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地域民話研究部門(個人)

  最優秀賞 
  宮城県昔話事典 動物昔話篇
   宮城・仙台育英学園高等学校 2年 登り 実美
 
  優秀賞 
  「沖縄でなぜアカマタとの異類婚姻譚が成立したのか
   沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 2年 宮城 俐々花
 
  佳作 
  間宿(あいのしゅく)ミステリー「影取池のおはん」
   神奈川・鎌倉女子大学高等部 2年 上田 菜心
 
  我孫子と源頼朝の関わり
   埼玉・開智中学・高等学校 2年 小川 颯桔
 
  安芸國虎の伝説を調べ、想いを馳せる
   高知県立安芸高等学校 3年 石崎 修太

    ■審査員講評も参考にしよう!【 地域民話研究部門 講評 

 

【 最優秀賞 】

「宮城県昔話事典 動物昔話篇」

宮城・仙台育英学園高等学校 2年 登り 実美

応募の動機

私は中学生の時から歴史が好きで、学校の授業で東北地方の狼伝説の話を聞いたことをきっかけに、動物にまつわる昔話に興味を持つようになった。高校1年生の時に、宮城県の「動物昔話」を資料として、地域の自然や人々の暮らしを復元する探究活動に取り組み、その成果を作品にまとめることができたので、応募してみようと考えた。

研究レポート内容紹介・今後の課題

作品の目標は、宮城県の「動物昔話」を分析し、描かれる動物の種類とその分布、モチーフの分類から地域の特色を明らかにすることに置いた。『日本昔話通観』第4巻宮城(同朋舎 1982 年)に収録されている「動物昔話」を分析対象とし、特徴的な昔話が数多く残る地域を見つけて、現地調査と文献調査を行うという手順で分析を進めた。
 その結果、宮城県の「動物昔話」に登場する動物は、蛇、猿、蛙、狐、雀の順に多く、かつ旧登米郡と旧栗原郡に多く分布することが分かった。モチーフにおいても特徴が類似しており、この両地域には昔話が作られる共通の背景があるのではないかと考えた。特に蛇の昔話が多いという特徴があることから、「なぜ旧登米郡と旧栗原郡には蛇の昔話が多いのか」という問いを立てて、さらに調べてみることにした。
 両地域の自然や歴史について知るために、実際に登米市迫町を訪れて、昔話に語られる動物の生態に適した豊富な水源や豊かな自然があることを再確認するとともに、現地の博物館において、江戸時代における地域の特色について知ることができた。
 江戸時代において両地域は仙台藩の重要な穀倉地帯であり、特に旧登米郡は迫川や北上川を使った物流の中継地点として栄え、年貢米が石巻や仙台城下、江戸へと運ばれていた。郡内には、伊豆沼・内沼・長沼、平筒沼以外にもたくさんの沼があったが、18 世紀以降に進められた新田開発により干拓されて農地に変わり、石高を大きく伸ばしたという。この歴史的な事実と「動物昔話」の地域的な特色には関わりがあるのではないかと考えて、次のような仮説を立てた。
 古代の神話では蛇は「神聖な動物」として描かれることが多いが、この地域の昔話に登場する蛇は「忌まわしい動物」という対照的なモチーフで描かれている。「蛇=神聖な動物」という古代以来の意識が地域の人々の中にあれば、沼を開拓することはできなかったはずであるが、18 世紀以降の沼の干拓の推進の中で、この意識は変化して対照的なモチーフが生み出されたのではないか。つまり、自然を信仰の対象としてではなく、開発の対象と見なすようになっていく中で、「蛇=忌まわしい動物」という昔話が作られていったと考えるのである。
 先行研究においては、蛇の昔話のモチーフが「神聖な動物」から「忌まわしい動物」へと変化するという指摘はすでにされているが、これまで昔話を地域の歴史資料として用いることは少なかったと思われる。今回の仮説を検証するためには、私自身がもっと学び、探究活動を続けていかなければならない。

登米市迫町の田園風景(筆者撮影)
 
最優秀賞の受賞者コメントは近日公開!
 

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【 優秀賞 】

「沖縄でなぜアカマタとの異類婚姻譚が成立したのか」

沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 2年 宮城 俐々花

応募の動機

小さいころから、沖縄の妖怪たちが登場する民話が好きでした。その中でよく聞いたのが、アカマタという蛇が男に化けて女性を騙すという話です。しかし、ヒトと蛇は全く違う姿をしているのに、なぜ化けるという発想が生まれたのか、不思議に思っていました。今回、このコンテストを知って、自分の興味関心を突き詰める絶好の機会だと感じ、応募しました。

研究レポート内容紹介

沖縄には、「娘の元に男が夜な夜な訪ねて来て、娘は男との子を身ごもる。男の正体を突き止めると、アカマタであった。その会話から、娘は子を堕胎する方法を知り、清い体に戻る。」という民話が伝わっています。この話が成立した背景について調査しました。 
 まず、図書館でこの民話について調べると、日本本土にも似た伝承があると分かりました。本土の伝承には、蛇と結ばれることを肯定的に扱う話と、今回研究テーマとしたような、忌むべきものとする話とがあるようでした。この二タイプについて調べ、古いのは前者であり、仏教的価値観の浸透によって畜生との婚姻が邪悪なものであるとされた結果、徐々に後者のような話に変化していったと考察しました。また、他の周辺地域に伝わる民話も調べましたが、分布を正確に調べられなかったり、似た展開の話がなかったりしたことから、ここでは「沖縄の民話は日本本土の伝承の影響を受けている」と結論付けました。
 次に、沖縄の民話は、蛇婿を肯定的に扱う話が伝わって、沖縄で仏教の影響を受けて今の形に変化したものなのか、邪悪とする話が伝わったものなのかを調査しました。結果、沖縄の仏教は民衆への布教に積極的に進出した形跡が無いことや、宗門改め・在来の民間信仰によって浸透を阻まれたと分かったため、沖縄には仏教は民衆の考え方に影響を与えるほど根付いていなかったと考え、本土から沖縄に伝わってきたのは後者の話であると結論付けました。
 最後に、本土の民話が沖縄でどのように受容され、変化していったのかを考察しました。沖縄の民話には、蛇が具体的にアカマタと語られていることと、浜下り(はまうり)という禊の儀式の由来譚として語られることという特徴があります。まず、なぜ他ならぬアカマタなのか、これには人に出会う頻度が高かったことと、アカマタの気性の荒さや貪食ぶりが人に害をなす伝承のイメージと結びつけられたこと、無毒であるため信仰の対象からは遠ざかったことという三つの理由を仮説としました。浜下りの由来譚となっているのは、本土では菖蒲湯や桃の花酒などと結び付けられるこの民話は、伝承された各地で浸透している穢れを祓う儀式と結び付く性質を持っており、沖縄の場合それが浜下りであったと考察しました。

今後の課題

研究の過程で、資料を自分の都合の良いように解釈してはいないかという不安が常にありました。今後は、なるべく多くの資料を集め、客観的な情報を読み取る鍛錬を積んでいきたいです。また、今回は図書資料を用いた考察が主となってしまいましたが、今後は積極的に伝承の地へ赴き、地域の特異性や臨場感にこだわった研究をしていきたいです。

図書館で地域の民話の資料を収集した
民話の構成を分析し表にまとめる作業

受賞者コメント

 まさか賞をいただけるとは思ってもみなかったので、驚きました。自分でたてた問いに対し、自分で調査を行い、自分なりの仮説をたてる、という経験は初めてで苦しいことも多かったですが、頑張りが報われて嬉しく思います。この経験を糧に今後も地域の文化を積極的に学び、継承していきたいです。
 私は先生からの紹介でこのコンテストの存在を知りました。以前から、伝承文化や民話の成り立ちについて思いをめぐらせるのが好きだったので、一度本格的に研究してみようと思い立ち、応募を決めました。まず、民話の中でも、沖縄では「マジムン」と呼ばれる妖怪のでてくる話が好きだったので、マジムンにまつわる話を研究しようと決めました。その中でも特に有名で話数も多く、広範囲にわたって語り継がれているのが、アカマタの民話でした。しかし改めて考えてみると、人間とは似ても似つかぬアカマタが人間に化けるという発想は斬新で、なぜこのような民話が成立したのか、強く疑問に思ったため、アカマタの民話を調査・研究しようと決めました。今回、沖縄の民話について調べていくうちに、調査対象が本土の民話、外国の民話、沖縄の風俗など多岐にわたっていったため、多くの仮説が浮かんできました。それら一つ一つに対して資料を集め、検討し、取捨選択していく作業が大変でした。また、先行の関連研究もいくつか参照しましたが、それらのコピーアンドペーストではなく、得られた情報を元に自分なりの考えを導くように気をつけていました。自分で問いを立て、調査方法を決め、研究し、自分の結論を導く、という一連の流れがとても勉強になりました。伝承文化の研究のみならず、主体的に学んでいくために必要な能力が鍛えられたと思います。また、民話は、土地の風土や文化、人びとの暮らしど多様な要素が絡み合ってできており、民話からは郷土のことをたくさん学びとれるのだと知りました。
 幼い頃に図書館で読んだ妖怪や民話の本が面白かった経験から、元々伝承文化に興味がありました。今回の調査を行ってからは、よくニュースや新聞で取り上げられるのを目にするし、特に沖縄は文化の特色ゆえか学ぶ機会が多いように感じます。伝承文化を継承していくことは生まれ育った土地について知ることであり、自分を形作るものを知るということで大切だと思います。また、地域と密接に結びついた伝承文化にはたくさんの先人の知恵と思いがつまっていて、それを知るのは純粋にとても楽しいことだと思います。

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【 佳作 】

「間宿(あいのしゅく)ミステリー「影取池のおはん」」

神奈川・鎌倉女子大学高等部 2年 上田 菜心

応募の動機

日本史の授業でこのコンテストのことを知り、夏休みに挑戦することにしました。インターネットで出会った「影取池」の舞台は、自宅のある藤沢市と学校がある鎌倉市との間にある、なじみのある地域でした。影取町という地名が今でも住所に使われていることを知って感心が強まり、この民話を研究することに決めました。

研究レポート内容紹介

むかし藤沢大鋸の森家で飼われていた大蛇のおはんは、当主の代替わりで貧しくなり家を出て、戸塚宿までの間の池に住みつきます。おはんは池に映る人影を飲み込み空腹を紛らわし、影を取られた人は命を落とします。恐れた村人は旅の鉄砲名人に頼んでおはんを退治します。大蛇の血に染まった池は影取池と呼ばれるようになります。これが「影取池」のあらすじなのですが、1960 年以降に発表された10 の話には細かい違いがあります。大蛇が飼われていた場所など、民話を構成する20 の要素を比べた結果、単純だった内容が複雑になりつつ、互いに似てきたことがわかりました。では、もっと時を遡るとどうなのでしょう?
 保土ヶ谷と藤沢は1601 年の駅制で宿場となり、1604 年に戸塚が宿場に加わります。鉄砲撃ちが泊まった原宿は、戸塚と藤沢の間宿なので、成立はもう少し後になります。また、1650 年の羽太家文書には影取池のことが書かれていたそうです。つまり「影取池」の誕生は、古くて418 年前、新しくて372 年前となります。この頃、実際の森家は後北条氏から与えられていた商売の権利を失います。民話の中の森家の凋落はこれを反映したのだと考えました。池があったのなら現在の影取町鉄砲宿辺りですが、民話に描かれていた地形と古地図『今昔マップ』を使って、より詳しい位置を推定しました。そこは、今は住宅地となっていますが、近くに横浜市の雨水調整池があり、水が溜まりやすい場所でした。
 このように「影取池」は事実を基にした民話だと考えられました。でも、おはんが大蛇というのは変です。本当は美しい女性で、大旦那の愛人として暮らしていたのですが、大旦那が亡くなり、池に身を投げたのかもしれません。だとすれば、その話は森家の凋落と一緒に噂となったでしょう。もしかすると、新しくできた間宿、原宿の宣伝になったかもしれません。噂は旅人から旅人へと伝わり民話となって、今では見ることのできない影取池に私を導いた、そう考えると面白いと感じました。

今後の課題

都合で参加を見合わせた影取町諏訪神社のお祭りに出向き、地元の方々が「影取池」についてどう考えているか伺いたいです。2016 年に開館した藤沢宿交流館では「影取池」は、遊行寺の僧が登場する「影取り樣」になっていました。タイトルと内容がどうして変わったのか興味があります。

影取バス停と私
藤沢宿交流館

受賞者コメント

 受賞して大変驚き、とても嬉しかったです。日本史Bの課題の最終目標としてコンテストのことを知り、夏休みに新しいことに挑戦しようと思い応募しました。「影取池」との出逢いは、地域にどんな民話があるのかインターネットで調べていたときでした。自宅と学校の間の地名が物語に登場していたので興味を持ち、テーマに選びました。できるだけ多くの資料に基づいて考察することを心がけ、ある程度考えがまとまったら家族に話を聞いてもらうようにしました。工夫したことは、影取池がどこにあったのか推定するため、古地図のウェブサイトを使ったことです。一番苦労したのは情報を表にまとめる作業です。また、図書館での文献の探し方を学びました。一つのことを最後までやり遂げることができて、成長したと感じています。元々は伝承文化に興味がありませんでしたが、今回の調査・研究を行ってからはテレビで見たり、学校で教わるものだった伝承文化を身近に意識するようになりました。伝承文化の継承にとって地名も大事な要素の一つだと考えます。伝承文化の魅力は、それを知ること、触れることで豊かな気持ちになれることだと思います。

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【 佳作 】

「我孫子と源頼朝の関わり」

埼玉・開智中学・高等学校 2年 小川 颯桔

 応募の動機

学校の課題で何か1つコンテストに参加する必要があり、どれにするか迷っていました。ちょうどその時期に曽祖父のお墓参りで、千葉県我孫子市の子之神大黒天延寿院に行きました。銀色のかねのわらじが境内の一角にたくさん吊るされており、どんな由来があるのか調べてみたいと思ったので、気になっていたこのコンテストに応募させていただきました。

今後の課題

境内を歩いていたら、扉に福槌と柊が書かれた紋様があり、その両脇には頼朝に関する伝説が書かれた石碑がありました。その伝説とは次のようなものです。移動の道中に足の調子が悪くなった(今でいう脚気)源頼朝は、仕方なく沼辺の農家(我孫子の宿)でしばらく静養することになりました。しかし、中々病気は回復しません。一方この沼の丘には子の権現または子の神様というものがありました。これはネズミを使いとする大黒天を祭ったもので、腰から下の病に霊験あらたかであることが知られていました。頼朝はこれにすがる以外は方法がないと思い、衣を改め身を清め一心に祈願をしました。するとある夜、柊の枝をくわえた大きな白いネズミがあらわれ、柊の小枝で頼朝の腰下半身をはらう夢を見ました。その日から頼朝の脚気は急速に快方にむかい、ついに全快しました。この伝説から、我孫子市の子之神大黒天延寿院は腰下の病にご利益があると言われ、宿願かなった人たちがお礼として鉄製のわらじや木またはわらで作った大小さまざまなわらじを奉納するようになったそうです。
 由来がわかったので、次は源頼朝が我孫子に来た時期を史実から考え、他の神社でも足の痛みの治療を受けていたのか、また我孫子市内に源頼朝に関連ある場所やものがないかなどを調査しました。最後に現代の我孫子に頼朝との関わりがどのように伝承されているかを調べました。
 私は民話由来のものが案外身近にあって、既に見たり聞いたりしたことがあったのに、それが伝承文化だとは認識していませんでした。例えば今回の場合は、小学校の時に配布された地域限定の教科書に、源頼朝の民話が記載されていたし、県立我孫子高校の校章には柊が使われていたし、老舗の煎餅屋さんに、ひいらぎ煎餅という商品があったりもしました。こんなにも私達の日常生活には民話由来のものが溢れているのかということに気づいたので、これは積極的に伝承していくべきだと考えるようになりました。伝承文化の魅力は、生まれた時からそこにあるのが当たり前の存在になっていることだと思います。一方で、その文化や商品が地域独自のものだと気づかずに過ごしていってしまう可能性があります。これはあまりにももったいないことだと思うので、私は身近にある“伝承文化” を発見していくアンテナを普段から張り、“面白い伝承文化が背景にある” とみんなに知ってもらえる活動を行って、地域の魅力を伝えていきたいと思います。

子之神大黒天延寿院 かねのわらじ
ひいらぎ煎餅と民話が載っていた教科書

受賞者コメント

 まさか賞を頂けると思っていなかったので、嬉しさと驚きでいっぱいです。私の学校では、探究活動や発表を行う機会が何度もありました。今回このような全国規模の素晴らしいコンテストで賞を頂けたことは、これまでの学校の探究活動への取り組みを評価していただいたように感じて、とても嬉しいです。
 学校の課題として何か1つコンテストに参加する必要があり、どれに参加するかを考えていました。ちょうどその時期に民話に関する面白い発見をしたので、昨年から気になっていたこのコンテストに応募させていただきました。曽祖父のお墓参りに、我孫子市の子之神大黒天延寿院に行った際、かねのわらじが境内の一角にたくさん吊るされていたので、何だろうと気になり調べてみることにしました。学校で何度も探究学習を経験してきたので、現地調査や文献調査を大切にしました。夏休みということもあり、ネットで調べて面白そうだなと思った県内のスポット(県外は新型コロナウイルスを考慮して行けなかった)へ、実際に行って見てきました。文献によって様々なことが書かれているので、実際に見てみたり、多くの文献を見比べるなどの調査の基本の大変さを改めて実感しました。
 疑問を検証し、結果が得られたとしても、そこから新たな疑問が生まれ、それをまた検証して…というのを何度も繰り返していたら、話が広がりすぎてしまったので、レポートにまとめるのが少し大変でした。民話が作られた時期は、歴史の時系列的にはどこに当たるのかを考えてみることに挑戦し、新たな視点を得ることができました。
 身近にあるのが当たり前の物や場所にも、このように面白い伝説や発見があることに気付けたので、とても良い経験になりました。私は民話由来のものが案外身近にあって、既に見たり聞いたりしたことがあったのに、それの由来を認知していませんでした。例えば今回の場合は、小学校の時に配布された地域限定の教科書に源頼朝の民話が記載されていたし、県立高校の校章には柊が使われていたし、レポートには書きそびれてしまいましたが、老舗の煎餅屋さんにひいらぎ煎餅という商品があったりしました。こんなにも私達の日常生活には民話由来のものが溢れているのかということに気づいたので、これは積極的に伝承していくべきだと考えるようになりました。
 伝承文化の魅力は、生まれた時からそこにあるのが当たり前の存在になっていることだと思います。一方で、その文化や商品が地域独自のものだと気づかずに過ごしていってしまう可能性があります。これはあまりにももったいないことだと思います。ですから私は伝承文化を、伝承文化だと認知させる活動を積極的に行っていくべきだと考えます。自分が、将来それを担う職に就いてみても良いなと思いました。

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【 佳作 】

「安芸國虎の伝説を調べ、想いを馳せる」

高知県立安芸高等学校 3年 石崎 修太

 応募の動機

日本史を学ぶということを、単語や年代を暗記するだけのものにはしたくない。その土地の歴史や伝承、民話なども調査し、掘り下げていくことで日本史の奥深さ、新たな発見をしていきたい。伝承や民話、伝説は、口承文学であり、資料に掲載されるものではなく、消えていく性質のものだ。今回出会った伝承を深く知り、残していきたいと考え研究を始めた。

研究レポート内容紹介

戦国時代、土佐の武将といえば長宗我部元親があげられる。その元親の最大のライバルであり、長宗我部氏から安芸を守るために戦かったのが安芸國虎である。
 1569 年、國虎は元親との戦いの中で安芸城に籠城し最後まで抵抗するが、裏切者が城の井戸に毒を盛るなどし、追いつめられる。覚悟を決めた國虎は家臣や領民の命と自身の命を引換えに、同年8月、菩提寺の浄貞寺で自害した。住職によると、國虎は家臣に対して厳しく、頑固な面もあったが、自分の命と引き換えるくらい家臣を大切に思う優しい面もあったと伝えられているという。
 今回の研究は「首のない馬の伝承」についてである。岡林幸郎氏著『戦国武将安芸國虎』によると、夜な夜な市中に現れる「首無し馬」は、昔安芸國虎が自刃のため愛馬に乗って浄貞寺へ行く途中、泉のほとりで敵の手に渡るくらいならと首を切り落とした馬だという。「首のない馬」のような幽霊話が安芸市の伝承だということに驚き、聞き取りを始めた。二名の先生から「首のない馬」の伝承を聞いた。二つの話は大筋は似ているが異なったものだ。一つは、「國虎の名馬、夜な夜な首のないまま菩提寺浄貞寺より北に走る」、もう一つは「安芸城にて毒井戸の水を飲み、命を落とした女性たちが首無し馬と共に行列」。後者には安芸城の井戸に毒を盛られた話が含まれている。
 長年安芸市に居住する方や歴史ガイド、同級生の祖父母などにも「國虎の逸話」に関して取材した。「聞いたことがあるが、分からない」、「ぼんやりとして、記憶がはっきりしない」、「伝承の場所は昔、竹林の生い茂る鬱蒼とした場所であったから幽霊話が出ても……」などの話が出た。フィールドワークも行ったが、幽霊話の面影はなかった。
 今回の研究で、口頭のみで後世に伝えられる伝承、伝説はそのままにしておくと、人の記憶から消えるもので、伝承そのものがなくなっていくということが分かった。将来、日本史を専門にした高校の地歴の教員を目指している私にとって、生涯の研究テーマを得ることができた。

今後の課題

自身の興味関心から始めた今回の研究だが、多くの人に話を聞き、さらに多くの文献を紐解く必要があったと感じている。また、今回は安芸市に地域を限定したが、関連した伝承、伝説などもある可能性を考えれば、地域を広げる必要もあった。今回の研究で、文献調査に基づくフィールドワークを、また、フィールドワークを文献で根拠づけていくことの面白さを知ることができ、これからも研究を進めていきたい。

首無し馬通ったという道(現在)
浄貞寺大刀洗の池

受賞者コメント

 受賞できて素直に嬉しく思っています。また、まさか自分が受賞できるとは思っていなかったので驚いています。国語科の先生のすすめがあったので応募しました。もともと中世の歴史や文化・伝承などに興味があり、私の暮らしている高知県東部にいた「安芸國虎」の歴史や伝承が気になったため研究しました。
 安芸家の菩提寺の浄貞寺の住職にインタビューを行い、寺に伝わる伝承を聞くなど、フィールドワークを特に重要視しました。実際に昔馬の霊が出たと言われている場所を歩いたりもしました。自分の足で調査を行うことの重要性に改めて気づきました。また、住職だけではなく、安芸地域に住む様々な年代の方々にインタビューを行うことで、幅広い視点からこの伝承について考えられました。私達のように若い世代の伝承や歴史・文化に対する興味の薄さや認知度の低さが目立ちました。今後、高校生が主体となって地域に残る伝承や文化について調査をし、それを公表していくような活動を行うことが重要なのではないかと考えています。
 中学校・高校の歴史の授業で、「この人には~な言い伝えがある」「この文化には~な特色があり」というものを見て、すごく奥深いものなのだと思い、そこから伝承文化に興味を持つようになりました。私が幼い頃は、曾祖母や地域のお年寄りなどがその地域の民話や伝承を話してくれるような経験がありました。しかし、最近は新型コロナウイルスの影響もあってか、そのような活動・取り組みをあまり聞かなくなってしまったので伝承文化を身近に感じなくなってきています。地域の伝承や古くからの言い伝えなどは知れば知るほど奥深く、美しいものでもあるので、もっと若い世代に知られるべきだと考えています。今後、高校生などが主体となって地域の伝承・文化などを調査し、その調査結果をSNSなどを通して公表していく活動を行って継承していく取り組みを行うことで、認知度も向上し、興味を持つ人も増えるのではないかと考えています。

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