ももっちさんの弁論原稿全文

今までの日常が崩れ去ったとき何を感じますか。

私は中学2年の夏まで今と同じようにごくありふれた毎日を過ごしていました。しかし、それは突然崩れ去ったのです。初めは教室に入ると過呼吸を起こすようになり、しばらくそれが続きました。時が経てば治るだろうと思っていましたが、3年生になってからもそれが続き、どんどんできないことが増えていきました。例えば、人目が怖くて外を歩けない、人とご飯を食べられない、人前で喋れない、人とうまく関われない。そんな私を見て、親や先生はできないことを責め、友達は変なやつだと距離を置くようになりました。自分自身も、何でできないんだと責め続けました。誰にもこの苦しみを理解してもらえず、生きていて何の意味があるのだろうかと毎日のように考えていました。とにかく一日一日を生きるのに精一杯でましてや将来のことなど考えることができず、未来なんてものがあるのかと考えることもありました。そんな中、唯一救いだったのは、理解し知ろうとしてくれた先生がいたことでした。ある時、先生は私にこう言ったのです。「あなたが今苦しい思いをしていても、あなたが生きていているだけで、救われる人がいる。」私はこの言葉に今も救われています。この言葉がなければ、私がこの場で喋っていることも、生きていることも不可能だったと思います。そして、卒業が近くなると、周囲の人が私と同じ症状に苦しむ人をテレビで見て理解してくれたり、同じ病気を持つ先生が周りに理解を促してくれたりするようになりました。

さて皆さんはこれを聞いて何を思い、感じましたか?

私はこの経験をした時、日常の生活のありがたみを知ってほしい、もうこれ以上私と同じ苦しみを味わう人を増やしてはいけない、だからこそ周りの人にこのことを伝えなくてはならないと思いました。皆さんは毎日を何となく過ごし、あたりまえに明日が来る、そう考えてはいないでしょうか。その明日を今日と同じように過ごせないかもしれません。当たり前に思っている日常や将来のことへ目を向け、進路実現に向けて努力できることがどれほど幸せなことなのかを考えてほしいです。そして、自分の知らないことについてもっと知ろうとする意志を持ち続けてほしいです。

皆さんはヘルプマークについて知っていますか。ヘルプマークとは、難病、内部障害、妊娠等外見ではわからない症状をもつ人が援助や支援を求めるために身につけるものです。もし、病気を抱え援助を必要としていても、外見で判断できなければ周りの人たちはその人を助けることはできません。では、ヘルプマークについて知っていればどうでしょう。ヘルプマークを身に着けている人を見かけた際に、私達は援助することができます。このくらい知ると知らないでは大きな差がうまれるのです。私もこのことと同じ様に、周りの人に知ってもらえたことで助けてもらえることができました。そして、自分自身について知ってもらうだけでなく、私自身が同じ症状を持つ人について知ることでとても気持ちが楽になりました。

このように、知ることはめぐりめぐって自分に返ってくるのです。何よりも、私たちが大人になったときに知るということの大切さを忘れないでいてください。年を重ねるにつれ、私たちの考え方はどんどん固まってしまいます。もう私たちは誰かに守ってもらえる立場ではなく、守ってあげる立場なのです。つまり、理解してもらえず苦しむ立場ではなく、苦しめてしまう立場になってしまうかもしれないのです。

皆さんにはそれを忘れないでいてほしいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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