長野県に住む増田穂高さん(高校3年)は「大正ロマン」をはじめとする、戦前の文化を愛する高校生。背広と着物を普段着とし、明治から昭和初期の文化に囲まれて生活している。まるでタイムスリップしたような、レトロな暮らしを送っている。(文・黒澤真紀、写真・本人提供)

大正ロマンに魅せられて

「背広と着物しか着ません」

そう話す増田さんは、まるで大正時代からタイムスリップしてきたような風貌の持ち主。「大正ロマン」を始めとする明治から昭和初期にかけての文化の魅力に心を奪われ、リアルな「戦前スタイル」を全身で表現する。 

長野県塩尻市の中山道・奈良井宿(ならいじゅく)にて。後輩に撮影してもらったお気に入りの一枚(インスタグラム:@hajime1_1撮影)

レトロな文化に魅せられ、「明治、大正、昭和初期の文化が好き。中でも大正時代のカルチャーがカッコいい」と語る。制服がない高校に通い、通学時は背広にコートを着用。丸眼鏡をかけ、中折れ帽をかぶり、懐中時計を身につけ、当時の生活様式を生き生きと再現している。

学校はもちろん、遊びに行くときも背広を着用する

Tシャツもジーンズも持っておらず、帰宅後は背広から普段着の着物に着替える。洋室にベッドを置いた自室ではなく、普段は別の和室に向かう。昔、客間だったその和室は、昭和中期に建てられた自宅の一角にある。もともとレトロな雰囲気だったが、増田さんのセンスで大正時代の趣を感じる部屋に仕上げられている。

「畳の部屋で過ごすのが一番落ち着く」。冬は吐く息が白くなるほど部屋が寒くなるが、エアコンは設置せず火鉢で暖を取る。火鉢のそばには暖かい空気が漂い、上に載せたやかんからは蒸気が出て乾燥もしないので心地よい。

曽祖父の写真見て「かっこいい!」

小学校に入る前から、同居する祖父母に戦前の暮らしや文化についての話を聞いて育った。昔の日本への憧れが強くなっていく中、中学2年のとき祖父が見せてくれた1枚の写真に心を奪われた。

大正期頃から昭和初期のセルロイド製眼鏡のコレクション

「背広を着て、外套(がいとう)を羽織り、丸眼鏡をかけた曽祖父でした。そのたたずまいが格好よくて、一気に戦前の文化にハマったんです。凛(りん)とした姿に魅力を感じ、自分もそうありたいと思いました」

早速、戦前に作られた眼鏡フレームを古道具店で、同じく戦前に作られたレンズをオークションで購入し、丸眼鏡を作った。古道具屋では当時の着物や背広も集め始め、現在はそれぞれ10着ほどになった。

ノートもSNSも旧字体を使う

こだわりはファッションだけにとどまらない。授業のノートは旧字体で、右から文字を書くいている。「全く苦ではない。当時の人と同じ言葉を使っていることがうれしいんです」

「国会」を「國會」、「責任を負う」を「責任を負ふ」というように、旧字体や旧仮名づかいでノートをとる

SNS投稿も旧字体で、投稿する写真も明治から昭和初期の空気があふれる仕上がりになるようこだわっている。帽子や小物を合わせるときは、時代間のズレがないように細心の注意を払う。「例えば眼鏡が大正後期から昭和初期のもので、着物が明治時代のものだとダメ。歴史に詳しい人が見ても違和感がないようにしたいんです」

からかわれても「好きなことをしたい」

高校に入学した直後から「戦前スタイル」で登校すると、時代を超えた紳士を思わせる姿は、全校生徒の視線を集めた。初めはすれ違いざまにからかわれることもあり、先輩の目も気になった。今でこそ「ヤバイ奴と思われたでしょうね」と笑うが、当時は心が折れそうになることもあった。

1920~30年代頃のファッション。現代も日常で使えるものを着用するのがこだわり

だが、途中で「吹っ切れた」という。「好きなことをしていて何が悪いの?」。中学生の頃から大正時代に憧れ、少しずつアイテムを集めてきた。「せっかく持っているものをどこにも出せないなんておかしいじゃないか」。そう思えるようになってからは、人の目は気にせず、自分の好きなものを身につけ、生活するようになった。

将来は「古民家に住みたい」

増田さんにとって戦前の文化は「永遠の憧れ」だ。「将来は、明治から昭和初期に建てられた古民家に住み、かまどで調理し、まきで沸かした風呂に入る生活がしたい。実はすでに物件探しを始めているんです」。夢は床屋になること。その店は、ただ髪を切るだけでなく、大正ロマンを心から味わえる空間になるだろう。