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地域民話研究部門(個人)

  優秀賞 
  昔話と「化ける」動物たち ~狐が「化け狐」と呼ばれるようになったわけ~
   神奈川県立平塚中等教育学校 3年 落合 佑香
 
  「ガーナー森伝説 ー化物森はどのように誕生したのかー
   沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 2年 屋嘉部 遥菜
 
  佳作 
  佐賀県唐津市の松浦佐用姫伝説~松浦佐用姫石化伝説について~
   佐賀県立唐津東高等学校 2年 山﨑 美紗子

    ■審査員講評も参考にしよう!【 地域民話研究部門 講評 

 

【 優秀賞 】

「昔話と「化ける」動物たち
~狐が「化け狐」と呼ばれるようになったわけ~」 

神奈川県立平塚中等教育学校 3年 落合 佑香

応募の動機

学校の課題研究の授業(生徒が3年間かけて各自のテーマを決めて研究する)で動物の登場する昔話について研究した。研究する中で、昔話に登場する動物の語られ方は動物の種類によって差が大きいと感じた。特に、「化ける」といわれている狐・狸・猫の登場する昔話は話の筋や結末がかなり異なっていることに気が付き、それぞれの登場する話を比較し、話が異なる理由や「化ける」と語られるようになった由来について考察した。

研究レポート内容紹介・今後の課題

昔話の中で、狐や狸、猫は「化ける」といわれることが多く、それぞれが人間とかかわっている話が多く見られた。しかし、それらの動物が「化ける」理由や方法、話の結末などが大きく異なっていた。この差がどうして現れるのか、またそもそもなぜこれらの動物が「化ける」といわれるようになったのかについて調べた。全国の昔話を収集した『新装 日本の民話』(ぎょうせい出版、1979)等から狐、狸、猫の登場する話を抜き出し、話の筋を比較した。
 調査で、動物それぞれの「化ける」とされる行動自体が異なっていることが分かった。狐は人に変化するパターンと人に幻覚をみせるパターンがほとんどである。狸は人に変化するだけでなく化け物や物(仏像など)に変化するといったパターンも多く見られた。さらに、猫は喋ったり踊ったりするなど人間のような動作をするだけで「化け猫」と呼ばれ、さらに葬式の際に死者の棺を空中に浮かせるといった不思議な力を持つ存在として語られていた。
 また、話の結末もそれぞれの動物によって異なる傾向が見られた。結末での登場動物の生死、また人を化かすことに成功したか、という観点で比較した。狐は最後まで生き残っていることがほとんどだった(比較した38話中35 話で生き残った)が、狸(17 話中8話しか生き残らない)や猫(20 話中9話)は話の中で殺されてしまうことが多かった。しかし、人を化かして利益を得たか、また目的を達成したか、最後まで見破られなかったか調べると、狐や猫は半分ほどの割合でこれらに「成功」しているのに対し、狸はほとんどが「失敗」している。こうした違いには、その動物が人に害をなそうとしたかどうかが関わっていた。人を殺める目的で「化けた」場合、結末でその動物が逆に死ぬ割合が高かった(28 話中22 話)。狐が人を殺める目的で化ける話は皆無だったので、結末で死亡する割合が低いと考えられる。
 これらの動物が「化ける」とされるようになったのは、身近な動物だが人に馴れないこと、夜行性であり、夜道で出会う可能性が高く驚かされることが多いこと、寺社に祀られ、信仰の対象とされて神通力を持つと思われていることなどが理由であると考えられる。
 調査していくなかで、一概に「化ける」といっても本当に様々な話の種類があることに驚かされた。今回の研究は図書館の本を調べるだけで終わってしまったので、今後はこれらの動物が祀られている寺社を積極的に訪ねて研究を進めたいと思っている。

受賞者コメント

 受賞の連絡を受けて、とても驚きました。自分の研究を評価していただけて嬉しいです。
学校の総合学習の時間に研究した成果として、コンテストに応募することを先生に勧められたことがきっかけで応募しました。
 この活動を通じて沢山の昔話を読めたことがとても楽しかったです。また、根気強さが大事だと学びました。先行研究や昔話に関する本を読んでも、簡単に自分の調べていることは見つからず、じれったく思いましたが、この経験を通じてすぐに答えが見つからなくても焦らずに考えることが出来るようになったと思います。
 大学では伝統文化をはじめ、幅広く社会について学んでいきたいと思っています。
 活動期間がコロナ禍と重なってしまい、図書館で本を調べるだけで終わってしまったので、今後は話中に登場する場所などを積極的に訪れたいです。

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【 優秀賞 】

「ガーナー森伝説 ー化物森はどのように誕生したのかー」

沖縄・昭和薬科大学附属高等学校 2年 屋嘉部 遥菜

応募の動機

家族でよく行っていたカラオケ屋には駐車場のすぐそばに不自然に取り残された森があり、幼い頃からその存在が気になっていた。調べてみると、ここには森自体が人を襲うという伝説が伝わっていることが分かった。研究例の少ないガーナー森について分析することは琉球民話研究の発展につながると考えており、その不思議な伝説の由来が気になったため研究対象とし、その成果を応募した。

研究レポート内容紹介

沖縄県那覇市鏡原にはガーナー森と呼ばれる森がある。ここには、森が村人を襲おうとするも神によって封じられてしまうという「ガーナー森伝説」が伝わっている。今回の研究では、この伝説が完全なフィクションであるのか、はたまた元となった出来事があるのかという疑問を解明するために調査を行った。
 論文の構成として、第二章ではガーナー森の名前の由来と伝説の内容を述べた。第三章では作業仮説として、①類似の伝説があり、それから影響を受けていないか。②ある出来事(自然災害)があり、それをもとに作られていないか。の二点を挙げた。第四章ではこれらの調査の結果と考察を記した。①についての調査で、周辺地域に伝わる伝説にガーナー森伝説と類似のものが確認できなかったことから、ガーナー森伝説はこの地域独自の伝説であることが分かった。また②についての調査から、「氾濫・洪水」がもとになってガーナー森伝説が誕生したと結論づけた。根拠として、
・ ガーナー森はかつて国場川河口に浮かぶ島だったが、「琉球国旧記」第五巻「関梁」にはたびたび発生する国場川の氾濫について書かれていること
・ ガーナー森にある御嶽(うたき)注)に「仁天屋船弐久姫(じんてんやぶねひくひめ)」(沖縄の人類創世神話の龍神伝説に登場する龍神。沖縄では龍神は水を司る神様だと考えられている。)と刻まれており、その御嶽はガーナー森を封印し人々を水害から守ってくれるように建てられたものではないかと考えられること
の二点を挙げた。この御嶽とガーナー森伝説とを結びつけた研究は本論文が初だと思われる。
 第五章では、先行研究に乏しいガーナー森伝説についての新たな可能性を見いだせたという研究の意義を述べた。また、文献に残る伝説と地域住民に伝わる伝説とにどのような内容のズレが有るのかを明らかにすることは今回の結論の信憑性向上に繋がるため、地域住民へのインタビューを行う必要があると記した。

 注)御嶽… 神を祀る聖地のこと。本州においての鎮守の森と似た聖地。近年までは特に男子の立ち入りを禁じていた。

今後の課題

今回の研究から新たに、森の近くにある真玉橋に残る「七色ムーティーの人柱伝説」と「ガーナー森伝説」との関係性についての疑問が生じた。この伝説も洪水に関わるものであり、ガーナー森伝説と共通する部分もあるのではないかと考えたからである。この疑問をもとに次年度の研究を継続したい。

ガーナー森にある御嶽
埋め立て以前のガーナー森の写真(奥武山公園案内板より)

受賞者コメント

 もっとこうしておけば良かったと作品に対して思うところがあったので、受賞の話を聞いた時は驚きました。このような輝かしい賞を受賞させていただき、大変光栄に思います。
 学校が休校になり時間に余裕が生まれたため、何か新しい事をしようと見つけたのがこのコンテストでした。もともと神話や伝説が好きでよく本を読むなどしていましたが、現地でのインタビューなど本格的な調査をしてレポートを書くといったことはやったことがなかったため挑戦してみようと思い、応募させていただきました。
 工夫したことは、レポートからどのようにしてこのような結論に至ったのかが分かるような順番でまとめたことです。なぜその仮説を立てたのか、そして検証してみて何がわかったのかということが読み手にしっかり伝わるように考えながら執筆していました。また、一つ一つの調査に対して、調査目的を明示することも意識しました。楽しかったことは、自分の持っている知識が活かせた時に研究の面白さが感じられたことです。授業で習ったことや本で得た知識が研究に繋がることが分かると、それらのことが一気に身近に感じられますます学習意欲が高まりました。研究の中で、実際に現地に行き調査をすることの重要性を学びました。私は伝説の舞台となった森へ行くことで、自分の身を持って体験することだけでしか得られない情報の多さを痛感させられました。そこで得られた情報は文献調査の時にも大変役に立ちました。現代では、インターネット上に動画や写真があふれているため見ているだけでそれらを体験したような気分になってしまいがちです。そのような罠にはまらないよう、現地での感覚を大切にしていきたいです。さらに活動を通して、多角的に物事を見る力が身につけられました。実際に研究活動の中で、ある事柄について複数の視点から仮説を立てることで解明につながるヒントが得られるといったことがあり、一つの考え方に囚われないことの大切さがわかりました。これからの研究活動でも柔軟な見方を意識したいと思います。
 日本にはまだまだ研究が進んでおらず、地域住民の記憶からも薄れかけている伝承が多くあります。私は将来、それらを記録・分析し次の世代に繋ぐ活動に携わりたいと思っています。今回の研究活動では、緊急事態宣言下ということで十分な聞き取り調査が行えず、良い証言を得られませんでした。今後は生の声を聞く事を意識して研究に取り組みたいです。また、このコンテストへの参加を考えている人に、興味・関心が無い事柄も役にたたないと切り捨てずに学んでほしいということを伝えたいです。一見自分の研究に関係無さそうなことも、実はその知識や考え方が研究に活かせることがあります。日頃から何に対しても学ぼうとする姿勢が大事だと思います。

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【 佳作 】

「佐賀県唐津市の松浦佐用姫伝説~松浦佐用姫石化伝説について~」

佐賀県立唐津東高等学校 2年 山﨑 美紗子

応募の動機

佐賀県唐津市には、日本三大悲恋伝説の一つとされる松浦佐用姫伝説があり、その伝承地があります。私は、学校の図書室で知ったこのコンテストに、幼い頃から親しみを感じていた松浦佐用姫伝説について詳しく調査し、学んだことを応募したいと思いました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

はじめに佐賀県唐津市の松浦佐用姫伝説を紹介します。宣化天皇二年(537)の頃、松浦佐用姫は、朝廷の命令で朝鮮半島の任那、百済を救援するために松浦の地にやってきた大伴狭手彦と出会い夫婦となりました。やがて狭手彦出船の日、別れを悲しんだ佐用姫は、鏡山へ駆け登り、軍船に向かって身にまとっていた領巾を必死に振りました。遠ざかる軍船を追いかけ鏡山を駆け下り佐用姫岩へ飛び降りて、呼子加部島まで追いかけました。佐用姫は、夫の名前を泣きながら七日七晩呼び続けて悲しみのあまり石になったという話です。
 私は、佐用姫がなぜ「石」になったと伝えられているかを知りたいと思い、調査を始めました。伝承地の佐用姫生誕の地、鏡山、佐用姫岩、佐用姫神社へ行き、周辺の調査や地域の方への聞き取り調査を行いました。各伝承地は、今も地域の方々に守られていることが分かりました。しかし、佐用姫の石化については分かりませんでした。
 そこで、さらに詳しく調べました。肥前風土記(奈良時代初期)に佐用姫のことが記されています。ここには石化の話はなく、「蛇婚」と「鏡渡」のことが記されています。万葉集(奈良時代末期)には、佐用姫のことが歌に詠まれていますが、石化に関するものはありませんでした。梵灯庵袖下集(室町時代中期)に佐用姫が「石」になったという表現があります。この論書において佐用姫の石化が伝えられるようになったということが分かりました。なぜこの論書に「石」になったという表現があったのでしょうか。唐津は、魏志倭人伝において「末盧国」と記されていることから、中国や韓国へ往来するための港だったのではないかということが考えられます。中国には、戦争へ出かける夫を見送った妻が石(望夫石)になったという話があります。この話が人から人へと伝わり、梵灯庵が大切な人を想い続ける姿を佐用姫と結びつけ、梵灯庵袖下集に記したと考えられることが分かりました。私は、「石」になったという話はとても美しい話だと思います。今回の調査で松浦佐用姫石化伝説は、大切な人の無事を祈る姿を美しく変化させたものであり、また国境を越えた人と人との繋がりから生まれた愛のある伝説であるということを感じました。
 今後の課題は、さらに文献調査をすすめ、他地域の松浦佐用姫伝説を調査し、唐津との比較研究をしたいと思います。

佐用姫が領巾を振った鏡山からの眺望
佐用姫神社
佐用姫像

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