誰かに助けを求めることに抵抗感があったという読者の高校生・転生したらスライムさん(3年)。多くの悩みについに耐え切れなくなった時、思い切って先生に相談しに行ったときの体験談を紹介します。

助けを求めることは甘えだと思ってた

私は誰かに助けを求めることを、単なる甘え、迷惑だと思っていました。原因はいくつかありますが、中でも「育ち方間違えた」「そんな子が子どもで、お父さんお母さんがかわいそう」という小学生の頃に大人から言われた言葉です。 

電気のついていない教室(写真はイメージ)

大人を頼っても、最後には嫌なことを言われるんじゃないか、相談したら迷惑なんじゃないか。ずっとそう思っていて、具合が悪くても言い出せず、学校を休んだことも保健室に行ったこともありません。

悩みが重なり耐えられず先生のもとへ

昨年、友達の家族の不幸、新型コロナの流行、部活動の休止、勉強……多くのことが重なって、ついに耐えきれなくなりました。毎朝欠かさずSHRで先生が言ってくれていた「しんどくなったり、誰かに相談したくなったらいつでも来い」という言葉を信じて、どうしていいかわからないと相談しに行きました。

悩む高校生(写真はイメージ)

何十分も相談に乗っていただいた最後に「頼ってくれてありがとうな」と言われたので、「いやいや、ほんとにご迷惑おかけしてごめんなさい」と私は返しました。

すると「もしかして相談しに来たこと迷惑と思ってるんか? それなら違うぞ。そんなこと思うわけない。もしそう言われたらそいつはクズだ。縁切っても、嫌いになってもいい! 人は助け合って生きていくんだよ!」と言われました。先生の言葉にびっくりして、でもうれしくて涙があふれました。

つらい時は誰かに頼ってもいい

学校の先生に相談をした日から、自分が良い方向に変わりました。その後、相談することはありません。でも、つらい時は誰かを頼ってもいい、そう思えるようになってから生きやすくなった気がします!(転生したらスライム・3年)

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