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地域文化研究部門(個人)

 最優秀賞・折口信夫賞 
 エイサーに学ぶ伝統文化の継承~園田青年会と宮里青年部への聞き取りを中心に~
  沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 2年 盛根 悠生
 
 優秀賞 
 亥の子の概要と中四国地方における比較
  岡山県立瀬戸高等学校 3年 西山 かえで 
 
 「ミシャグジの正体とその信仰の変遷
  長野県須坂高等学校 3年 能勢 海斗
 
 佳作
 伝統行事を継承していくために私たちにできることとは
   ~伝承された行事と伝承されなかった行事の違いから考える~
  東京・晃華学園高等学校 2年 伊藤 芹
 
 「大島紬の伝承
  鹿児島県立大島高等学校 3年 信島 拓志

     ■審査員講評も参考にしよう!【 地域文化研究部門 講評 】

 

【 最優秀賞・折口信夫賞 】

「エイサーに学ぶ伝統文化の継承
~園田青年会と宮里青年部への聞き取りを中心に~」

沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 2年 盛根 悠生

応募の動機

 学校の勉強以外にも多くの時間を割ける高2の夏、何か新しいことに挑戦したいと考えていたところ、担任の先生からこのコンテストの案内を受けた。私は自分の住む地域が大好きですが、中学から少し離れた学校に通っていたこともあり、詳しく知らない部分が多くあったため、地元について学ぶきっかけになると思い、応募に至った。

研究レポート内容紹介・今後の課題

エイサーとは、沖縄本島およびその周辺離島で、旧暦七月の盆の時期に先祖供養のために地域の若者達によって踊られる芸能である。
 この研究では、沖縄市を代表するエイサーのひとつである園田青年会と、43年前に中断するも、5年前に復活を果たした宮里青年部という対照的な2つの青年会への聞き取りをもとに、【どのように伝統を継承しているのか】【伝統継承の上で大切なことは何か】【エイサーの今後】についてまとめ、考察した。
 聞き取りより、同じ沖縄市という地域でエイサーを踊っている団体でも、人が入ってくるきっかけや資金源、踊り手の意思に違いがあることがわかった。園田青年会は、長年続いてきた伝統と、それを引き継ぐプライドがその根幹となっている一方、宮里青年部は、地域に密着しているのが特徴的であった。以下、調査によって得られた考察を整理する。
【どのように伝統を継承をしているか】
 園田青年会への聞き取りより、先輩から後輩への現役同士の指導に加え、60代のOBからの指導も行うことで、昔からの型をそのまま保つことができている。
【伝統継承の上で大切なこと
⑴ 地域からの信頼
  ウチソト意識が強い沖縄県において、字ごとのエイサーは、地域間の意識に直接影響を与える。エイサーは大きな音や交通整備を伴うため、地域の方の理解なしにはできない。
⑵ 踊り手への配慮 
 昔は、各青年会にエイサーに参加しなければ罰則という制度もあったが、今は両青年会共に踊り手への負担を配慮して活動している。このような変化の背景には、昔と比べ娯楽が増えたことがあると推測する。
⑶ 記録に残すこと
 宮里青年部は復活に際して、43年前に活動していた頃の記録がなかったため、楽譜と歌詞、踊りを準備するのに1年を要した。伝統を次世代に継承していくために、曲や踊りを記録に残していくべきだ。
【エイサーの今後について】
 最も重要な課題は騒音問題だ。一夏の間、練習は22時頃まで続き、旧盆の際には夜2~3時まで演舞をすることも多い。地域からの信頼が絶対不可欠なエイサーにおいて、青年会と地域の折り合いが求められる。
 また、「若者の学びの場」としての新たな側面を持ちつつあると考えられる。青年会には血気盛んな若者が多く集まるため、トラブルも多く起こるが、同時に縦や横のつながりを作り、地域と関わっていくことで、踊り手は多くのことを学べるはずだ。
 今後は、騒音問題について、県民の意識や各青年会の対策を調査したり、現在活動を中断している青年会の経緯などを調べたりして、エイサーの発展につながる活動をしていきたい。

園田青年会のエイサーの様子
宮里青年部のエイサーの様子

最優秀賞の受賞者コメントは近日公開!

 

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【 優秀賞 】

「亥の子の概要と中四国地方における比較」

岡山県立瀬戸高等学校 3年 西山 かえで

応募の動機

 母が小学生の頃、亥の子という行事をしていたが少子化の影響で廃止になってしまったという話を聞き、学校の総合的な探究の学習で亥の子について調べてみたいと思いました。このコンテストは学校のキャリアコンシェルジュから勧められ、亥の子を多くの人に知ってもらいたくて応募しました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 私は亥の子を再生・復活させることを最終目的に活動しています。今回の調査ではその一環として先行研究の整理、現状把握のアンケート調査、文献調査などを実施しました。
 最初の亥の子は中国の俗信に由来し、朝廷で亥の子は臣下が天皇から餅を下賜され食べるという行事でした。それは幕府・武士でも足利義満の頃から本格的に取り入れられ、将軍から家臣、天皇や公家に餅を贈るという行事が江戸時代終わりまで続けられました。村では田の神信仰などと融合し全く別の発展を遂げたと言われています。またそれが現在の亥の子のルーツにもなったと考えられています。まず初めに岡山の亥の子の把握に努めました。文献調査から旧暦10月の亥の日に実施することが多いことがわかりました。子ども達が「今夜の亥の子祝はん者は、鬼産め蛇産め、角の生えた子を産め」(浅口郡誌)のような亥の子唄を歌いながら縄を四方八方に括り付けた亥の子石や藁を紐で巻いたものを地面に叩きつけます。地域を巡り、各家の庭でこれを行います。映像資料から地搗きをしてもらった家はお金などを与え、子ども達はそれを分け合うことがわかりました。またアンケート調査からお礼にはお菓子やカレーライスを振る舞う地域もあることがわかりました。この行事は豊作や子孫繁栄を願う、土にいる霊を懲らしめる、田の神が別れを告げ山に帰ることを象徴するためだと言われています。また縄が切れたり、地面に大きな穴が出来ると縁起が良い、この日にコタツを出せば火事が起きないという伝承もありました。
 次に中国地方で比較すると、岡山県と同様の亥の子唄が多いことが確認できました。一方四国地方では「お亥の子さんという人は一に俵をふまへて二ににつこり笑つて三に酒を造られて四つ世の中よい様に五ついつもの如くなり六つ無病息災に七つ何言ない様に八つ屋敷を打拡け九つ小倉を建て並べ十でとつくり治つた」(市場町史)という数え唄の形式が多いことがわかりました。また新婚は亥の子を祝うと男の子が生まれると言われ特に手厚くもてなすという伝承があります。
 今回の調査ではフィールドワークが実施できず、文献調査も不十分になってしまいました。また地域間の違いや村に亥の子が伝わった経緯、田の神信仰と融合する過程に新たに疑問を持ったので更に重点を当て調査したいと考えています。調査を進め、ぜひ亥の子の再生・復活を実現させたいと考えています。

亥の子石を所有する総社宮
亥の子石を保管している倉庫

受賞者コメント

 興味を持って調査をした成果をこのように評価をしていきただきとても嬉しく思います。家族、担当教諭、アンケート調査や資料収集に協力してくださった方々の手厚いサポートのおかげですので、感謝を伝えたいです。また今回の評価や講評をもとに更に調査を改善・発展していきたいと思います。 
 学校のキャリアコンシェルジュから紹介され、総合的な探究の活動であるDラボで研究した「亥の子」をたくさんの方に知ってもらうと同時に、調査の結果を専門家に評価していただきたいと思い応募しました。
 母が小学生の頃、亥の子という行事をしていたが少子化の影響で廃止になってしまったと小さい頃から聞いていました。そのことがずっと心に残っていて、総合的な探究の活動で自分の興味関心を深めることができる機会があり亥の子ついて調べてみたいと思ったのがきっかけです。また亥の子をはじめとする伝承文化を継承してきた方々が高齢化し、実際に触れて調査をできるのはあと十数年しかないかもしれないというお話に、更に駆り立てられました。 
 私の最終目標は亥の子の再生・保存をすることです。私は実際に亥の子を体験したことがないので、まず亥の子がどんな行事で、どんな特徴があるのか、知ることを重要視しました。グラフを作成し、視覚的に見やすくすることを工夫しました。また中四国6県の亥の子に関する情報を収集することに苦労しました。 
 探究活動を通して自分の進路が明確になりました。元々なんとなく伝承文化や地域創生に興味があったのですが、調査で多くの方にふれあい、亥の子を知っていくことで、もっと亥の子について知りたい、亥の子をはじめとする伝承文化を通して地域をより良くしたいと思うようになり、大学では民俗学を専攻したいと思うようになりました。 そして、伝承文化はいかに人と人との関わりが大切であるかを学びました。伝承文化は時代を超え、様々な人々に継承されながら現在に存在しています。また探究活動では家族、担当教諭、資料収集やアンケート調査に協力してくださった方々など多くの方々との交流が不可欠でした。更にフィールドワークでは地域の方々との触れ合いが重要になります。探究活動を通して、人と関わりの大切さや伝承文化の持つ人々をつなげる力を実感しました。 
 小学校6年生の夏休みの自由研究で童謡について調べ、その暗い歴史背景や意味に衝撃を受けたことがきっかけで、その後、御朱印集めや地元の城跡の清掃活動、博物館の学芸員体験など古いものに触れる経験を通して、更に強く伝承文化に興味を持つようになりました。
 私の住んでいる地域では地域の祭りが多く、伝承文化を小さい時から身近に感じてきました。小学生や有志の大人たちがお御輿を担ぎ、地域を練り歩く秋祭りや神社の祭りが毎年開催される一方で、お神輿の担ぎ手や舞姫不足から少子化や伝統離れを感じます。  
 私は伝承文化を継承できることは権利だと思います。私達は現在、伝承文化に触れることができます。しかし私達が継承を止めてしまえば将来の子ども達は伝承文化の良さ、先人たちの知恵、長い歴史を受け取ることができません。それは私達が子ども達の権利を奪っていると私は考えます。伝承文化を継承し、繋げていくことは将来世代の子ども達の権利や可能性を守るためとても大切だと思います。また伝承文化は継承の中で時代や地域によって変化し、様々な歴史を培いながら、これからも変化していくという点に魅力を感じます。 

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【 優秀賞 】

「ミシャグジの正体とその信仰の変遷」

長野県須坂高等学校 3年 能勢 海斗

応募の動機

 長野県の諏訪地域から興った民間信仰がある、ということを私は高校二年の探究の授業で知った。これは「諏訪信仰」と呼ばれている。それから諏訪信仰について一年間調べてきた。その後、新しく文献を読み、新たにフィールドワークを行った。このレポートでは今までの調査内容と、稚拙ではあるが、私自身の考察について述べていこうと思う。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 諏訪では縄文中期から「ミシャグジ」と呼ばれる土地の精霊が信仰されていた。だが、その正体は未だに明らかになっていない。柳田國男はこれを「境の神」と考えたが、別の著書では「木の神」と述べた。中山太郎は「酒の神」、伊藤麟太郎は「稲の神」であると述べた。
 なぜミシャグジは祀られてきたのか。藤森栄一は、土器などの分析から、縄文中期には狩猟・採集のみでなく、農耕が行われていたという。農耕の発達に伴い、人々には地力の持続への不安があったのだろう。当時の人々は農耕には、雨や太陽の力の必要性に気付いており、大地にそれらを集めようとしたのではないか。これは、大地に雨や太陽の力を「集める」=「降ろす」ということになる。それらを降ろすためにミシャグジを祀っていたのではないか。
 ミシャグジを降ろすための依り代は石棒であった。縄文中期には性崇拝が存在していたのである。北村皆雄は、狩猟鳥獣の繁殖、もしくは自分達の繁栄を願うためではないかという二通りの見解を述べた。だが、この性崇拝には農耕に対する意味もあったのではないか。ここに注目すると、私は、ミシャグジが「農耕」と「性」の二者の媒介者、もしくは直接影響を与える存在であったと思うのである。
 では、次にこの信仰の庶民の捉え方と変遷を見ようと思う。ミシャグジは、これまで見てきた通り、農耕や狩猟、そして自らの繁栄に対する恵みをもたらす存在として、庶民から感謝される存在であったのではないか。一方で、このミシャグジを取り仕切る神長官という役職の守矢家以外の人物のミシャグジへの接触は禁じられ、もし触れたならば祟りが下るとも言われていた。庶民はミシャグジへの感謝と同時に、畏怖があったのではないか。
 しかし、なぜか現在の諏訪信仰ではミシャグジの影は皆無に近い。諏訪ではかつて「御室」と呼ばれる竪穴式の部屋で行われる「御室神事」があった。田中基は、これは原始農耕儀礼だという。この御室神事では神長官と降ろしたミシャグジの「容器」とするための少年がそこで神事を行い、これが終わると少年はミシャグジが身体に入った神使(おこう)となって御室から出てくる。その後大規模な饗宴が行われ、饗宴が終わると神使は殺され、土に埋められる。そして神使は稲となって蘇生する。この事を当時の人々は堅く信じていた。だが、このように幼い子どもを殺すことは現代の倫理観に合わない。こうした理由からミシャグジは現在では殆ど見られないのだろう。
 今回、このような世の中の風潮と大きく関わった信仰の変遷を見ることが出来、非常に興味深かった。これからは民間信仰だけでなく、民具や方言などの変遷も見る事が出来れば非常に面白いと思う。

折橋子之社の精進屋
長野県茅野市 御頭御社宮司総社

受賞者コメント

 自分が興味を持った分野のレポートをこのように評価して頂いたことを非常に嬉しく思っております。これを励みに、これからも精進して参りたいと思います。  
 長野県の諏訪地域には「諏訪信仰」と呼ばれる一種の民間信仰があり、様々な民俗学者が目を向けていました。そこで、私もこの民間信仰について調べてみようと思い、調査を始めました。 
 自分の欲しい文献が少々手に入りづらかったり、フィールドワークでは目的地になかなか辿り着けなかったりするなど、調査をする上では非常に苦労しました。しかし、文献での調査を行う上では、様々な学者の考え方や意見に触れたかったため、出来る限り多くの著書を読むという点において工夫をしました。 
 フィールドワークを行い、実際に現地に足を運ぶことで、自分が調査している事についてのイメージを明確に持つことが出来ました。そうした経験から、フィールドワークの重要性に気付くことが出来ました。 
 中学生の頃、民俗学をテーマとした小説である「始まりの木」(夏川草介・小学館)を読み、民俗学に興味を持ちました。その後、柳田國男や折口信夫、中山太郎などの様々な民俗学者の著書を読むにつれて、より一層民俗学に惹かれ、伝承文化にも興味を持ちました。 
 残念ながら、伝承文化はあまり身近には感じられておりません。そのようなものが軽視される世の中になってきているのではないかと近頃考えるようになりました。しかしながら、過去の日本人がどのような事を考え、生活していたのかを知ることは、これからの日本を形成していく上で何らかの役に立つはずであると私は思っております。正に「歴史に学ぶ」ということが重要なのではないでしょうか。 
 民間信仰について言うならば、現代では人々の信仰心は昔に比べて薄れてきており、それを必要とする人も減ってきていると思います。しかし、心の拠り所としてそれを必要とする人も少なからずいるはずです。そのような人々の為に伝承文化を継承していかなければならないと思います。私の考える伝承文化の魅力は、当時の人々の思想や生活がよく表されているという点にあると思います。そこが伝承文化の非常に魅力的で興味深いところです。 

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【 佳作 】

「伝統行事を継承していくために私たちにできることとは
~伝承された行事と伝承されなかった行事の違いから考える~」

東京・晃華学園高等学校 2年 伊藤 芹

応募の動機

 私が通っている学校では、中学2年生から高校2年生にかけて各自が設定したテーマで課題研究に取り組み、コンテストに応募するという活動があります。校内では伝承文化というテーマで課題研究に取り組んでいる生徒は少なく、そのため私は地域や伝承文化に関するコンテストに是非応募したいと強く考えていたところ、本コンテストを見つけ、応募させていただきました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 ハロウィンなどメディアを媒介として、近年になって普及した年中行事は、地域を主体とした伝統行事が消滅する中でも高い実施率を誇り、いまや年中行事の代名詞となっているものも少なくありません。ですが、私は長い年月をかけて、多くの人と人とが関わり合い、継承されてきた伝統行事を今後も継承していくべきだと考えています。現代において選択される伝統行事の歴史や普及の過程から今後、未来に向けて伝統行事をどのように継承していくべきか考えることを試みました。具体的には、国東の修正鬼会(大分県国東半島)、伏屋の獅子芝居(岐阜県羽鳥郡岐南町)、五山送り火(京都府京都市左京区)を現代まで継承されてきた「伝承された行事」として、宇津々杖踊り(大分県佐伯市宇津々地区)を現代まで継承されず消滅してしまった「伝承されなかった行事」として取り上げ、行事の始まり、継承方法、継承における課題の3つについて考察しました。事例の考察を通し、以下の4つのことが伝統行事を継承していくために大切であると分かりました。
 ① 現代を生きるわたしたちが伝統行事に対して関心を持ち、その魅力を広げ、多くの人に伝統行事を知ってもらうこと。
 ② 昔から継承されてきたものを時代や社会の変化に対応させながら、伝統行事の継承を行なっていくこと。
 ③ 実際に若い世代に伝統行事を体験してもらい、魅力や迫力を肌で感じてもらうこと。
 ④ 地域の過疎化や人々の高齢化などの地域課題に対策できる地域をつくること。
 その後、伝統行事を継承していくために私にできることは何か考えました。コロナウイルス感染拡大の影響で実際に現地に出向くことが難しく、人々の意識や考え方を変化させることではなく、地域の環境保全について考えることが私にできることなのではないかと考え、④に対するアプローチをしました。そこで、調布市、共立女子大学、晃華学園中学校高等学校を中心に行われたプロジェクト「~15年後の我が家へ~住まいのフォトレター展」のプロジェクトの運営活動に参加しました。本プロジェクトでは、近年、地域課題の一つとして問題視されている空き家問題に注目し、多くの人に家の存在価値や存在意義を改めて感じてもらうきっかけづくりに励みました。私自身、全国各地で行われている伝統行事をテレビで報道されるニュースや新聞記事などで目にはしていたものの、民俗文化に縁がない自分にとっては身近なものではなく、ハロウィンなどの近年になって普及した年中行事の方が親しみやすいと感じていました。わたしたちは暮らしている地域によって、民俗文化に縁がある人もいれば、縁がない人もいます。一人一人の置かれている環境では、伝統行事を継承していくために何ができるのか、改めて多くの人に考えてみてほしいと思います。時代を越え、守られ続けてきた伝統の色を色褪せないために、自分も伝統を受け継いでいく担い手の一人なのだという自覚を持ち、自分にできる継承のカタチをこれからも考え続けていきたいと思います。

プロジェクトメンバーとの話し合いの様子
プロジェクト実行委員として携わった~15 年後の我が家へ~住まいのフォトレター展(調布市より)

受賞者コメント

 この度は佳作に選んでいただき、ありがとうございます。3年間の探求活動を通し、このような結果を得られたことをとても光栄に思っています。選考に関わった皆様、研究をご指導していただいた先生方、両親に心より感謝申し上げます。
 私が通っている学校では、中学2年生から高校1年生にかけて各自が設定したテーマで課題研究に取り組み、コンテストに応募するという活動があります。校内では伝承文化というテーマで課題研究に取り組んでいる生徒は少なく、そのため私は地域や伝承文化に関するコンテストに是非応募したいと強く考えていたところ、本コンテストを見つけ、応募させていただきました。 
 皆さんは,毎年10月31日になると、テレビで多くの仮装姿の人で賑わう渋谷・スクランブル交差点の中継が放送されるのを目にしたことがあると思います。ハロウィンなどメディアを媒介として、近年になって普及した年中行事は、地域を主体とした伝統行事が消滅する中でも高い実施率を誇っています。私はなぜ現代の日本においては伝統文化ではなく、異文化が好まれるのかについて考えてみたいと思いました。また、同時に伝承文化を今後も継承していく意義についても考えたいと思いました。 
 伝統文化そのものの意義や存在価値について考えることはあまりにも抽象的であったため、最初は具体的にどのようなことを調べていけば良いのか悩みました。そこで、伝統行事に関する先行研究を複数読んでみたり、学校の先生と相談しながら研究の方向性を決めていきました。また,民俗文化に縁がない自分が実際に伝統文化のためにできることとは何かという問いにとても悩みました。研究を通し、伝統を継承していくためには、伝統そのものだけではなく、周囲の環境も継承に大きく関わるということを学び、通っている学校がある調布市の地域に関するプロジェクトに参加し、自分自身の考えを深めました。 
 探求活動を通し、学んだことは,知ることや実際に体験してみることにこそ価値があるということです。私は全国各地で行われている伝統行事をテレビで報道されるニュースや新聞記事などで目にはしていたものの、民俗文化に縁がない自分にとっては身近なものではなく、ハロウィンなどの近年になって普及した年中行事の方が親しみやすいと感じていました。ですが、本研究で伝統行事について詳しく調査したことで、改めて伝統行事の魅力を感じることができました。 
 社会情勢や人々の考え方などが目まぐるしく変化する中で、伝統文化は色褪せずに,今日まで継承されていることにとても魅力を感じていました。そのため、探求活動を通し、伝統文化について詳しく知り、自分の考えを深めたいと考えていました。
 私はあまり伝統文化を身近に感じることができていません。民俗文化に縁がない自分にとっては、伝統文化は日常生活の中に溶け込んでしまっており、「当たり前」な存在の一つであるように感じてしまっています。 
 わたしたちは暮らしている地域によって、民俗文化に縁がある人もいれば、縁がない人もいます。一人一人の置かれている環境で、伝統行事を継承していくために何ができるのか、改めて多くの人に考えてみてほしいと強く思います。時代を越え、守られ続けてきた伝統の色を色褪せないために、自分も伝統を受け継いでいく担い手の一人なのだという自覚を持ち、自分にできる継承のカタチをこれからも考え続けていきたいと思います。 

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【 佳作 】

「大島紬の伝承」

鹿児島県立大島高等学校 3年 信島 拓志

応募の動機

 高校1年生のころから、大島紬についての探究を行ってきて、3年間の締めくくりとして、自分がやってきた探究の成果をコンクールに応募して発表したかったため。大島紬の需要が低下してきている現在、この探究をきっかけとして自分の作品を見た人が少しでも大島紬に興味をもって欲しいと思ったため。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 探究を始めるにあたり、初めにインターネットで大島紬の課題点について調べた。そこで自分が疑問に思ったことや発見について、地元の大島紬産業に携わる方々に対してインタビューを行った。インタビューを通して、新たな発見があり、大島紬復興の解決策は若者の大島紬に対する、興味・関心を引きつけることが大事だと考えた。そこで私は、まず初めに鹿児島県に住んでいるSNS 利用者を対象に、2022年11月から2023年1月までの期間、Google フォームを用いて、大島紬に関するアンケートを行った。アンケート結果から、若者が購入しやすい価格やあったら購入したい大島紬商品をまとめ、実際に地元の大島紬産業従事者の方と商品を企画し、学校の文化祭で販売した。打ち合わせの初めの段階では、ミサンガ、キーホルダー、お守りケースをメインで考えていたが、時間や都合上上手く進まず、最終的に販売した商品は、お守りケースを新たに開発し、シャープペンシル、本の栞は既存のものに違う生地を用いて制作したものである。文化祭には多くのお客さんが購入してくれた。そして、文化祭後、購入した方にアンケートを行った。購入者の意見として、日常で使えるものだったから購入したという意見や、イベントだったから購入したという意見があり、意見をまとめると、大島紬購入者増加へのカギは、イベント等での出品、販売が効果的で、手頃な値段で日用品とコラボした商品を開発することが大事だと感じた。今後は低価格・大量生産できるシールや絵葉書をお土産店などで販売出来たらいいなと考えている。というのは先日クルーズ船が来島した時に外国人の方が探していたからだ。最後に、大島紬の需要が低くなっている現在、生産者の高齢化、後継者不足が進み次の世代へ大島紬の伝統を引き継いで行くことが出来るか懸念されている。この問題を解決するためには、若者が大島紬に興味・関心を持ち、引き継いでいかなければならない。そのためにも、まずは私たち高校生にも手に取りやすいような価格で商品を販売することが需要を高めるための1歩だと考える。

実際に販売した商品1
実際に販売した商品2

受賞者コメント

 佳作に選ばれるとは思っていなかったので、3年間一生懸命探究を進めて来てよかったと思います。
 学校の授業で自分が興味のある分野を探究するというテーマの授業で、奄美大島といえば大島紬が思い浮かんだが、具体的なことを知らなかったため、知りたいと思い、調査・研究しました。 
 大島紬について探究を進めてきて、何かコンテストに応募出来るものがないか探しこのコンテストに応募しました。 
 探究活動をするにあたって重視した事は、多くの産業従事者にインタビューをして、連携をとったことです。苦労した点は、アンケートを様々な年代の方に答えてもらったことや商品の企画、販売の際に企業の方との連携に手こずったことです。 
 大島紬の生産工程には多くの人が携わっており、時間をかけて丁寧に作られています。従事者の方は、需要が停滞して、後継者が不足している中で、様々な工夫をしています。 
 探究活動は、地域の歴史を知る上で最も重要だと感じた。また、その土地独自のものもあるので、面白いと感じました。 
 その土地独自の文化を継承していくことは、過去の歴史を学ぶことであり、また、後継していくことで、新たな文化が生まれる可能性があります。 

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