【目次(TOP)】【地域文化研究部門(団体)】【地域文化研究部門(個人)】【地域民話研究部門(団体)】【地域民話研究部門(個人)】【学校活動部門】

 

地域民話研究部門(個人)

  最優秀賞 
  口伝と史料から紐解く杉田用水物語の史実―恩智養宗和尚の光と影―
   静岡県立富士高等学校 1年 渡邉 正太郎
 
  優秀賞 
  「能恵姫伝説~龍神に見初められた姫の物語~
   秋田県立湯沢高等学校 2年 佐々木 ゆら
 
  佳作 
  徳川二代将軍秀忠の夫人の霊夢
   神奈川・鎌倉女子大学高等部 2年 林 真緒
 
  泉小太郎と小泉小太郎~民話から学ぶ伝承されてきた人々のおもい~
   東京都立国際高等学校 2年 丸山 愛結
 

    ■審査員講評も参考にしよう!【 地域民話研究部門 講評 

 

【 最優秀賞 】

「口伝と史料から紐解く杉田用水物語の史実
―恩智養宗和尚の光と影―」

静岡県立富士高等学校 1年 渡邉 正太郎

応募の動機

 私はそれまで郷土研究を趣味の範疇として行なっていたのですが、今回高校に進学したことで高校生を対象とした郷土研究に関するコンクールを見つけたことが応募のきっかけとなりました。初めての応募だったので、私が中学時代に力を入れて研究していた杉田用水とその利用集落の歴史についてまとめたものを応募した次第です。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 私の研究テーマである杉田用水とその利用集落の歴史についての先行研究はいくつかあったのですが、それらは物語的・伝説的要素が強く、あまり参考になるとはいえないものでした。そこで、この調査では市立図書館に行って明治~昭和期の公文書を閲覧したり、「安養寺」という杉田用水と深く関わりのある寺に通って古文書を閲覧・スキャンさせていただいたりし、まずは一次史料の収集をすることから始めました。
 次に、現地調査では地元の方への聞き取り調査の他、杉田用水の痕跡の調査や石造文化財を一基一基確認してそれに何が銘文されているかについての調査を行いました。また、ここで杉田用水に関する『沿革誌』があったことが分かったのですが、それが紛失されていることも分かりました。これによって調査は難航しました。
 杉田用水を調査するに当り、最初に調べたことは調べる契機となった石碑の調査です。そこで、この石碑は隣村の安養寺から引水された水道の記念碑ということが分かりました。
 次の調査ではその安養寺に向かい、そこで杉田用水と和尚の物語を知りました。そこで、この物語についての文献、新聞記事を市立図書館などで収集しました。それに並行して、杉田用水成立の背景を知るために用水利用集落の歴史を明らかにしました。
 その後、物語の概要と杉田用水の背景を掴んだうえで、再度寺の古文書から杉田用水や和尚の物語に関するものを探し出して古文書の目録を作成しました。そして、これらの古文書と新聞記事の中にあった古文書の内容を組み合わせて史実を確かめ、物語との相違点とその伝わり方を研究しました。
 最後に、杉田用水が集落の住民にどのように利用され、どのように管理されてきたのかを調査しました。ここでも市立図書館に所蔵されている古文書や地元の方への聞き取り調査から、村当局から用水の維持にどのような補助が出ていたのか、用水の改築工事は何回、いつあったのかを調査しました。
 今後の課題には、杉田用水利用集落の歴史とその考察について、さらに突き詰めていくことにあると感じました。今回は地元の方々への聞き取り調査が時間的な条件から消化不良のまま終わってしまい、また石造文化財の調査も目録が三十年前のものであったために作り直そうとして始めた調査だったのですが、これも時間的に納得のいくように終わることができませんでした。課題達成のため、聞き取り調査や石造文化財の調査を行っていきたいです。

安養寺
杉田用水の史料

最優秀賞の受賞者コメントは近日公開! 

 

 【目次(TOP)】【地域文化研究部門(団体)】【地域文化研究部門(個人)】【地域民話研究部門(団体)】【地域民話研究部門(個人)】【学校活動部門】

 

【 優秀賞 】

「能恵姫伝説~龍神に見初められた姫の物語~」

秋田県立湯沢高等学校 2年 佐々木 ゆら

応募の動機

 私の住んでいる地域には千年公園という古くから藤の名所として知られる公園があります。毎年5月に開催される「千年公園藤まつり」を訪れた際に、公園内にひっそりと佇む「能恵姫像」に心惹かれ、興味を持ち、由来や伝説について調べてみようと思ったのがきっかけとなり応募させていただきました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 秋田県湯沢市岩崎地区には、白蛇(龍神)の妻になった姫の伝説が残っています。
 姫の名は、能恵姫。幼い頃、庭先に現れた白蛇に向かって、戯れに結婚の約束をしてしまいます。美しく成長し、輿入れの日を迎えた姫は、忽然と姿を消してしまうのです。後に、家来の一人が川の中で、川の主である白蛇の妻となった能恵姫と再会し、姫の菩提を弔うため龍泉寺が建立された。というのが、あらすじとなっています。
 内容が分かったところで、「能恵姫伝説」について、現地調査と文献調査を行うとともに、登場人物や時代背景、どのように語り継がれてきたかを調査・検証しました。
 城と登場人物については、築城、時代の構築の年月、城主名は資料によって異説があるようですが実在した城と人物であったことを検証しました。伝説では、大倉鉱山の鉱毒に耐えられなくて皆瀬川から不動滝、成瀬川の赤滝に棲みついたことになっていますが、大倉鉱山は延享元年(1744)、赤滝神社の創建よりも92 年後に発見、採掘されているので時代背景が合いませんでした。小安の不動滝と赤滝(成瀬川)のつながりについて検証してみると、小安の不動滝は龍神伝説の滝でもあり、ここで修業した僧が龍を使って雨を降らしたと伝わっています。伝説にあるように、すでに龍が住んでいたという逸話と合致していることになります。成瀬川の赤滝は、永年、下流域農民は、霊験あらたかな「雨乞いの神」として深い信仰を注いできました。能恵姫が龍神と化したのは、人々を渇水や洪水から身を挺して救うためだと信じられてきました。しかし、平成30年9月より東北最大級のダム建設が始まったため、残念ながら赤滝はダムの中に沈んでしまうことになります。
 最後に、龍泉寺と能恵姫のつながりについて検証しました。能恵姫の遺品が祭られているという龍泉寺を訪ね、伝説に詳しい住職の奥さんの村田さんよりお話を伺いました。本堂中央には能恵姫の位牌と遺髪が大切に祭られており、位牌には「天顔院白龍妙客弓躰大姉」の戒名が残っていました。また、村田さんの娘さんはご縁があり、能恵姫が生誕した土地と同じ岩崎地区に嫁がれました。すると、嫁入りの日に嫁ぎ先の庭に突如として白い蛇が現れ、近所の方々が口々に「能恵姫が帰ってきた」と言い話題になったそうです。このような、偶然や巡り合わせが能恵姫伝説を生み、長きにわたり語り継がれている要因になっているのではないかと考えました。
 今後は時期的に参加できなかった「初丑まつり」に出向き、更に能恵姫伝説について探求し、文献調査とフィールドワークの幅を広げていきたいと思います。

能恵姫像
龍泉寺 村田さんより説明を受けている様子

受賞者コメント

 受賞したと聞いて大変嬉しく思っています。賞をいただけると思っていなかったので驚きました。民話について調べたのは初めてだったので、疑問点や言い伝えが時代背景と合っているか比べたり、照らし合わせたりするのが難しかったです。調べていくうちに言い伝え内容が合っていて能恵姫の存在に現実味を感じて感極まる思いになりました。この賞をもらい、民話の伝承に貢献できて嬉しく思うとともに、私たちのような若い人がそのまま民話を伝えていく必要があると感じました。 
 元々地域の文化について興味があり、伝承していくために何が出来るか考えていた時にこのコンテストを見つけ、形に残したいと思いました。千年公園という古くから藤の花の名所があります。そこで開かれる「千年公園藤まつり」を訪れた際に、能恵姫像を見つけ、興味を持ち由来や伝説内容について調査研究しようと思いました。 
 探究活動にあたり、民話自体に信憑性があるのかどうか伝えられている話と時代背景の事実と照らし合わせるのが大変でした。伝えられていく中で変化してしまった所があり、たくさんの情報から抜き出し比較するのに苦労しました。 
 民話や伝説の伝承には、その話を大切にしてきた人によって伝えられてきたと分かり、その話が受け継がれてきた地域で形として残している昔の人の努力を知ることができました。 
 私が伝承文化に興味をもったきっかけは、高校に入学する際の課題で伝統文化について調べたことです。実際に足を運ぶ事で感じる伝統文化の誇りや想いが印象に残っています。そこから地域の民話や文化に興味が湧きました。 
 お祭りや行事が継承して行われていてよく参加しているので、伝承文化を身近に感じますが、当事者として参加するのではないので若い人たちへの継承には課題があると思います。 
 伝承文化を伝えていくことは、私たちの義務だと思います。今まで伝わってきた伝承文化には、たくさんの人の努力があると分かりました。だからこそわたしたちの代で変えてはいけない、絶やしてはいけないと思います。
 伝承文化の魅力は、昔の人と今の人を繋げてくれているという所だと思います。伝承文化が出来た背景にその地域の特色に合った工夫や考えがあったと思います。今は、デジタル化したり、機械化したりしていてどこの地域でも平均的な生活を送っています。その中で伝承文化は、元からあった私たちの地域の良い所を昔の人が残してくれた伝承文化によって現代の私たちに伝えてくれます。昔の人と現代の私たちを繋いでくれる魅力があると考えました。

 【目次(TOP)】【地域文化研究部門(団体)】【地域文化研究部門(個人)】【地域民話研究部門(団体)】【地域民話研究部門(個人)】【学校活動部門】

 

【 佳作 】

「徳川二代将軍秀忠の夫人の霊夢」

神奈川・鎌倉女子大学高等部 2年 林 真緒

応募の動機

 私の住んでいる地域は、戦国時代に北条早雲が造ったと言われる玉縄城跡や、神社やお寺がたくさんあり、身近に歴史に触れることができます。今回、学校で「地域民話研究」のコンテスト募集があったので、これを機会に地元の民話を調べ、自分が住んでいる地域は昔どの様なところだったのか理解を深めたいと思い応募いたしました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 鎌倉市の民話を知るため「鎌倉の民話」「玉縄郷土史」「鎌倉こども風土記」などから合計35の物語を調べました。また、内容を6つの種類に分類し、成立時代と舞台となった場所を確認して表にまとめました。鎌倉は古くは行基、弘法大師が訪れ、日蓮宗や禅宗諸宗などとの関連が深い宗教都市としての側面も持つため、信仰・伝説の民話が多いことが分かりました。また、鎌倉時代は内乱が絶えず、後北条氏の時代は里見氏、武田氏、豊臣氏らの侵攻があり、怖い話・悲しい話が多いことも分かりました。
 私は少し方針を変えて、鎌倉駅周辺や市内を散策し、見かけた史跡、縁起などから民話を探しました。そして、若宮大路の一の鳥居の観光案内板で出会った「三代将軍徳川家光の誕生にまつわる霊夢」の話を調べることにしました。
 この物語の主人公である徳川二代将軍秀忠の夫人は於江与の方と呼ばれた崇源院という人です。安土桃山時代から江戸時代初期の人物で、近江の戦国大名浅井長政と織田信長の妹であるお市の方の三女として生まれました。長姉は豊臣秀吉の妻となった淀殿。初め佐治一成と婚約するも、秀吉により離縁させられて豊臣秀勝と再婚し娘完子をもうけたが秀勝が急逝。江戸幕府の二代将軍となる徳川秀忠と3度目の結婚をし、三代将軍家光を含む2男5女をもうけた女性です。名門武将の家に生まれたサラブレッドのような女性ですが、激動の戦国時代で大変苦労をされたことが分かります。そのような中、武将の守り神である八幡さまを信仰し、家族の安全や発展を祈られたのだと想像できます。
 ある夜、崇源院の夢に八幡大神が現れ、「大鳥居を石造に改めなさい。その石は備前の国の犬島にあります」という内容を告げます。八幡さまを厚く信仰する崇源院は霊夢を即座に信じ、備前国に人をやって調べさせました。すると夢の中のお告げどおり大きな石があったためご利益に驚き、鳥居を立て直します。崇源院は無事に家光を出産しますが、鳥居の建造には長い期間がかかり、完成したのは寛文 8 年、崇源院の没年より40年以上も後のことでした。
(今後の課題)
 今回の調査で、地元の色々なところに色々な歴史があり、興味をもって調べれば想像もしなかった物語があることが分かりました。調べるにあたり、地元の方々の話など、もっと深く堀さげることができたのではないかと考えます。人に声がけしてお話を伺うのはハードルが高いのですが、次回調査するときは乗り越えたい課題です。

鶴岡八幡宮 一の鳥居(全体)
鶴岡八幡宮 一の鳥居(年号と関東大震災での倒壊折損跡)

受賞者コメント

 まさか自分が賞を頂けるとは想像もしていなかったので、先生から受賞のお話しを聞いた時には大変驚きました。自分が調べたことを評価して頂き、とても嬉しいです。
 学校の夏休みの課題でコンテストの募集のことを知り、これを機会に地元の昔話を調べ、自分の住んでいる地域が昔はどんなところだったのか理解を深めたいと思い応募しました。 
 地域民話研究部門を選んだのは、子供のころ、昔話を読むのが好きだったからです。また、私の住んでいる地域は、戦国時代に北条早雲が造ったと言われる玉縄城跡などの遺跡や、神社やお寺がたくさんあります。祖母と散歩にでかけると地域の歴史や昔話をしてくれるので、自然に興味を持つようになりました。 
 探究活動をするにあたって、自分の調べてみたいと思う民話を探すことに苦労しました。そのために、図書館に行ってできるだけたくさんの資料を調べ、時代や地域、ジャンルなどの項目をつけて分類することから始めました。実際に物語のあった場所を見に行き、登場人物の歴史的な背景なども調べ、自分なりの文章にまとめることに努めました。 
 この活動を通して、地元の色々なところに色々な昔話があり、興味をもって調べれば想像もしなかった物語があることを学びました。 
 私の住んでいる鎌倉は、神社やお寺がたくさんあります。子供のころからお祭りにいったり、祖母が鎌倉彫をしていたりと、身近なところに伝承文化がありました。そういった体験が、興味をもつきっかけになったと思います。 伝承文化は絶やしてはならない大切なものだと思います。それは、それぞれの地域に暮らしてきた人々が大切に引き継いできたものだからです。今回調べた民話は、信仰や伝説、教訓など、後世に伝えたいという先人の思いが伝わってきます。生きた時代は違っても、自分が住んでいる地域の記憶を先人と共有できることは魅力の1つだと思います。

 【目次(TOP)】【地域文化研究部門(団体)】【地域文化研究部門(個人)】【地域民話研究部門(団体)】【地域民話研究部門(個人)】【学校活動部門】

 

【 佳作 】

「泉小太郎と小泉小太郎
~民話から学ぶ伝承されてきた人々のおもい~」

東京都立国際高等学校 2年 丸山 愛結

 応募の動機

 私はもともと民話に興味をもっていました。そして父の実家である長野松本平では「泉小太郎伝説」がよく知られています。しかし山を隔てた上田、小県地方では民話「小泉小太郎」が伝わっています。題名だけ聞くと似ていますが、内容は全く違っています。そこでこの二つの民話の関係や、どうして長野県民に広く受け継がれてきたのかを考えたいと思い、この活動内容に応募しました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

1、泉小太郎伝説 
 昔、松本、安曇で、犀龍と白龍王との間に男の子が生まれ、現在の長野県松本市中山和泉で誕生しました。小太郎の母は自分の姿が恥ずかしく、隠れてしまいます。そして小太郎は母の行方を尋ねて、無事に会うことができます。母犀龍は小太郎に湖(現在の松本・安曇の平地は湖であった)を破って、水を落として人の住める平地を作るように言い、自分の背中に小太郎を乗せて巨岩を突き破ります。こうして水を長野から越後の海へ流し、現在の松本盆地や安曇平を作ったと言われています。泉小太郎は、湖の水を流し出して人が住めるようにしたという功績から英雄的人物として伝えられているため、長野県内にはいくつもの母の犀龍に乗っている泉小太郎の像が建てられています。今回私もフィールドワークとして実際にその像が建てられているところへ行きました。
2、民話小泉小太郎
 昔、塩田平(現在の長野県上田市)は信濃の中でも最も水に恵まれない土地で、人々は困っていました。そんな時あるお坊さんがとある女性が岩屋に入っていくところを見ました。付いていってみると、女性は大蛇となり変わって、お産をしている最中でした。びっくりしたお坊さんは逃げ、女性はお坊さんに別れを告げていなくなってしまいました。残された子供は洪水に遭い、二里くだった小泉(現在の長野県上田市小泉)村に流されてしまいました。子供はお婆さんに拾われ、小太郎と名付けられました。不思議なことに小太郎が来てから村にはよく雨が降るようになり、塩田平は水に苦しむことがなくなりました。十年後、小太郎はろくに働きもせずお婆さんを困らせていました。ついに怒られてしまった小太郎はたき木を取りに行き、それらを藤蔓で束ねました。小太郎はお婆さんにその藤蔓を解かないように言ったのですが、お婆さんは小太郎の言ったことを聞かずに藤蔓を解いてしまい、たき木の束によって押しつぶされて死んでしまいました。この内容は現在の上田、小県地方に伝わる民話です。調べを進めていくと、上田市(塩田平)は確かに長野県内でも降水量が少ない地域であり、物語の冒頭の信濃の中でも特に水に恵まれない土地だったという部分と一致することがわかりました。
3、二つの物語
 このふたつの物語の名前は似ていますが、具体的な物語はガラッと違います。それでも私がこの話に関連性があると思った共通点は「水」です。冒頭はどちらも水不足に悩まされていましたが、どちらも小太郎によって水不足が解消されています。この二つの物語が長野県に広く伝わるのは、「水と耕作の大切さ」を伝承していくためではないかと思いました。昔から水があるところで文明が起き、人が集まり、やがて町ができ、栄えていきます。この二つの物語からも水は大切であることがとてもよくわかります。自然環境の維持からも水を大切にしてきた歴史はこれからの時代にこそ継続されなければならないと思います。
4、今後の課題
 今回は長野県に注目して調べを進めてきましたが、泉小太郎や小泉小太郎と似たような物語は他の地域でもたくさんあるのではないかと思います。もっと視野を広めて研究を進めたいです。これからもフィールドワークは続けていきたいです。

長野県安曇野市の穂高神社の像
長野県松本市の像

受賞者コメント

 昔から民話について興味を持っていて、私が小さい時から祖父母から今回のテーマにしていた民話を聞いていました。そしてこのコンテストをきっかけに調べてみると、実は同じようなストーリーではあるが、題名の違う民話を知り、興味を持ったため調べました。 
 民話なので、地域によって描写などが少しずつ異なってくるので、この民話に関する本はできるだけ多く読み込み、どうして違いがあるのかや、その民話の伝わっている土地の特徴は何かあるのか、など多くのことについて調べることがとても大変でした。 多くの資料をまとめ、自分なりの考察を考えるという作業の大変さを通して、情報処理能力が前よりも向上したと思います。 
 小さい時に両親や祖父母から昔話の読み聞かせをしてもらい、それ以来昔話や小説に興味を持つようになりました。地域の資料館に行くと、様々なその地に根付いてきた民話を知り、もっと他の民話を知りたいと思うようになりました。そのためよく民話に関する本を借りるようになりました。また、伝承文化について多く書かれていた小説を読んだことをきっかけに、民俗学についても興味を持つようになりました。 
 今回民話について調べる過程でも、民話は伝承した土地の特徴や歴史などが深く関わっていることを知りました。どこの地域にも必ず伝承文化はあり、それは昔から根付いて来たもので、その土地に住む人々とはとても深い関わりがあると思います。そのため、伝承文化はとても人々と近しい存在だと思います。 
 伝承文化の中には若い人手がないことによって伝承することが不可能になってし待っているものがあると聞いたことがあります。長い年月や人々とともに変化してきた伝承文化がこの先も伝承され続けるようにもっと人手を増やすことが重要だと思います。昔から継承してきた多くの人々の思いが詰まっていることが伝承文化の魅力の一つだと思います。そのため、その思いをこれから先も伝承していくことが必要だと思います。

【目次(TOP)】【地域文化研究部門(団体)】【地域文化研究部門(個人)】【地域民話研究部門(団体)】【地域民話研究部門(個人)】【学校活動部門】

      ■審査員講評も参考にしよう!地域民話研究部門 講評