複雑なセクシュアリティを持つという、読者のとかげさん(高校2年)。「男性らしさ、女性らしさという考えをなくしたら、何を基準に性を考えられるのか?」と思いを巡らせることが多いそうです。
複雑なセクシュアリティの私
私はセクシャルマイノリティーです。私のセクシュアリティは複雑で、もしかしたらその中でもマイノリティーなのかもしれません。女性として生まれたけれど、男性として生きたい「トランスジェンダー」。男性・女性に縛られずに生きたいと考えていて、親密になり心を許した人としか恋愛したくない。好きになる相手は、どんなセクシュアリティでも良いと思う「パンセクシャル」です。
まだ17年しか生きていないので、結局のところ、これが本当なのかわからない「クエスチョニング」なのかもしれません。ここまで複雑だと人に説明するのもおっくうで、自分のことはほとんど誰にも伝えられません。
女子とは趣味や考えが合わなかったり、男子とは壁を感じて輪に入れなかったりして、「マイノリティー=孤独なのかな」とよく考えてしまいます。
「らしさ」ってなんだろう?
「男性らしさ、女性らしさという考えをなくすこと」と「LGBTQなどを受け入れること」が今で進められていますが、2つの共存は果たして可能なのでしょうか。
「自分がトランスジェンダーだ」ということが腑(ふ)に落ちて救われる人もいるかもしれません。「この性別でよかった」「この性別の人が好きだ」と考える人もたくさんいると思います。
しかし、「男性らしさ、女性らしさ」という考えをなくしたら、何を基準に性別への考えを持つことができるのでしょうか。実際、男性、女性でそれぞれの傾向は存在すると思っています。それでも、「男性らしさ、女性らしさとは何か」と問われると全くわかりません。
性別のことでモヤモヤしたとき、「私たちはどう考えればいいのだろう」といつも感じます。修学旅行に行った際、特にそのことを強く感じました。部屋、観光、体験活動……。すべての班分けが男女別です。私は男子にも女子にも友人がいますが、気楽に話せる友人は男子の方が多いので、少し寂しさも感じています。
人の悩みに気付き柔軟に生きられる
「セクシャルマイノリティー」としての自分、「私が男性で生まれてきたら」と思うこともたくさんある自分。矛盾の中で深く考えられるのも、男女関係なく人付き合いができるのも、私がマイノリティーだからだと思っています。理解はされないかもしれないし、することも難しいですが、人の悩みに気づき、柔軟に生きられる存在が、「マイノリティー」なのかもしれません。(とかげ・高校2年)
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