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地域民話研究部門(団体)

  最優秀賞 
  「伊予の国小野谷に残る小町伝承の謎を解く3~第二の小町伝承を求めて~
   愛媛県立松山北高等学校  郷土研究部
 
  優秀賞 
  浜松市天竜区鹿島に伝わる不思議な金貸水神伝説の起源
    ーなぜ「水神様が病気を担保にお金を貸す」のかー
   静岡県立浜名高等学校  史学部
 
  佳作 
  「和泉地区発・青葉の笛をつなぐ~義平とおみつ 乱世に咲いた恋~
   福井県立大野高等学校  JRC「結」
 
  「紀南地域における河童伝承
   和歌山県立田辺高等学校  河童倶楽部

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【 最優秀賞 】

「伊予の国小野谷に残る小町伝承の謎を解く3
~第二の小町伝承を求めて~」

愛媛県立松山北高等学校  郷土研究部

応募の動機

 これまで松山市小野谷地区を中心に、地区の方々の御協力を得ながら、聞き取り調査を中心に研究を進めてきましたが、小町伝承は全国的に伝播している伝承であるため、以前から全国的視野での調査をする必要性を感じていました。そこで今年度は、他県に伝わる小町伝承についても精査し、全国的視野から小野谷の小町伝承についての解明を図りました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 私たちは、まず、小町伝承の伝播者について考察しました。伝承の伝播者は寺院の宗派および本尊に関係なく全国の寺社に小町伝承を伝えていたという調査結果から、伝播者の宗教性が薄いことが分かり、「小町と薬師如来の霊験談」を伝えた語り部は、薬師信仰を広めるという宗教的目的よりも、小町伝承を村々に入る手段として活用し、むしろ、旅する中で日々の生計を立てるために全国を流浪していった可能性が高いと推測しました。そこから、私たちは、梅元寺および全国の寺社に小町伝承を伝えた伝播者は、名もない俗聖の女性であったのではないかと結論付けました。
 次に、小野谷に小町伝承が伝わった時期について再検討し、伝承の伝播時期は、小町伝承の重要構成要素である「南無薬師の歌」伝承の伝播状況をたどれば解明できると考えました。まず、全国に伝わる小町伝承の成立時期は、最古の「南無薬師の歌」伝承の記録である安楽庵策伝和尚の『醒睡笑』が京都で発刊された寛永五年(1628)以降だと考えられます。また、『伊予温故録』という明治時代に編纂された地元の地誌の「正観寺」の項には、「天和元年、村民の望に依て今の地に薬師を移す、寺号を正観寺と改めたり、」とあることから、松山市小野谷に小町伝承が伝わったのは、小野谷梅元寺の小野薬師が梅元寺から北梅本正観寺に移された天和元年(1681)までの間であると推測され、伝承の伝播時期は寛永五年から天和元年までの53年間に絞られることとなりました。ここに、小町伝承が松山市小野谷に伝わった時期は、寛永年間から天和年間の江戸時代初期であり、この時期に南無薬師伝承および小町伝承が全国に伝播していく流れの中で、小野谷にも小町伝承が伝えられたことが分かりました。
 これまで、私たちは三年間かけて、小野谷地区の方々の協力を得ながら、小野谷の小町伝承の謎解明について挑戦してきました。特に今年は全国的視野からの調査研究を行い、小野谷地区での聞き取り調査のみでは分からなかったことについても解明することができました。また、消えかかっていた小町伝承を復活させようと、地元の小野小学校や、本校の芸術文化発表会にて小野小町の演劇を披露しました。松山地区の幅広い世代の方々に向けて小野小町伝承について知ってもらう良い機会になったと感じています。小野地区では少子高齢化が進み、語り手の減少とともに伝承が消えつつありますが、先人が伝えてきた素晴らしい小町伝承を後世に語り継いでいくために、若い世代としてできうる限りの尽力をし、小町伝承の復活に貢献していきたいと考えています。

小町伝承が伝わる梅元寺(愛媛県松山市小野谷)
小野小町劇上演後の質問コーナー (於 松山市立小野小学校)

最優秀賞の受賞者コメントは近日公開! 

 

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【 優秀賞 】

「浜松市天竜区鹿島に伝わる不思議な金貸水神伝説の起源
ーなぜ「水神様が病気を担保にお金を貸す」のかー」

静岡県立浜名高等学校  史学部

応募の動機

 私達の住む浜松市の天竜区二俣町鹿島地区には、「病気を担保にお金を貸してくれる」という金貸水神が鎮座している。こんなに有難く面白い神様の伝説が、なぜどのようにして生まれたのかについて、ぜひ調べてみようと思い、探究を開始した。今回、その活動の内容と結果を専門家の先生方に見て、評価していただきたいと考え、応募にいたった。

研究レポート内容紹介・今後の課題

 本研究は、私達の地域に伝わる興味深い金貸水神伝説について考察したものである。私達は「なぜ『水神様が病気を担保にお金を貸す』のか」という問いに対して、A「なぜ病気を担保にするのか」、B「なぜお金を貸すのか」、C「なぜ『金貸水神伝説』になったのか」の3つの視点から検証し、次のような結論を得た。
 A なぜ病気を担保にするのか:旧鹿島村で筏問屋を営んでいた田代家の文書や、『水神社取調書』、『二俣町小史』などの記載から、①「金貸水神社の鎮座する浜松市天竜区二俣地区は「あばれ天竜」の流域で渡船業を生業とし、それ故の病気や怪我に関する悩みを解決するために、水神様は病気を治してくれる」ことが明らかになった。
 B なぜお金を貸すのか:先述の「筏問屋田代家」と北遠地方から天竜川を利用して運ばれる林産物から税を徴収する「鹿島拾分一番所」が頻繁にお金を貸していた状況や、この地域に古くからある地域の講員で集まって必要なお金を融通することを目的とする「無尽講」の存在などから、②「浜松市天竜区二俣地区では、様々な場所でお金の貸し借りが盛んであったため、水神様もお金を貸す」と考えられた。
 C なぜ「金貸水神伝説」になったのか:この地域で約50 年前まで行われた祇園祭に着目して住民の方々に聞き取り調査を行い、③「地域住民が病気や怪我、天竜川の脅威から守ってほしいと水神様に祈願し、やがてこの地域の水神様がお金を貸した体でその願いを叶えてくれるようになった」という地域住民にとっての金貸水神の位置づけが確認できた。
 上述の①と②の結論を「借金を返せなかった場合に担保が取られる」という金融の形式にあてはめて、「借金が返せなかった場合に病気が取られる」という形式の願掛けが行われたと考えられる。このことに③を加えて、「『水神様は、昔、金銭面でも衛生面でも生活が大変だった中、家族が病気や怪我などで体調不良になった際には、お祈りすると病気を取ってくれる』という、この地域の人々にとってとてもありがたい存在であった」と結論づけた。
 今後は、「金貸水神がどのように住民の生活に関わっていたのか」について研究していきたい。

かつて水神様の祇園祭に参加された高齢者への聞き取り風景
天竜川の崖の上にある金貸水神社の前で他の部員 とパシャリ

受賞者コメント

 まさか本当に入賞できるとは思わず、なかなか実感が湧きませんでしたが、約2年を費やして作り上げた研究なので、こうして優秀賞という形で実を結べたことを心から嬉しく思っています。また、共に研究活動に勤しんでくれた同じ史学部のメンバーや、ご指導してくださった先生方、研究活動にご協力してくださった地元の方を始めとする全ての方々へ改めて感謝の意を伝えたいと思います。
 研究活動を進めていくなかで、他に類を見ない特徴を持った珍しい伝説をもっと多くの人に知ってもらいたいと思い、応募することにしました。 
 一冊の本を読んだことが研究のきっかけで、水神社の存在自体は通学する度に見かけていたので知っていましたが、伝説の存在までは知らなかったので、その内容のユニークさに驚きました。「病気を担保にお金を貸す水神」という話ができた背景を知りたいと思い、研究をはじめました。  
 今まで金貸水神は研究されてきておらず、現代の出版物には伝説のみが掲載されています。また古い史料には「旧神主の家が水難に遭い、古書が流失した」という記述があり、伝説以外の情報がなくかなり苦労しました。 「可能性が低い」と言われた仮説や史料も、すべて確認し取りこぼしがないように工夫しました。また、収集した資料から情報を取捨選択し、情報同士を関連づけるにあたって、考察を交えつつもそこに矛盾が無いようにすることを大切にしました。論文の結論は納得のいく表現になるまで仕上げ、さらに読みやすくするために、文体を整えることにも気をつけました。 
 この研究を通して第一に学んだことは、人と人との縁の大切さです。仲間がいなければここまで本格的な研究活動はできなかったと思います。研究していく中で地元の人々の営みも垣間見えたことで、人と人同士が支え合って生きていく温かさにも触れました。 また、古文書や候文を読む力、探求力や表現力も高まったと思います。 
 私の地元は山と川に囲まれた自然豊かなところで、その自然にちなんだ摩訶不思議な伝説が数多くあります。小学生が地元の伝説を劇で伝えていく様子や、幼い頃からそういった伝説に触れる機会があったため、地元の伝説という伝承文化はとても身近な存在に感じます。 情報化社会である今だからこそ、伝承文化を継承していく必要があると思います。
 伝承文化を継承することは、先人たちの考えや知恵、技術などを活用するためや、心の拠り所として機能するための第一歩となるのではと思います。
 伝承文化という一概には形にしにくいものには、現実的な価値がないと考える人もいるかもしれません。しかし、かと言って決して廃れさせてはいけないものだと思います。埋もれた伝承文化を掘り起こすことで、時代を超えて人と人が繋がることもあります。そして、そこから伝承文化を広めていくことで、さらに次の世代へと繋げていくこともできます。
 伝承文化の魅力は、地域差や共通点があることだと思います。また、一見関係がないように見えるものでも繋がっている場合があることも、魅力の1つだと思います。時代も人も選ばず、伝説や生活など、様々な形で繋がることができるのが伝承文化の最大の魅力だと思います。  

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【 佳作 】

「和泉地区発・青葉の笛をつなぐ~義平とおみつ 乱世に咲いた恋~」

福井県立大野高等学校  JRC「結」

応募の動機

 私たちの市には「青葉の笛」伝説があり、全国唯一の「笛資料館」もあるが、今年度で廃止されることが決定した。サークルで笛の技術を継承している生徒も3年生になり引退を控え、この美しい民話の伝承が途絶えてしまうのでは、と危機感を抱いた。笛伝説を広く発信し、知ってもらうことで伝承の助けになる活動ができないか考えた。

研究レポート内容紹介・今後の課題

1.落人の隠れ里
 福井県大野市の東南に位置する和泉地区は、九頭竜川の上流にあり9割以上が森林である。岐阜県に隣接し、古くから美濃と越前を結ぶ交通の要の地だった。そのため源氏や平氏に関わる伝説を残している。「青葉の笛」伝説はその中でも史実である可能性が高い。
2.青葉の笛伝説
 平安末期、源義朝の長男である義平は、悪源太(勇ましい源氏の長男)とも呼ばれ、若くして武名を轟かせていた。源頼朝や義経とは異母兄弟にあたる。
 平治の乱(1159年)で敗れた源氏が関東へ逃れる際、途中ではぐれた義平は、母の生地である福井県足羽の奥、山深い朝日の里(和泉地区)に落ち延びた。村長の娘「おみつ」が身の回りの世話をするうちに二人は恋に落ち、おみつは子を宿した。義平は朝日の里でこのまま静かに一生を過ごすことも考えたが、父・源義朝の死を知り、京に上り仇を討つことを決意した。別れ際、身重のおみつに形見を託した。「もし生まれて来る子が男ならば、いずれ源氏の嫡男として京に上り旗揚げさせよ」と一振りの太刀と白旗を残し、「もし生まれて来る子が女子であったら、この山里で母娘ともども静かに暮らし、時々この笛を吹いて自分を偲んでほしい」と、一管の横笛を残して去った。
 京に上った義平は、永暦元年(1160年)に捕えられ、六条河原において処刑された。村に残ったおみつが生んだのは、女の子だった。義平の死を知り、形見の笛を吹いて過ごし、子孫に笛を伝えた。
3.現存する「青葉の笛」
 伝説の笛が今に伝えられ、義平の子孫とされる朝日家に代々受け継がれている。笛の箱板にも義平の存在が書かれ、義平からの家系図も残されている。現在、38代目の子孫の方が笛資料館の案内を担当され、篠笛作りや音の出し方を教えてくれる。
4.音頭「質調衣ちょい」
 地区に伝わる民謡「質調衣ちょい」という音頭の歌詞にも「みなもとうじの 家の嫡男義平様の 残し給いし青葉の笛を」とあり、義平や笛が唄い込まれ、今も踊り継がれている。
 義平が妻子に残した笛と美しい伝説が、800年経った今でも残っている。これは、郷土の史実であると私たちは信じたい。
5.今後の課題
 現在、地区では「青葉の笛保存顕彰会」が活動し、全校生徒11名の「和泉小学校」では児童が伝説を学び、篠笛を作り、演奏技術を教わっている。大野高校にも和泉地区から進学し伝説と技を継ぐ生徒が少数いるが、年々その数が減っており途絶える可能性さえある。
 継承のために、私たちは文化祭で篠笛の演奏と紹介などを試みている。今後はさらに、講談で伝説を演じるなど、青葉の笛を広く知ってもらい継承できるように活動を続けたい。

義平とおみつ像(笛資料館前)
青葉の笛(手前)とレプリカ(奥)箱板
文化祭・篠笛とカホン演奏

受賞者コメント

 この度は、大きな賞をいただきありがとうございます。私達のサークルは昨年から「つなぐプロジェクト」という多世代交流や伝承文化継承の活動を始めました。このコンテストの受賞をきっかけに、地域の「青葉の笛伝説」を多くの人に知ってもらい継承できるように活動を続けていきたいです。 
 ここ数年、私たちの市は人口減少や少子高齢化のため、様々な分野の地域の伝承文化が廃れていっています。また、コロナ禍により昔から続く祭や寄り合いが中止になり、祭や会食で食べる郷土料理が継承されず、昔から伝わる歌、演奏、踊りが制限されました。今年はやっと祭が再開され、この機会に笛伝説や源義平にまつわる歌、踊りを知ってもらおうと思いました。 
 昨年の文化祭の際に、サークルの先輩が和泉地区出身で篠笛の技を継いでいると知りました。私たちはステージで笛とカホンの和洋アンサンブル演奏を行ったのですが、「青葉の笛」伝説について興味をもち、地域にこのような歴史ある美しい伝説が残っていることに感銘を受けました。 
 卒業生や先輩に直接話を聞いて様々なことを教えていただきました。調査・研究にうかがった先の資料館や保存会の方は本校の卒業生で、母校の後輩という立場で遠慮なくお話をうかがい、写真も撮らせていただきました。 
 普段何気なく通っている通学路にも史跡があり、まちの中に、文化の中に遠い昔の記憶があると知りました。数百年前の先人たちの思いや暮らしが積み重なっている上に私たちの暮らしがあるのだと感じるようになりました。先輩や友達と大野の伝承文化をつなぎ広める活動をするのは、大変ですがやりがいがあります。 
 コロナ禍で県外に出られない期間が続き、オンライン授業やオンライン大会を多く経験しました。サークルの先輩方も含め、ここ数年は校則の見直しや地域活性化など、校内や市内のことを見直し、深く掘り下げる活動を行いました。そこから、地域独自のすばらしい伝承文化を継承しよう、と「つなぐプロジェクト」が始まりました。 
 若者の人数は減っていますが、私たちは、地域でご先祖たちが守ってきたものを継承していきたいです。デジタル化時代でいろいろなものが手軽に手に入り、画一化が進んでいる世界ですが、この風土だからこそ何百年も残っている美しいもの、楽しいもの、美味しいものがあります。私たちはその価値を見出し、次の世代につないでいきたいです。 

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【 佳作 】

「紀南地域における河童伝承」

和歌山県立田辺高等学校  河童倶楽部

応募の動機

 地域の伝承・伝説について郷土資料やインターネットのサイトを元に調べていたところ、和歌山県の中でも特に紀南地域には「河童」にまつわる民話が多く伝えられていることに気づき、詳しく調べてみたいと興味を持ったこと。また、「河童」が民話によって異なる呼び名で伝えられているのはなぜかという点について疑問に思ったこと。

研究レポート内容紹介・今後の課題

〇和歌山県に伝わる民話
・上富田町岩田のゴウライボーシ
 … ゴウライボーシ(河童)が淵に馬を引きずり込もうとするが、村人に見つかり、銭に化ける。しかし、正体を見破られ、隣村との境にある松の木が枯れるまで二度と岩田の土地に足を踏み入れないことを約束させられた。
・白良浜の甲羅法師
 … 白良浜周辺の村に現れては悪事をはたらいていた甲羅法師(河童)を、力自慢の村人が相撲で懲らしめる。
・カンザシをさした河童
 …ガイラボシ(河童)がカンザシの姿に化けて娘の気を引き、淵に娘を連れ去る。
・冷水浦のドンガス(紫肝)
 …子供たちが遊んでいると、浜辺に現れたドンガス(河童)が五月五日生まれの子供をだまして連れ去り、肝を抜き取る。
〇フィールドワーク
・上富田町田中神社
 ゴウライボーシについての言い伝えがある。すぐそばには「大賀蓮」と呼ばれるハスが見られる池(大賀池)があることから、現在でも岡川を中心に比較的湿潤な土地が広がっていると考えられる。また、田中神社周辺の森は、県により「天然記念物」に指定されており、野生の雉も見られた。これにより、豊かな自然を現在に残す貴重な場所であるということがうかがえた。
・白浜町白良浜の石碑
 悪事をはたらく甲羅法師を、力自慢の村人が相撲で懲らしめたという言い伝えがあり、石碑に残されている。川の周辺に出没するイメージの強い河童が海にも生息していたという民話を得ることができた。
〇考察
 和歌山県各地に伝わる河童伝承は、海や川での水難事故を防止するなど、子供の安全を守る目的で創作された説話が後世に伝わったものだと考える。また、これらの民話は水に恵まれた土地ならではの文化と言えるのではないだろうか。
〇今後の課題
 今回の研究を進めていた中で、民話のおもしろさに気づかされたとともに、日常の中では民話に触れる機会があまり無いようにも感じられた。今後も河童をはじめとした地域の民話が未来に語り継がれてほしい。そのため、わたしたち河童倶楽部のできることとして、継続して地域の民話に興味を持ち、調べ、深く知ることが大切だと思う。また、今回の研究では、参照した資料が少ないこと、結論に至るまでの根拠が不十分な部分があったこと、などの改善すべき点がいくつか見つかったので、今後の研究やレポートの作成に役立てたいと考えている。

田中神社
白良浜の石碑

 

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