今年が創部67年目の淀川工科(大阪)ラグビー部は、全国高校ラグビー大会(花園)に13度出場しベスト4が2度あるが、ここ18年間は花園へ進出していない。2008年に「緋 REVIVAL(ひ・りばいばる)-再び花園へ―」のチームスローガンを掲げ、復活への答えが見つかった。その方法とは―。 (文・写真 宇佐見英治)
緋は戦国武将の陣羽織に使われた特別な色で、淀工のジャージーも緋色だ。08年に就任した農端幸二監督(53)が「淀工伝統の緋を強調したかった」とチームスローガンに掲げた。
リバイバル、再び花園へ。府立高校で15人制ラグビー部を存続させることは簡単ではない。淀工は「ものづくりと人づくりの確かな学び」「就職への有利さ」をアピール。ラグビー部に有力選手が入ってくるための環境を整えた。だがその後、復活への他の大事な要素に気づくことになる。
11年、府立の高津と練習をした際だった。初めのうちはあまり上手に見えなかった高津の選手たちが、ボールを奪うと確実に一歩前に進もうとし、防御の弱い選手を周りが助ける。しっかりとしたラグビーを展開する相手に、淀工は手を焼いた。「目が覚める思いだった」と農端監督は振り返る。
「ボールを奪い、一歩でも前へ進み、ボールをつなぎ継続する」というラグビーの原点回帰を淀工復活のテーマに掲げた。
本年度の全国大会予選が9月にスタートし、淀工は大阪第2地区予選リーグ10ブロックに入った。初戦が不戦勝となった同月15日に第3地区シード校の関西創価と練習試合をし41―24で勝った。前監督の岡本博雄部長(63)は「粘って我慢して、そして前へ出ていく良いところが表れた」と感じた。
伝統の淀工ラグビー部は、かつて活躍した全国舞台を見据えながら、自分たちの足元を固めていく。実りの時は来る。センターの中川拓馬主将(3年)=大阪・蒲生中出身=の1年時には、技術が優れた3年生が数人いた。「入部してからの1年間は先輩の質の高いプレーを学び、2年目は飛び抜けた人がいない分、全員でコツコツと力を高めていく大切さを経験しました」と言う。3年目の今、自分たちの集大成を見せる。
9月中旬、昨年度の花園を制した常翔学園(大阪)の選手たちが、練習のために淀工グラウンドを訪れた。台風18号による水害で、常翔学園の練習場が使えなくなったためだ。中川主将は「常翔学園の選手の優れたところを目の当たりにできて良かったです」と話し、感じた差を縮めるために「基本に忠実なラグビーを続けていきます」と言い切った。
チームデータ 1947年創部。部員数36人(3年生13人、2年生13人、1年生10人)。花園には1953年度に初出場。94年度まで13度出場しベスト4が2度。OBに元ラグビー日本代表監督の小藪修がいる。