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地域文化研究部門(個人)

 最優秀賞 
 秋山郷と阿仁町の比較から見たマタギと山村の地域社会
  東京・早稲田大学高等学院 3年 鈴木 涼之介
 
 優秀賞 
 班目人形芝居から足柄座へ
  神奈川県立足柄高等学校 2年 秋山 七海 
 
 佳作 
 首里城再建と伝統技術
  神奈川・鎌倉女学院高等学校 3年 渡邊 暁理
 
 大島紬を世界へ
  鹿児島県立大島高等学校 2年 信島 拓志
 
 「西那須野小唄と養蚕信仰
  栃木県立矢板東高等学校 2年 今井 勇喜

     ■審査員講評も参考にしよう!【 地域文化研究部門 講評 】

 

【 最優秀賞 】

「秋山郷と阿仁町の比較から見たマタギと山村の地域社会」

東京・早稲田大学高等学院 3年 鈴木 涼之介

応募の動機

先生の紹介です。僕の学校では卒業論文の授業があり、応募した研究レポートも授業に合わせる形で執筆しました。その際に担当の先生から、成果を発揮する場として幾つかのコンテストを紹介して頂きました。その中から、自分の研究テーマである「地域社会」を扱っていたのが國學院のコンテストであったため、応募させていただきました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

マタギとは東日本の豪雪地帯に住んでいた狩り人であり、遠方へ出かせぎに行く「旅マタギ」と近くで狩猟を行う「里マタギ」に分けられます。先行研究の多くはマタギの伝統的な文化や習慣に注目したものが多く、マタギ本来の存在意義に注目した研究は少ないです。そこで、本研究では旅マタギを多く輩出した阿仁町(秋田県北秋田市南部)と出かせぎ先である秋山郷(長野県栄村・新潟県津南町)の二つの地域を比較し、マタギの地域的役割とマタギに見られる地域性を明らかにしました。そのうえで、山村社会におけるマタギの存在意義を考察しました。
 先行研究より、近世から近代にかけての阿仁町のマタギが西日本に至るまで広範囲に出かせぎに出ていたことが分かりました。移動の制約がかかる山村社会において、自由に動き回ることができたマタギの存在は、外部交流の面で重要な役割を果たしたと考えられます。また、両地域の資料館にあったマタギ関連の展示物には幾つか共通する道具がありました。このことから、旅マタギの出かせぎによって、阿仁町の狩猟技術が秋山郷に伝播したと考えられます。さらに、両地域のマタギを比較すると、秋山郷より阿仁町の旅マタギのほうが活発に行動していたことが分かりました。この理由について、現地で頂いた証言や資料・先行研究より検討すると、阿仁町には旅マタギが商売を行うために必要な需要と供給が十分にあることが分かりました。阿仁町に限らず、マタギは獲物の肉や皮などを近くの市場で売ることが多いです。阿仁町の場合は製薬業が盛んであったことから、薬なども一緒に売られました。また、阿仁鉱山と呼ばれる大規模な消費地(最盛期には1万人以上の労働者がいた)が近くにあったため、かなりの米・肉・毛皮・薬が売られました。このように、地域の他の資源と結びつきながらマタギは発達したと考えられます。以上をふまえると、マタギと地域社会は相互依存の関係にあったと言えます。
 しかし、マタギが山村社会でどのように位置づけられるかについては課題が残ります。今回の調査ではマタギに直接会うことができず、先行研究に依存しながら地域的役割を明らかにしました。そのため、マタギの地域的役割について十分な検討ができませんでした。特にマタギが地域経済に及ぼした影響については、マタギに聞き取り調査を行なって検討したいです。

阿仁町の山林
とねんぼの全景

最優秀賞の受賞者コメントは近日公開!

 

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【 優秀賞 】

「班目人形芝居から足柄座へ」

神奈川県立足柄高等学校 2年 秋山 七海

応募の動機

私の高祖父の石塚花之助が40年振りに地域に伝わる班目(まだらめ)人形芝居を復活させたという新聞のコピーが祖母の家から出てきました。私はその新聞に興味を持ちました。私は高祖父が復活させた班目人形芝居の歴史や班目人形芝居を受け継ぎ現在も活動する足柄座について詳しく知りたいと思い、調べ、多くの方に知ってもらうためにレポートを作成することにしました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

現在活動をしている足柄座につながる班目人形芝居について調べました。そこで私は、班目人形芝居について聞き取り調査を実施しました。まず班目地区に行き、人形芝居について、詳しい人がいないか聞き取りを行いました。聞き取りの結果、現在足柄座の座長を務める武藤瑞乃氏にお話を伺いました。武藤氏からは班目人形芝居の資料を貸してもらい、南足柄市郷土資料館で実際に足柄座の活動を見せてもらうこととなりました。さらに、班目人形芝居と関わりがあったとされる隣町の山北町の岸という地区でも調査を行いました。そして戦後には班目人形芝居が衰退し、足柄座へと変わっていった流れや歴史を調べ、まとめました。第1章では足柄座のもととなる班目人形芝居の歴史、第2章では足柄座の歴史、第3章では聞き取り調査の結果や足柄座の現在の活動についてそれぞれまとめました。
 今回調べた結果、高祖父が班目人形芝居の当時のリーダー格だったことが分かりました。加えて、史料を読み解いていく中で今の祖母の自宅で稽古をしていたことが明らかとなりました。
 私は、岸で調査を行う中で、岸自治会長を務める野地泰次氏に自治会に人形芝居に関する史料が残っていないか聞き取りしましたが、残念なことに史料が残っていませんでした。しかし、その後野地氏が調査を行ってくれた結果、山北町の向原地区に住む藤原巳鶴氏のお宅には、人形芝居で使ったと思われる古い羽織があるとのことです。人形芝居は岸だけではなく、向原にも広まっていた可能性もあるため、今後調査を行っていきたいです。

足柄座の方々からの聞き取りと人形遣いの体験の様子(2022 年6月4日撮影)
仏壇から見つかった高祖父(石塚花之助)の新聞のコピー

受賞者コメント

 受賞できてとても嬉しいです。顧問の先生に勧められたのでコンテストに応募しました。研究のきっかけとなったのは祖母の家から高祖父が人形芝居の復活に貢献したとされる新聞が出てきたことです。資料が少なかったので、聞き取りを重要視して、新たな事実を発見することが出来ました。聞きたいことを事前にメモしたり、録音をし、いつでも聞き返せるよう工夫しました。また、レポートを書くことはかなり難しかったですが、力が身につき、いい経験となりました。人形芝居は身近に行っていて、歴史が深いので元々興味を持っていました。中学生の頃には人形芝居の体験をしたこともあり、より身近に感じています。伝承文化は歴史が深く、受け継がれていくところが魅力だと思います。

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【 佳作 】

「首里城再建と伝統技術」

神奈川・鎌倉女学院高等学校 3年 渡邊 暁理

応募の動機

2019年、歴史的建造物である首里城での火災が人々に衝撃を与えた。しかし、再建が急がれる一方で、多くの問題へ直面している現実があることを知った。これらは、首里城に限らず、様々な歴史的建造物にも関わると考える。特に、私が通う学校のある鎌倉は多くの歴史的建造物がある地である。だから、地元でなくとも、歴史、文化、伝統技術やそれに関する課題について知るべきだと思い、応募した。

研究レポート内容紹介・今後の課題

首里城の再建における現代技術の応用について取り上げる。再建では防火対策を踏まえた対策を行わなければならない。それに加えて、歴史的建造物保存の観点から、耐久性を考えるとともに、塩害対策も視野にいれて考えていかねばならない。そういった対策を条件として重要視する一方で、再建において今まで使われてきた材質を確保することにも多くの問題があるということや、職人が減ってしまっているという問題も対処しなければならない。防火対策、耐久性、塩害対策に適した素材は多く開発、改良されてきた。そして、それらは私たちの身近な生活にも多く利用されている。
 よって、耐久性、塩害対策、防火対策、再建への課題という面からそれらにあった現代技術の利用を考えながら推測する。また、同様の被害条件を持ち、保存を考えなければならない鎌倉の古い建造物への応用も考え提案する。さらにこれらの技術は鎌倉に限らずさまざまな歴史的建造物に応用できると考える。特に3Dプリント技術に関しては、データ保存、仮想など様々なことを可能にする。また、海外での応用や、逆に海外技術を取り入れていくことも視野に入れることができると考える。
 技術を現代技術で代用するということを今回提案してきたが、技術継承についてのことは今後も課題として残り続けると考える。さらに、これから先、環境の変化や、時間がたつことで老朽化は進んでいくことが予想されるが現代技術の利用ができるのは文化財でないもののみという欠点もある。本当に保護せねばならない文化財のために技術を伝承していくこと又は、同じものを再現できるような技術を開発することがこれからの歴史的遺物の保護という分野で必要になってくると考える。だから、今後それらの解決策を考えるために研究を続けていきたい。

首里城焼失前の写真(沖縄総合事務局より)
首里城焼失後の写真(沖縄総合事務局より)

受賞者コメント

 学校での紹介がきっかけで、このコンテストを知りました。また、この探究活動を通して伝承文化保護の大切さをよく実感したので、もっと多くのひとに伝承文化の保護や、継承の大切さについて知ってもらいたくて、応募しました。まさか受賞するとは思っていなかったので驚きです。1年間、探究活動を続けてこのような結果を出せたということを嬉しく思います。これからも探究することを続けたいです。
 2019年首里城火災が、マスメディアなどで大きく取り上げられました。世界遺産としても有名な首里城跡地での火災はとても衝撃的だったのを覚えています。しかし、再建を急がれる一方で、多くの問題に直面している現実があることを知りました。そして、これらのことは全ての歴史的建造物にも関わりがあると思います。特に私が通う学校のある鎌倉は多くの歴史的建造物のある地です。だから自分の地元でなくとも首里城の歴史、文化、伝統技術やそれに対する課題について知っていくべきと考えました。歴史的建造物の保護という観点だけでなく、塩害など沖縄ならではの環境に注目してみたり、沖縄以外の地で行われる工夫や技術にも注目してみました。材料、技術、人員、環境など、文化財を保護したり、修復するための条件の厳しさを知ったことで、歴史的遺産を残していくことの難しさをより実感しました。特に環境の変化や高齢化などにより、過去可能だったことが出来なくなるということの重大さ、技術伝承の大切さを深く理解することができました。
 技術は飛躍的に進歩していますが、伝統文化においては、完成品だけでなく作られる過程においても、文化としての魅力があると思います。そのため、たとえ現代技術が進歩して完璧な再現が出来るようになったとしても、それと共に人の手で伝えていくことも大切だと思います。

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【 佳作 】

「大島紬を世界へ」

鹿児島県立大島高等学校 2年 信島 拓志

応募の動機

私は奄美大島で育ち、学校の授業で身近にあってどこの地域よりも自慢できるものを考えて見た時、大島紬が浮かんだ。しかし、自分自身全く知らないことに気づいた。インターネットで調べていくうちにもっと大島紬について知りたい、沢山の人に知って欲しい、そして、弥生時代から続く長い伝統を復興することで伝統を守り、奄美の産業を発展させたいと思った。

研究レポート内容紹介・今後の課題

初めに、大島紬の課題について調べた。多くの課題が見つかり、私は主に5つに焦点を当て、調べた。まず、大島紬の生産数が減少していることについて、約100年間分のデータを集め、2021年の減少率が最高反数の99%であることが明らかとなった。2つ目は、後継者不足と平均年齢の上昇について、年々、若者の従事者が減少し、平均年齢が増加している。3つ目は、SNS の利用について、大島紬と他の着物の企業とのSNS でのPR 率を比べると、大きな差が見られ、大島紬の会社のPR 率がとても低い。4つ目は、泥染めの原料について、昔と比べると、次第に原料が、木から草木へと変化していた。理由として、木こり不足が挙げられる。5つ目は、大島紬の認知度について、大島高校の生徒100人にアンケートを実施した結果、知っていると答えた人は多かったものの、詳しく知っている人は少なかった。
 これらの現状を踏まえ、大島紬産業に携わっている3人の方にお話を伺った。1人目は、大島紬協同組合の方で、主に大島紬のイベントや大島紬の歴史について、インタビューを行った。2人目は、大島紬産業の従事者の方で蚕から絹糸を作り、1から大島紬を作り上げようとしている方にインタビューを行った。大島紬を1から作ろうという気持ちが奮い立たせ、大変でつらい養蚕を行っていた。3人目も、大島紬産業の従事者の方で、フェラーリと大島紬のコラボを実現した方にインタビューを行った。世界で1つだけの大島紬を利用したフェラーリ制作に携わり、世界に発信出来たらなと語っていた。3人の方へのインタビューを通して、共通して仰っていた事は、大島紬産業は次第に衰退しており、商品の値段が高い傾向があり、若者への浸透が難しいということだ。
 それから、奄美の文化に興味がある、イエール大学の学生さんや、沖縄県アメリカ総領事鑑のマシュー・ドルボさんにお話を聞く機会もあり、様々な助言を頂いた。
 奄美大島は、世界自然遺産に登録され、今後多くの観光客が訪れると予想される。そのため、観光客が来た際に、お土産として、買って貰えるようなものを作るため、今後、大島紬の需要を調べ、世代の需要にあった商品作りをし、需要に合わせた値段で販売まで繋げたいと思っている。

機織り機
大島紬  

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【 佳作 】

「西那須野小唄と養蚕信仰」

栃木県立矢板東高等学校 2年 今井 勇喜

応募の動機

私は以前から昭和期の音楽に興味を持ち、より身近なところで音楽に関することを研究したいと考えていた。しかし、八木節、日光和楽踊りなど栃木県の民謡の中で、私は自分の住む旧西那須野地域に伝わる唄を知らなかった。この疑問からたどり着いた西那須野小唄について調べていくうちに、地域の伝承文化の魅力に惹かれていき、応募するに至った。

研究レポート内容紹介・今後の課題

今回の研究では、西那須野小唄を多角的な文化的事象として捉え、町の地理、産業、他地域で生まれた小唄との比較によって西那須野小唄が歌い継がれていくためには何が必要だったかを考察した。前提として、最初に私の住む旧西那須野町地域(現那須塩原市)は古くから水の便の悪い土地であったが、先人たちが19世紀後半に近くの河川から那須疏水を引いてできた比較的新興の街であり、同じく19世紀後半に立て続けた陸羽街道の完成など交通網の発達なども原因となって桑の栽培および養蚕業が盛んになったことを示した。続けて、西那須野小唄が製糸場で働く工員のために作られた歴史をもつ唄であることに触れ、歌詞を参照して一工場の労働歌であるにも関わらず歌詞の視線が来訪者へ向けられていることに疑問を提起し、同時期に作られた他地域の小唄との比較によって、工場には県外からの工員が多く働いていることから他地域の地元志向な歌詞とは異なることを示した。次の章ではなぜ製糸所に代表される養蚕業の発展がうまく語り継がれていかなかったのか、という疑問に端を発して地元の精銅業が現在にまで語り継がれている例である栃木県日光和楽踊りとの比較を行った。その結果、日光和楽踊りの歌詞には精銅場付近の地名が含まれ、時代の盛況ぶりを伝えるような歌詞が含まれていること、天皇や皇后の視察があったこともあり、後世に残す目的で歌詞は卑俗なものを避け、風俗を乱さないような配慮があることを示した。そこで今一度旧西那須野地域の製糸業に目を向け、後世に残れている当時を伝えるものを調べると、関連する神社は数多くあっても、由来が知られておらず、地域文化として継承するという役目を果たしづらいものだということが分かった。最後に、伝統文化は保護対象であるが、大衆文化は一過性のものであるため、西那須野小唄が伝承されるためには日光和楽踊りが天皇の訪問を名誉とし、自然発生的に生まれた踊りを後世に伝える手段として、風俗に反した歌詞を改め、踊りの所作を見直すなど、当時の大衆文化を高尚なものとするといった動きが必要だったのではないかと結論付けた。今後の課題として県外や世界の労働歌が伝統性を獲得した事案への取材が不足しているため、幅広い視点をもって探求を行うとともに、旧西那須野町地域と養蚕業の関わりについても情報を集め続けたいと思う。

西那須野小唄の歌詞
フィールドワークから作成した旧西那須野町に分布する養蚕に 関係する神社

受賞者コメント

 今まで自分がしてきた探求が、佳作という1つの形で評価していただけたことを嬉しく思います。自分が調べているテーマと近いコンテストがあると先生に教えていただき応募しました。元々音楽に興味があり、自分の地域に根差している音楽、民謡を探しました。テーマとして扱った西那須野小唄に関する情報がまったく見つからず苦労しましたが、他分野からの視点も取り入れて多角的にテーマを扱うことを心掛けました。自分が住む地域の歴史、文化、産業を横断的に探求できたことで自分の学問の視野が広がったように感じています。
 この探求を通して、生まれ育った町ではありますが、もう一度新たな視点でこの町を見渡すことができたような気分で、文化と町を見るということを学べました。この探求を行う前は音楽に関係するもの、という浅い動機で民謡、小唄をテーマに扱い始めました。しかし、探求を進めていくうちに伝承される文化はもちろん、そうでない文化には各々の背景、人々の暮らしが関わっていることに気づけました。文化は人々の営みの成果であり、副産物でもあると今回感じ、文化を継承していくということは未来の可能性を増やすために大切なことであると考えました。生まれた形のままのものもあれば、継承される中で形を変えてしまうこともあることが伝承文化の魅力ではないかと思います。

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