8月からは国内のトップリーグでプレーしている(斉藤撮影)

ラグビー日本代表の田中史朗(パナソニック ワイルドナイツ所属)。京都・伏見工時代に味わった苦い敗戦を機に、貪欲にラグビーと向き合うようになり、部活と個人練習を繰り返して3年次には全国の舞台に立った。(斉藤健仁)

花園連覇を逃す

身長166センチ。日本ラグビー界が誇る「小さな巨人」だ。小学4年で競技を始め、中学時代もラグビーボールを追いかけた。高校は強豪・伏見工に進学。1年時の夏にあったニュージーランド遠征で、同学年22人中7人が選出されたメンバーの中に、田中の名前はなかった。「本当に悔しかったです。遠征メンバーには負けたくないと思いました。練習でアピールするしかないと考えました」
 生来の負けず嫌いの田中は、以前にも増して練習に励んだ。だが、1年時は「花園」こと全国高校ラグビー大会のメンバー入りはかなわず、先輩たちの全国制覇の勇姿をスタンドで見守った。
 2年生になるとSH(スクラムハーフ)としてレギュラーに定着。花園2連覇を狙ったが、京都府予選の決勝でライバルの京都成章に敗れ、出場を逃してしまう。「自分の調子が悪くて、花園に出場できず、先輩たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そこからラグビーに対する意識が変わりました」

世界レベルのプレーをまねる

「自分でできることは何でもやろう」と心に決めた田中は、個人練習にも、より一層熱心に取り組み始めた。自らのプレーを撮影した映像を見直して修正点を探り、南半球のプロリーグ「スーパーラグビー」のビデオを何度も見ては、世界のトップレベルで活躍する選手のプレーをひたすらまねた。繰り返すうちに、田中のプレーに変化が訪れた。「どういったパスを選択するか考えるようになって、良いイメージでプレーすることができるようになった」
 3年時、伏見工は全国大会府予選決勝で京都成章を倒し、前回の雪辱を果たす。本大会ではベスト4まで勝ち進んだ。田中は1年間培ったパスワークで、チームの躍進に貢献した。
 「高校時代の敗戦があったから今の自分があると思います。レベルアップを意識し、考えてプレーすることができるようになり、ラグビーの面白さに気づきました」
 2012年から2年間、日本人として初めてスーパーラグビーでも活躍した。高校時代の経験が、世界と戦う田中を支えている。

たなか・ふみあき
1985年1月3日、京都府生まれ。高校卒業後は京産大に進み、全国大学選手権ベスト4。2008年に日本代表に初選出され11年のワールドカップ(ニュージーランド開催)に出場。パナソニック ワイルドナイツでプレーしながら12年からはニュージーランドのハイランダーズでもプレーした。166センチ、75キロ。