近年、有名人やキャラクターなどを応援する「推し活」が流行中です。私もたくさんの推しがいますが、この白熱する推し活文化に少し疑問を感じています。(高校生記者・桜いをり=3年)

推し活ブームに疑問

近年、SNSで「推し」について発信するファンや、メディアでの推し活特集、推し活文化を活用してプロモーションをする企業が増え、「推し活」そのものがブームになっていると感じます。推しを見つけたことで、人生が楽しく豊かになったという人はたくさんいます。私自身も、アニメやゲーム、アイドルなど多彩なコンテンツを追いかける中で視野が広がり、自分の価値観を改めて発見できることもありました。しかし、それは必ずしも「推しを作らなければならない」ということにはつながりません。

推しのグッズやCDを並べているスペース

推し活は、時間やお金、体力、精神的なゆとりがなければできないことです。ひとつの対象に「好き」の気持ちを注ぐには、エネルギーが必要になります。

特に「推し」という言葉には、応援する、鑑賞する以上の、誰かにすすめたい、推薦したいという気持ちも含まれることが多いです。

SNSでの発信や、周囲への布教(推しを広めること)なども推し活のひとつですが、それはかなりの熱量を要するもの。推し活はすてきな趣味ですが、「推しのおかげで人生が楽しい」ということが、「推しのいない人生はつまらない」ということには全くなりません。

ささやかな好きの気持ちも大事

「推し」というインパクトの強い言葉に引っ張られて、推しのいる人生は素晴らしい、推しを作ろう、見つけようと叫ぶ風潮には、少し疑問を感じています。

推しと言えるほどの熱量ではなくても、テレビに出ていたらそのまま見る、新しいMVが出ていたら見るなど、推し未満のラフな「好き」まで大切にすることこそ必要なのではないでしょうか。ささやかな好きがたくさんあることも、人生を豊かにしてくれるはずです。

無理に推さなくていい

私は、推しがいないことで悩んでいる人に「推しは作るものではなく、できるもの」だとお伝えしたいです。私は、自分の心に推しの音楽や言葉が必要なタイミングで推しに巡り会いました。あなたの心に推しが必要な時が来たら、きっと推しはできます。

いろいろな「好き」の形を大切に

逆に今、推しがいないということは、推し以外に大切な存在が周りにあるのだと思います。何かが好きという気持ちは、推し活だけに限られるものではありません。ぜひ、あなた自身の「好き」の形を大切にしてみてください。