、とくに中学3年生の時期は最も苦しかった。
「部員は自分1人しかいなくて、姉がいろいろな高校や中学に練習に連れていってくれました。同じチームメイトとならつらい練習も頑張れますが、知らない人とのきつい練習は大変でした。柔道が嫌になって、母や姉にも迷惑をかけました」
それでも中学最後の全国大会で初出場が決まった時、母や姉が「めちゃくちゃ喜んでくれた」という姿を見て、「もっと頑張ろう」と意欲が湧いた。9人きょうだいの末っ子でもある納庄は、今も柔道を続ける8歳上の兄からアドバイスをもらっている。家族は「気持ちの面で支えてくれる存在」であり、「結果で恩返しする」ことが今の納庄の原動力だ。
必死の練習で楽しさ実感
「柔道が本当に楽しいと思うようになったのは高校生になってから」と笑う。兵庫県出身の納庄が長野県の高校に進んだのは、かつて練習に参加させてもらっていた兵庫・夙川学院(現・夙川)の垣田恵佑先生が3年前から佐久長聖に赴任。「声を掛けていただき、先生の指導を受けたい」と思ったからだった。
「先輩たちのように大会で結果を残せるようになりたいと練習を必死に頑張りました。それで強い相手を投げた時に『楽しい』という感情が出てきて、自分なりに研究してやっていたら、柔道が好きになっていきました」
「自分の柔道」をしたい
頂点を目指す自身2度目のインターハイは、全国高校選手権覇者の立場ゆえに、多くのライバルからマークされることは想像に難くない。「1回、日本一になったから終わりではない。勝ち続けることに意味があると思うので、どんな相手が向かって来ても自分の柔道をして、もう1回日本一になれたらと思っています」
将来は「日本代表として活躍したり、指導者として教えたり、柔道をもっと磨いていきたい」という夢を持つ納庄。その前にまずはこの夏、大分の舞台で高校生にとって最大のタイトルに挑む。
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のうしょう・せんじゅ
2007年1月6日、兵庫県生まれ。魚住中卒。柔道は5歳の頃、きょうだいが通っていた地元の道場に見学に行き、小学校中学年から本格的に始めた。東京五輪金メダリストの阿部詩選手(パーク24)に憧れている。2021年全国中学校大会16強、23年インターハイ16強、24年全国高校選手権大会優勝。156センチ、52キロ。