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地域文化研究部門(団体)
- 最優秀賞
-
「伊勢地方のしめ縄からみる信仰観の考察、及びしめ縄文化継承に向けて」
三重・英心高等学校 探究ゼミ - 「うちなーぐちの伝承のために~今、琉球方言はどうなっているのか~」
- 沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 玉城明加莉・仲吉遥
- 優秀賞
- 「岐阜県山間地に残るトチノミ食」
- 岐阜県立関高等学校 地域研究部
- 佳作
-
「波留南方神社の神舞」
鹿児島県立鶴翔高等学校 地域探究同好会 - 「鳥取池田家藩主墓の尺について
-
~池田輝政墓、京都金戒光明寺の亀趺碑との比較を中心に~」
鳥取県立八頭高等学校 亀の会
■審査員講評も参考にしよう!【 地域文化研究部門 講評 】
【 最優秀賞 】
「伊勢地方のしめ縄からみる信仰観の考察、及びしめ縄文化継承に向けて」
三重・英心高等学校 探究ゼミ
応募の動機
私たちの英心高校は伊勢神宮の近くにあります。ある日、街を歩いていたとき鯉のぼり、国旗などの飾る文化が衰退していると感じました。伊勢の家々は玄関にしめ縄を一年中飾っているのですが、全国的には珍しいということを、このとき初めて知ることになりました。「自分たちの文化的ルーツを発見したい、そして残したい」と思い、しめ縄について探究し応募させていただきました。
研究レポート内容紹介・今後の課題
年末になると、年神様をお迎えするため「しめ飾り」を軒先に飾ります。しめ縄の起源は神話に遡り、天岩戸から出た天照大神が再び岩戸に戻らないよう戸を塞いだ縄がその起りとされています。伊勢地方のしめ縄は柊、橙、楪など縁起物の他に「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)」と書かれた「木札」がついています。私たちは、「伊勢地方だけが一年中『蘇民将来』のしめ縄を飾るのはどうしてなのか?」「しめ縄文化は衰退に向かっているのか?」について探究を行いました。
ひとつ目の問いについては、天照大神を主神とする伊勢神宮が強く関わっていました。伊勢は、神都として神聖・清浄であらねばならないという意識が強かったといわれています。しめ縄は、1月7日(松の内)、15日(小正月)には下ろす地方が多いそうですが、神域に住む人々は神域全体を守る意識で一年中飾っていたことがわかりました。なかでも、道の分岐点にある家では、しめ縄に「久那戸神」と書かれた木札をつけています。この神は『記紀』の神話に登場し、黄泉の国から逃げ帰った伊弉諾尊が穢れを払うために投げた杖から生まれたとされています。このように伊勢地方の道角の家は、久那戸神のしめ縄を掲げ、神域に悪霊や邪気が侵入するのを防ぐための結界を作っていたと考えられます。しめ縄が伊勢の地全体に広がったのは、備後国風土記(713年以降に成立)から発した「蘇民伝説」が伊勢地方に伝わってからだと私たちは考えました。旅をする須佐之男は、貧しい暮らしをする「蘇民将来」という人に快く迎え入れられたことがきっかけで、蘇民将来の子孫を末長く災厄から守ると約束します。この民話は江戸中期(1700年頃)以降に伝わり、神域の入り口を守る「久那戸神」のしめ縄に加えて、神域全体の厄除けを願い「蘇民将来子孫家門」を掲げる家が生まれ、増えていったのだと考えました。
さらに、私たちは新たな発見をしました。Google Earth を用いて調べたところ、しめ縄を一年中飾っている地域と伊勢神宮の鎮座地(4市4町に125社ある)とがほぼ重なったのです。ここに至って、神域の清浄意識としめ縄文化の関係を確信しました。
また、私たちは、核家族化・単独世帯化が進む伊勢周辺の人口及び世帯数の増減を調べたり、神具・しめ縄の企業から聞き取りを行ったりしました。その結果、数字的な見地からもしめ縄を飾る家は減少していることがわかりました。しかし、県の神具企業さんは、しめ縄職人の高齢化や職人の経済的理由を鑑みて「しめ縄を未来へつなぐプロジェクト」を実施し、文化継承に向けて楔を打っていると教えてくれました。同じタイミングで、私たちのクラスメイトにしめ縄職人の孫がいることが分かりました。彼は「昔からあるものには『意味』がある。これからは、自分が(伝統を)守ろうと決意した」と語ってくれました。私たちはそれぞれの道で、しめ縄をはじめ地域の伝統文化を継承、発展させていこうという情熱を抱きました。
今回、研究・探究を通じて「理解」することで、未来への「意志」が生まれることが分かりました。彼の言葉が私たちの心に火を灯したのです。
最優秀賞の受賞者コメントは近日公開!
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【 最優秀賞 】
「うちなーぐちの伝承のために
~今、琉球方言はどうなっているのか~」
沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 玉城明加莉・仲吉遥
応募の動機
学校の先生からこのコンテストのことを聞き、このような探求活動に沢山の時間をさけることができるのは今年が最後になるかもしれないと思い挑戦するに至った。また、その後ニュースで「しまくとぅば県民意識調査」を見て県民の理解度が低下していることを知り、身近にあるがあまり知らないうちなーぐちを伝承するためにはまず現状を把握するべきだと思い立った。
研究レポート内容紹介・今後の課題
琉球方言は共通語のアイウエオがアイウイウに変化するなど音韻面の特徴は勿論、沖縄島内でも地域で細分化され喉頭破裂音の有無による意味の区別やパ行音の変化など多様性に富んだ方言である。1879年まで琉球王国という1つの王国をなし、交通やマスコミが未発達だったことが独自の発達を促したと考えられている。私達は琉球方言の現状を把握するために、琉球方言の基礎に近いとされている那覇方言に注目しフィールドワーク調査とGoogle フォームを使ったアンケート調査を行った。アンケートの内容は「家族関係」「生物」「自然環境」「動詞」「形容詞」それぞれの項目に関する基礎語彙を合計46個選出し、使用頻度の回答を求めたものである。その後、得られた回答を世代別に比較し、特に差異が著しく現れている点について考察した。
今回調査によって得られた考察について以下の点に整理する。
⑴ 名詞について
名詞は若い世代になるにつれ理解度が低下傾向にあることが分かった。沖縄ではあまり見られない「カーラ(川)」などの単語は理解度が低く、日常でよく見られる「ガジャン(蚊)」などの単語は若い世代でも理解度が高かったことから、実際にその対象が身近にいないとそれを指し示す言葉を日常的に用いないということが理由の1つとして考えられる。また、喉頭破裂音の発音が難しい点や、方言が盛んに用いられた時代とは社会的背景が変化していることも要因に挙げられるだろう。
⑵ 動詞について
動詞は幼少期から親や周囲の大人たちが使用している言葉を聞き、自然に身に着けていくものだと考えられる。そのため、ある世代で使用頻度の低下が進むとまたその下の世代ではさらに使用率の低下が進行し、伝承に大きく影響を与えるものだと思われる。今回の調査で若い世代、特に10・20代で使用率の低下が顕著にみられたのにはこのことが関与し、また「ン」から始まる単語など琉球方言特有の発音の難しさが加わったと思われる。
今回の調査を通してうちなーぐちが衰退しつつあるということがより肌で感じられた。
研究の課題としては、フィールドワーク調査するにあたってアンケートの問題数が多かっ
たこと、世代ごとにおける回答数に偏りが出てしまったことなどが挙げられる。調査する
単語を調整し20個ほどに減らしたり、比較する回答数をそろえるなどまだまだ改善の余地
があると思う。今回の調査をきっかけにして今後はうちなーぐち伝承のための活動に積極
的に関わっていきたい。
最優秀賞の受賞者コメントは近日公開!
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【 優秀賞 】
「岐阜県山間地に残るトチノミ食」
岐阜県立関高等学校 地域研究部
応募の動機
昨年、校庭のトチノキから多数の実が落ちた。関心を持ち調べたところ、県内各地でトチノミ食の伝統が続いていることがわかり、その手法にならって調理実験も行った。伝統的な郷土食であるトチノミ食の伝統を絶やさないためにも、広く周知することが必要だと考え、このコンテストに応募した。
研究レポート内容紹介・今後の課題
岐阜県内では、飛騨・郡上・西濃の山間地で、今日もトチノミ食の伝統が続いている。飛騨や西濃のトチノミ食については、民俗学者や地理学者、考古学者が早くから注目し、多くの論文が執筆されている。関高校の立地する関市内でも、北部山間地でトチノミ食が継承されているが、高校生はもちろん、大半の市民がそれを知らないようであるし、研究論文にも登場することはほとんどない。
私たちは関市北部を皮切りに、飛騨や郡上でトチノミ食の現状を知るため、聞き取り調査を行った。調査の過程で、トチノミ食の盛んな山間地域に縄文遺跡が集中していることもわかったし、トチノキが冷涼な気候と湿潤な谷地形を好むこと、トチのアク抜きには大量の水が必要なことも知った。トチノミ食が「山のめぐみ」であることについては、私たちも当初から認識していたが、同時に、「清流の恵み」でもあることを、今回の調査を通じ、実感することができた。
私たちは、高齢者の方々からうかがった方法を用いて、学校内でトチのアク抜きに挑戦してみた。はじめてのことであり、戸惑いもあったが、言われたやり方をできるだけ正確に再現した結果、トチノミのアク抜きに成功した。時間はかかるし面倒ではあるが、出来上がったトチモチの味わいは格別である。現在、トチモチづくりを継承されている方々の多くは高齢者であり、このままではトチノミ食の伝統が廃れてしまうかもしれない。実際、アク抜きしたトチノミをモチ米とあわせてついてモチにするトチモチは今も継承されているが、完全にアク抜きしたトチノミをカユやダンゴにして食べるコザワシは、今や完全に絶えたようである(私たちの調査では名称ですら伝わっていなかった)。
このことに危機感を持ち、地域におけるトチノミ利用の継承を考えた私たちは、市内の和菓子屋さんを訪ね、協力を求めてみた。今後、快諾してくださった和菓子屋さんとともに、トチノミ利用の新しいかたちを模索し、地域振興や社会教育の場を活用して、トチノミ食を未来につないでいきたいと考えている。
受賞者コメント
まさか受賞することになるとは思わなかったので、とても嬉しく思います。聞き取りに協力してくださったみなさんが本当に喜んでくださり、何よりです。先生に勧められてコンテストに応募しました。校庭のトチノキに実がなったこと、日本史の授業で縄文人が食べていたと習ったことが、きっかけです。地域の方々からなるべく詳しく聞き取りを行い、それと近い手法で自分たちで実験することを重視しました。論文だけては学べないことを、聞き取りや実験を通じて感じとることができたと思います。学校外の活動を通じて、コミュニケーション力が身につき、聞き取りの面白さ、大切さがよくわかりました。高齢者の話はまさに教科書です。これからも聞き取りを続けます。伝承文化を学ぶことで持続可能な自然との共存の道を知ることができました。まさに、SDGsです。
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【 佳作 】
「波留南方神社の神舞」
鹿児島県立鶴翔高等学校 地域探究同好会
応募の動機
高校で所属している同好会の活動の中で地域の伝統行事について興味を持ち調べ始めた。調べていく中で地元でも知らないことや、解決すべき問題点も多くあった。現状を地元だけでなくもっと沢山の人に知ってもらいたいと考えていたところ、学校の先生にコンテストのことを教えてもらい、伝統芸能の活性化につながるのではないかと思い応募した。
研究レポート内容紹介・今後の課題
私たちが研究した神舞は、地元である阿久根では“かんめ” と呼ばれており、神降し、瓶
舞(びんめ)、弓舞(ゆんめ)、剣舞(つるんめ)、田ノ神舞(たのかんめ)、将軍舞(しょうぐんめ)、鬼神舞(きじんめ)の7種類の舞がある。神降しは、舞のはじめにあたって、諸国から集まった神々を紹介し、お礼を申し上げる舞とされていて、とても静かな舞だった。瓶舞は、集合された神々に神酒をすすめ、岩戸前の気勢を上げる舞とされていて、比較的幼い子が舞っていた。弓舞は、武の神々が勢揃いした様は勇ましく、その弓矢の響きは一層気勢をあげるのに役立つとされていて、とても優雅な舞だった。剣舞で、酒に酔い血気盛りの諸国の神々は剣を抜いて舞い、さらに気勢はあがったとされる。また、この神舞は占いやまじないの意味もあり、神々の奇跡の舞でもある。模擬刀を持ったまま前転や後転などをしていた。田ノ神舞・将軍舞では、岩戸の八百万の神々は、天鈿女命の田ノ神舞・将軍舞に腹を抱えて笑い出し、その賑わいや将軍舞の賑やかさは最高潮に達する。籠を背負って観客席にやってきて、籠にお金を入れると神様が元気になるとされ、多くの観客がお金を入れていた。最後の鬼神舞は、手力男命(鬼神)が、岩戸をあけて大神をお迎えできた喜びに大手をひろげて感謝の舞を舞う劇的な舞楽である。鬼神のお面をつけていて踊りながら台詞を言っていた。神舞は、8年に1度本奉納と呼ばれる7種類の舞を披露する奉納があり、それ以外の年は仮奉納と呼ばれる2~3種類の舞を披露する奉納がある。しかし、ここ2、3年は、新型コロナウイルスの感染拡大や踊り手や教え手などの後継者不足により開催できず延期されており、今年の本奉納は10年ぶりの開催となった。今後の課題としては、まず、踊り手不足や教え手不足がある。地元でも神舞について知らない人も多く、踊り手が足りず開催できていない年がある現状がある。また、教え手不足では、踊り手に舞を教えることができる師匠がとても少なく、7つある神舞のうち約5つを1人が教えている。現在、踊り手には高校生なども参加することができ、学生が踊り手として参加することで踊り手の後継者育成や、将来の教え手育成になると考えられていて、神舞を将来まで存続させようという動きがある。しかし、まだ知名度の低さや人手不足などの問題点は残っているため、地域にある伝統芸能を絶やしてしまわないように課題解決につながる活動を私たちだけでなく、市や地域の人と連携を取りながら行っていかなくてはならないと考えている。
受賞者コメント
神舞の開催日からまとめる時間が少なかったですがしっかり制作でき、受賞することもできて嬉しいです。地域探究同好会で顧問の先生にこのコンテストのことを聞き、応募しました。小学生の時から地域の文化や伝統行事について調べることが多く、元々神舞のことを知っていました。今年10年ぶりに開催されると知って、実際に見て詳しく調べてみたいと思いました。神舞について実際に区長や指導者の方にインタビューをしたり、実際に見て伝統を直に感じました。課題に対し今後どうしていくべきか考えることに苦労しましたが、探究活動をして、大人の方々や年配の方、初めて話す方と会話をしたことでコミュニケーション力を身につけることができました。地域の中にいる上で伝統文化は必要だと感じています。文化は地域の大切なつながりや交流が生まれる場であり、これまで継承してきた人の思いがあるから継承していくべきだと思います。伝承文化は昔の情景がそのまま伝わってきます。これまで伝統文化を守ってきた人たちの思いがこもっています。
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【 佳作 】
「鳥取池田家藩主墓の尺について
~池田輝政墓、京都金戒光明寺の亀趺碑との比較を中心に~」
鳥取県立八頭高等学校 亀の会
応募の動機
鳥取藩主池田家墓所は現在の当主、池田百合子氏により鳥取県に寄贈され、地元の国府町の皆さんにより管理されている。しかし、亀趺などの説明が困難なため、あまり知られていない。今回、全国規模のコンテストに参加することで自分たちの研究成果を多くの人々に知っていただきたいと考えた。
研究レポート内容紹介・今後の課題
岡山池田家初代光政は寛文7年(1667)に京都の菩提寺から藩祖、輝政、父の利隆の遺骨を改葬し、領内に藩主一族専用の和意谷廟所を造営した。墓碑は南宋朱熹の『家礼』、明の丘濬の『文公家礼儀節』の規定を厳格に守って作られた。位階三品であった輝政の墓碑は三品以上に限定される台石である亀趺が用いられ、碑身(棹石)は「周尺」14尺(和尺8.988尺)であった。岡山池田家の「周尺」は文献により2種類あることが確認できたが輝政墓に使用された「周尺」は1尺が19.4㎝となる(2020年本会の行った実測にもとづく)。
岡山池田家の分家である鳥取池田家の初代光仲は元禄6年(1693)に死去し、その墓碑は戒名を刻み、亀趺を使用している。先行研究では鳥取池田家は岡山の輝政墓の影響により亀趺を用いたといわれている。しかし、光仲は位階が四品であり、亀趺は使用できない。また碑身は276.8㎝であり、「周尺」で14.26尺、和尺では9.1尺となり、輝政墓を上回る。鈴木健太郎などの先行研究では戒名を刻んで儒教の規定を免れたといわれるが推測に過ぎない。
『因府年表』元禄7年5月26日の条には「興禅院君の御石碑を用ヶ瀬より運ぶ、堅九尺横四尺あり」とあり、当時の人々は光仲墓の碑身の高さは和尺9尺と認識していた。
三好義三(2014)によれば寛永16年(1639)に立てられた石川吉信亀趺碑は日本最古の亀趺碑である。藤原惺窩の高弟、堀杏庵(寛永19年没)によって「九尺其長者為多功也」という説明が刻まれている。9尺の亀趺碑は功績の多さを示すという。実測したところ269.8cm であり、和尺8.90尺であった。同じ京都の金戒光明寺にある天野清正碑(266.5cm)、山本義安碑(264cm)などの初期亀趺碑もほぼ和尺9尺であることが分った。これらの亀趺碑は碑身に被葬者の履歴をきざみ、扁額を持つという共通点がある。鳥取の光仲墓も碑の裏側に「興禅院君徳政之碑」と扁額があり、その下に履歴が刻まれている。光仲墓は石川吉信亀趺碑など初期の亀趺碑の形式を継承している。鳥取池田家の光仲墓は功績の大きな人物は9尺の亀趺碑を立てるという堀杏庵が伝えた規定を根拠にしていると思われる。
鳥取池田家では2代藩主綱清の墓は亀趺を使用せず、3代吉泰以降、すべての藩主墓は亀趺を使用する。藩主墓はほぼ9尺の碑身であるが、10代慶行、11代慶栄の2基は巨大化し、10尺を越える。なぜこの2基が巨大化するのかは今後の課題としたい。
《参考文献の一部》
石坂善次郎(1932)『池田光政公傳』(自家本)
吉永町史編纂委員会(1984)『吉永町史 資料編』(吉永町)
吾妻重二(2008)「池田光政と儒教喪祭儀礼」(『東アジア文化交渉研究』創刊号、関西大学、2008)
白嵜顕成(2013)『くろ谷金戒光明寺に眠る人びと』(浄土宗大本山くろ谷金戒光明寺)
三好義三(2014)「近畿地方における亀趺碑の様相について」(『石造文化財6』、石造文化研究所)
池田光仲墓碑(2022.4.27撮影)
鳥取藩主池田家墓所保存会、前会長沖廣俊氏を囲んで(2022.8.8撮影)
受賞者コメント
研究仲間と努力して研究したので、このコンテストに応募してたくさんの方に見ていただきたいと思いました。多くの苦労があったので、受賞することができて達成感を感じています。大変な事がありましたが努力して良かったと思いました。
珍しい研究に挑戦してみたいと思ったため、細かい数値までこだわってデータを多く集めました。また、はじめは墓についての知識や、鳥取の歴史についての知識があまりなかったので、先行研究を調べる時からすごく苦労しました。研究をしていくと、どんどん疑問が湧いてきたり、興味が深まっていって、研究の楽しさを知りました。難しい先行研究を読んだり、多くのデータを集め、努力したあとに達成感を感じられるのが研究の面白さだと感じました。墓所の調査の際や、研究をまとめる際に仲間と協力することが多々ありました。一人ではできないことも仲間に助けられたり、仲間を助けたりして、成し遂げられた結果だと思います。仲間との協力の大切さがすごくわかりました。
幼い頃鳥取の伝承文化である麒麟獅子の獅子に噛まれ、怖い思いをしたけれど、舞はすごく迫力があって感動したことがあります。麒麟獅子やガイナ祭りなど、鳥取県民なら誰でも知っている伝承文化がいくつもあって身近にあると感じます。伝承文化を継承することは大切なことだと思います。昔の人が受け継いできた文化には色々な思いが詰まっていて、とても意味深いものだと思います。
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