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地域文化研究部門(個人)

 最優秀賞・折口信夫賞 
 「屋久島民謡『まつばんだ』を後世に伝える方法
  鹿児島県立屋久島高等学校 3年 寺田 雅
 
 優秀賞 
 「「無尽」がつくる山梨のコミュニティを探る!!
  山梨県立甲府東高等学校 3年 竹井 愛
 
 「わんどの津軽の楽器の魅力ば知ってげじゃ
  青森・五所川原第一高等学校 3年 古川 弥音
 
 佳作 
 「夏の写し絵
  岐阜・済美高等学校 2年 森 幸成
 
 「神社には地域を活性化させる事ができるか 〜埼玉県志木市敷島神社のケース〜
  東京・渋谷教育学園渋谷高等学校 2年 岡田 真奈
 
 「温故知新 ―埼玉県秩父市の伝統文化から考える―
  東京・海城高等学校 1年 島村 昂寿

     ■審査員講評も参考にしよう!【 地域文化研究部門 講評 】

 

【 最優秀賞・折口信夫賞 】

「屋久島民謡『まつばんだ』を後世に伝える方法」

鹿児島県立屋久島高等学校 3年 寺田 雅

応募の動機

屋久島の高齢化率は36.5%(令和2 年3 月31 日現在)で、高齢者の割合が高い。それに比べて若者は中学校や高校を卒業すると進学や就職のために島を離れることが多く、地元にはほとんど残らない。私たち高校生を含む島の子どもたちが民謡について身近に触れる機会が少なく、このままでは屋久島の「文化」も失われてしまうため、島の人々に屋久島民謡『まつばんだ』を身近に感じてもらうための方法を研究した。その調査結果をより
多くの人に伝え、伝統継承につなげたいと考え応募した。

研究レポート内容紹介

研究1 屋久島の民謡に関するアンケート調査
 屋久島町民の『まつばんだ』についての認知度、民謡の普及活動について高校生、職員、保護者、計439 人を対象に調査した。その結果、住民参加型のイベント等ではない方法で、自然な形で町民の生活に寄り添い伝わっていく方法を研究することが重要であることを考察した。この結果を受け、研究2、研究3を実施した。

研究2 町内放送の実施
 『作成した音源を午後5時の時報として町内放送で流す』という屋久島町への提案をするために、まずは『まつばんだ』の原曲を聴き、馴染みやすい曲になるようにサックス四重奏として編曲・録音作業を行った。そして町に提案し、令和2年9月14 日に町内放送として採用され、令和2年11 月1日から放送開始が決定した。
 突然の時報の変更では町民の方々も困惑されると思ったので、事前にお知らせするために屋久島町情報誌、および南日本新聞の記事に取り上げていただいた。写真は令和2年9月16 日に行われた取材の様子、および演奏風景である(図1、図2)。取材の内容は、研究の動機や編曲作業の様子などであった。その後の演奏風景の撮影では演奏する屋久島高校吹奏楽部のメンバーに協力してもらった。

研究3 屋久島の民謡に関するアンケート調査(事後)
 令和2年11 月1日から午後5時の時報として『まつばんだ』が流れ始めて約一か月、民謡による町民の心境の変化や与えた影響について調査するために、高校生、職員、計218 人にアンケート調査を現在行っている。

今後の課題

今後の課題は、町内放送で午後5時の時報として流し、町民の耳に民謡を触れさせることで、町民に『まつばんだ』を島の歌として認知してもらうことができたか、研究3で行っている町内放送実施後のアンケート調査をもとに、町民の心境の変化や与えた影響を分析すると共に、いかに研究を継続するかである。

図1 屋久島町情報誌と南日本新聞の取材の様子
図2 演奏風景

受賞者コメント

 賞を頂けるとは思ってもいなかったので、とても驚きました。この研究にご協力頂いた先生方や地域の方々のおかげです。貴重な賞を2つも頂けてとても嬉しいです。
 環境コースの先輩が民具の研究で、このコンテストに昨年応募し、優秀な成績をおさめておられたので、私も挑戦したいと思ったからです。私の学校の環境コースでは、卒業する前に各個人の研究の論文集を作るようになっているので、このコンテストのおかげで論文の作り方や構成などを勉強することができました。先生方のご指摘やアドバイスも勉強になる部分が多かったです。
 今後の課題は民謡による人々の心境の変化などをアンケート調査で分析していきたいです。目の前にあるチャンスを逃がさずに、挑戦できる環境に感謝して、何事にも挑戦していってください。

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【 優秀賞 】

「「無尽」がつくる山梨のコミュニティを探る!!」

山梨県立甲府東高等学校 3年 竹井 愛

応募の動機

私の父は月2回「無尽だから今日はご飯要らないよ」と言って出かけていく。また、私の家の前の家では「無尽」を開いていて夜は賑やか。この光景は昔からずっと続いているため、特に小さい頃から気にすることもなく、今まで過ごしてきた。今回が調べるには絶好の機会であると思い、「無尽」がつくる山梨のコミュニティを探った成果を応募した。

※無尽とは何か?
  毎月1回、決まったメンバーで集まり、決まった金額を出し合い、集めたお金をプールしておく。メンバーの誰かが冠婚葬祭、商売の資金不足、急な物入りがあるといった事態に遭遇したとき、蓄えたお金から融通するといった互助システム。現在ではお金の融通という役割が失われて、飲食会や団体旅行を通じた交流の場になっている無尽もある。一人何個参加しても良い。

研究レポート内容紹介・今後の課題

⑴ 「無尽」の歴史
 「無尽」の起源は貨幣経済が始まった鎌倉時代の「無尽講」や「頼母子講(たのもしこう)」に由来しており、昔から現在と同じシステムである。近世になってから相互的役割をもつものとなり、流行した。明治・大正期には村の名望家が金銭調達を目的に入札や抽選の形で行う「セリ無尽」が登場する。破産者の救済や選挙に利用されることもあった。高度経済成長期になると民間金融機関的要素は農協や金融機関に移管しセリ無尽も減少した。同時に、仲間と旧交を温め、親睦を深める形式に変容していった。

⑵ 身の回りの人々と「無尽」
 友達の親・先生方・親戚の約20 人に聞き取り調査を行った。その結果、無尽に参加していない人がほとんどで、参加している人は30 代以降の方で、女性はほとんど参加していなかった。

(考察)
・女性は家庭を優先して働いて帰ってきた後「無尽」には行きにくいのではないか。
・小中学時代の地元が生徒数が少ない地域の人たちが同級生と組んでいる傾向。
「無尽」の場の提供者へのインタビュー(家の近くで50 年以上飲食業を営んでいる方)

(考察)
・ずっと同じ所に同じ店があって楽しめる「安心感とやすらぎ」の場所に無尽がなっている。
・法律などの社会的背景が地元の人々を近くで留まらせている。
・農業などの職業柄や交通の不便さもあり、何事にも助け合いの精神が地域で表れている。

⑶ 「無尽」と山梨
 「人は石垣、人は城」―甲斐国(山梨県)が生んだ戦国武将・武田信玄とその配下たちの出陣を描く郷土の歌『武田節』の有名な一節である。戦いに勝つも負けるも要は人の団結力の強さということを歌っているのだが、山梨県人の最大の特徴は、その強い結びつきにある。

ⅰ「無尽」からわかる山梨県民の特徴
 1.「無尽」の仲間で信頼関係の構築を行っている。
 2.お金の使い方は堅実である人が多い。(山梨県出身の実業家も多くいる)
 3 .山梨日日新聞(地元紙)に「お悔み欄」(訃報と通夜、告別式の情報)があり、毎日確認→人との結びつきを大切にするから、地域の方で葬式の手伝いをすることもある。

ⅱ「無尽」が山梨にもたらしているもの
 元気で自立した生活をすることを指標にした「健康寿命」で山梨は全国的にトップレベル。
◎健康寿命の長さは、社会との関わりや人間関係に関与している。
→「無尽」は人とつながって生きることを満たすのに絶好な機会、組織であるといえる。
 ※ 山梨大学大学院教授・山縣然太郎さんの以前の研究(65 歳以上の高齢者600 人を対象に1年間追跡調査を行い、生活活動能力(ADL)が維持されたグループと低下したグループの要因を分析)によると、旅行仲間がいる層は3.1 倍/悩み相談相手がいる層は2.3 倍のADL が維持

これを満たす「無尽」はなんと…。
 特に「無尽」を楽しみにしている人とそうでない人の間には、ADL の維持に約6.7 倍もの差があった!

⑷ 「無尽」の今後
 ≪無尽の課題≫
共働き、家庭第一の意識の増加、金融リテラシー意識の増加、インターネットの普及、飲酒運転の厳罰化、毎月の予定が決められてしまう、若い人を巻き込む力不足
 ≪対策≫
・既存の「無尽」には入っていきにくいため、新たに「無尽」をつくれる環境づくり
・「 月1回のいつ」と詳しく決まっていると束縛間が出てしまうため、気の合う仲間、信頼できる仲間と、もっとフラットな会にする。

感想と展望
 私がここで学んでそれっきりとなってしまったら、さらに山梨特有の文化を伝える若者としての役割を捨ててしまうことになる。
「無尽」には本当によいことがたくさんあることを、私と同世代の若者だったり、私より若い世代にも伝えたいのに、今の自分の知識と経験と情報量では伝えきれない。そこで今後私は大学や様々な地域コミュニティから「無尽」の活力を取り戻す策を学んでいきたいと考えている。そして私が地域と様々な教育現場を繋ぐ架け橋となりたい。

受賞者コメント

 毎年多くの作品が応募されるとHPで知っていたため、まさか私がその中の優秀賞に選んでいただけるとは思いもよりませんでした。写真などを一枚も使わず、イラスト等を使って工夫してまとめたので、本当に選んでいただいて光栄です。
 私自身の中で大学に入ってから「地域」について学びたいと考えていたため、大学入学前にもっと山梨について知っておきたいと思いました。そのために私に身近であった「無尽」という地域コミュニティについて調べることにしました。私にとって身近だと思っていた「無尽」が山梨という同じ県の中でも遠い存在である人もいるということがわかりました。そのため、私の身近には地域の宝物があるということに気づくことができました。また、山梨の人々の結びつきを強くしているのが「無尽」であるということも発見できました。
 私は元々教職だけが将来自分自身のやりたい事だと思い込んでいました。ですが、視野を広げるために様々な経験をして、色々な人の意見を聞き自分自身を見つめ直すことで、やりたいことが変わったと思います。1つに縛られず、様々な視点に立つことは大切だと思います。

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【 優秀賞 】

「わんどの津軽の楽器の魅力ば知ってげじゃ」

青森・五所川原第一高等学校 3年 古川 弥音

応募の動機

私は部活動で始めた津軽三味線の魅力に引き込まれ、もっとたくさんの津軽三味線奏者と関わりたい、そしてそこで得た津軽三味線の魅力を他社にも伝えたいと感じるようになりました。そんな時、学校の総合的な学習の時間で「地域の伝承文化に学ぶコンテスト」があることを知り、このコンテストなら津軽三味線の魅力を発信したり、より多くの方に知ってもらえるのではと思い応募させていただきました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

今回のレポートは、津軽三味線のみの紹介だけではなく、三味線というものが日本に伝わってくるまで、そしてその三味線にはどのような種類があってどんな違いがあるかをまとめました。また、様々な変化を経て伝わってきた三味線がどのようなきっかけで津軽三味線へと進化したのかを調べることができました。ただ三味線というものが金木町に伝わってきたのではなく、1人の若者の強い気持ちによって津軽三味線が誕生したことは日本
国民全員に知ってほしいです。
 そして、このレポートで特に伝えたかったことは、津軽三味線を弾き続け伝承している若者がたくさんいるということです。今年はコロナの影響で、実際に奏者の方々とお会いすることはできませんでしたが、SNS を通して様々な意見や、今後の津軽三味線を伝承するための工夫についてまとめることができました。
 時代は私たちが思う以上に変化が激しく、その激しい変化とともに伝統を伝えることはとても難しいことです。若者にとっては、「年より臭い」ものとなっているため、今後も伝承していくためには我々奏者の工夫がより一層必要となってきます。そこで、津軽三味線に携わっている方々に、「津軽三味線を伝承していくうえでどのようなことを工夫しているか聞きました。そうすると、JPOP などの幅広い曲を導入し、若者にも触れやすいようにしたり、SNS を活用して日本国内に限らず、海外の方の目にも止まるように津軽三味線の情報を発信するなどの意見をいただきました。私自身、様々な曲を弾くことには取り組んでいましたが、海外の方にも発信することはしていなかったため、これから活用しようと感じました。
 今回の調査を経て、地域によって差があることを感じました。やはり、人の出入りが活発な地域であれば、津軽三味線という伝統を伝承しやすいです。しかし、私が住んでいる人の出入りが活発でない地域では、やってみたいと思っても場所やきっかけがないことに気付きました。なので、私が今後の課題にすべきなのは、伝統を伝承していくことだけでなく、やりたいという気持ちを持ち始めた若者や、三味線は弾いているけどもっと上達し
たいという若者などを支援できるようになることだと感じています。きっと、津軽三味線を弾くのがうまい人は何人もいると思います。ですが、私がここで他人任せになってしまえば、結局伝承されずに消えてしまう可能性もあります。なので、勇気を振り絞って1歩を踏み出し、津軽三味線の魅力を知ってもらうために、私は生きていきます。

受賞者コメント

 1年生の頃から取り組んできて入賞することを目標にしていたので、とてもうれしいです。入賞したことで自分に自信を持つことができたので、今後も地域の文化を伝承し、日本の文化を大切にしていく活動を積極的にしていきたいと思います。
小学生の頃から部活動として津軽三味線を始め、津軽三味線の魅力をより多くの人に知ってほしいと思い作成しました。1年生の時も同じ津軽三味線を題材にしてレポートを作成しましたが、惜しくも入選で終わってしまったので、より詳しく、沢山の方の協力のもと完成させることができました。
私が知っているのは津軽三味線だけでしたが、このコンテストを通して、津軽三味線が誕生するまでの道のりを調べることができました。また、津軽三味線を演奏している方々とお話することで、自分にはない考え方や価値観を知ることができ、人間としても成長できたと感じています。自分の“誰かに知ってほしい”“魅力を伝えたい”という気持ちがあれば、素晴らしい作品が出来上がります。伝えたいことを思う存分、紙に書き連ねてください。

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【 佳作 】

「夏の写し絵」

岐阜・済美高等学校 2年 森 幸成

応募の動機

「専門の民俗調査は一切できなくなりました…」は7月21 日の朝日新聞に載った新谷尚記先生の言葉です。コロナ禍では聞き取り取材などの現地調査は困難で、コンテストへの応募は諦めていました。しかし、その新谷先生の8月6日の記事(なかったことにされる戦史がある)を読んで、気持ちが変わりました。「忘却は死者に対する最大の侮辱」という言葉に動かされ、新谷先生の言う「なかったことにされること」というもう一つの歴史
を調べてみようと思いました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

2020 年6月7日の朝日新聞に錦絵「麻疹退治」を扱った鈴木則子先生の記事が載りました。はしか絵と呼ばれる「麻疹退治」や歌舞伎のパロディせりふ集を例に挙げ、コロナ禍を経験して江戸の人々への見方が変わったという内容でした。「麻疹退治」は有名なはしか絵であり、最寄の内藤記念くすり博物館刊行の図録『はやり病の錦絵』にも収録されているので、以前から知っていました。私もコロナ禍を通じて、このはしか絵に対しての
見方が変わりました。コロナ以前は感染症がはやると、様々な職業の人が困るんだなという程度の理解でした。

そして、この記事が載った頃には、自粛や休業要請で江戸時代と同じ様な飲食、娯楽などの職業の人が実際に打撃を受けました。まだ、この時点では現代も感染症の流行により、このような経済的な問題は起こるんだなという理解でした。私は武漢で謎の新型肺炎発生という第一報からコロナ関係の新聞記事を毎日収集しているのですが、5月辺りからコロナ差別という問題が取り上げられるようになりました。そして、終戦の日の前ぐらいから戦時中の「非国民差別」などと絡めて、コロナ差別がよく記事になりました。その辺りから私は「麻疹退治」は感染者差別のあらわれであると考え始めました。
 その頃に出会ったのが、新谷先生の「なかったことにされる」歴史という考えです。今回参考にさせていただいた『はやり病の錦絵』や、朝日の鈴木先生の記事にも「麻疹退治」は感染者への差別という解説はありません。
 前者が医療や感染症、後者が文化、娯楽を主題にしておられるので記述がないものと思われますが、ならば、自分で江戸時代にもあった感染者への差別を明らかにしてやろうと思いました。そこに、「なかったことにされる」歴史があるのではと思ったからです。
 まず行ったのは「麻疹退治」と、それに類似するはしか絵二作品を読み解く作業です。そこには擬人化された麻疹の病魔と、それを退治しようする擬物化された人間、または人間そのものが描かれています。病魔退散の祈願とみるのが一般的なようですが、コロナ禍における感染者差別の発生を通して見ると、「麻疹退治」は弱い者が更に弱い者を叩くという差別のあらわれであると考えました。現代のコロナ差別と変わりのない人間の心意と
いうものが、そこには存在しているのです。
 その感染者差別というものは江戸も現代も同じというのは、その時間的な発生過程も共通しています。現代の感染者差別はコロナ初期にはみられず、その後三、四か月経ってから発生しました。それは江戸も同じで麻疹流行初期の4月に出版されたはしか絵はまじないや養生系ばかりですが、7月の出版分になると、4月にはなかった風刺系の感染者差別を思わせる絵が大量に刷られています。江戸時代も感染への恐怖や偏見から、現代のコロ
ナ差別と同様に感染者への差別が段々と広まっていったと考えました。
 あの夏の写し絵は昔の話ではありません。人間というのは江戸も現代も変わりはなく、差別というものはなくならないと思います。しかし、なくすことはできなくても、コロナ流行によって起こった差別を忘れずに、その様なことが少なくなるようにしていきたいです。そして、コロナ差別がなかったことにされないように伝えていくことが今後、私のできることです。江戸人も現代人も同じ人間、感染者もそれを叩く者も同じ人間。それを忘
れるのも人間なら、それを伝えるのも人間です。伝承というものは私たちのすぐそばに存在しているので、コロナ禍でもできる研究を模索していきたいです。

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【 佳作 】

「神社には地域を活性化させる事ができるか
〜埼玉県志木市敷島神社のケース〜」

東京・渋谷教育学園渋谷高等学校 2年 岡田 真奈

応募の動機

学校の先生に紹介して頂いたのがきっかけです。幼少期に神社の荘厳な雰囲気や、古来より受け継がれてきたその秘めたるパワーに魅了されて以来、「神社について研究してみたい」という想いがありました。そこで、神社が観光目的ではなく、本来の信仰目的の施設として人々の身近な存在になれる可能性を模索するために、論文を書きました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

本研究では、神社のお祭りが地域住民のコミュニティ形成にどの程度貢献しているのかを、埼玉県志木市の敷島神社を研究対象にしインタビューを通して明らかにしました。行政主導のハード面の事業ではなく、神社を中心とした地域住民の主体的な活動を推進することが目的です。まず、先行研究の分析により、地域活性化とは単に人口を増やすことではなく、「その地域に暮らす人が社会的・精神的豊かさを獲得し、自らの手で魅力あるま
ちを創造してゆくこと」と定義しました。
 インタビューでは、敷島神社にゆかりのある方に夏祭りの準備から当日の動き、そして片付けや次年度の準備に至るまでの一連の流れで、地域住民がどのように連携を取っているのかを聞きました。敷島神社の夏祭りは志木市にある敷島神社の境内で毎年7月の第3土曜日、日曜日に開催されます。訪れる観光客は約10 万人で、志木市民だけでなく、志木駅を通る東武東上線沿線から人が集まってきます。御神輿、子ども神輿、民謡流しなど
が執り行われ、境内や町中に露店が出る大規模なイベントです。夏祭りを運営しているのは、実行委員会に入っている7町内で、順番に仕切りを担当します。毎年、会合で前年の反省や今年度の段取りについて話し合ったり、年初には警察署に歩行者天国の申請・手続きをし、消防署、消防団、志木市役所産業観光課などの各関係機関へ挨拶したりします。1週間前には、御神輿の担ぎ手により御神輿の準備が、各町内会により飾り付けや神酒所設営などが行われます。当日、子ども神輿の付き添い係や神酒所の手伝いをするのは町内会に入っている住民です。夏祭りの1ヶ月後には、お祭りに関わった全ての機関及び御神輿の担ぎ手により反省会が開かれます。以上より、代表の住民たちは1年を通して連携を取り合っていると分かりました。
 調査の結果、「神社は地域を活性化させる事ができるか」という問いに対し、「地域住民の精神的豊かさの創造という面で可能である」という結論を得ました。敷島神社の夏祭りは住民らの交流の機会であり、持続的な魅力あるまちづくりの契機となりうるのです。
 今後の課題としては、他地域との比較や、居住年数別の地元に対する意識の違いの検証、敷島神社宮司などへのインタビューが挙げられます。他の神社では、地域住民のコミュニティの形成のためにどのような取り組みをしているのかを調べることで、具体的に導入すべきプランを検討できると考えます。また、コミュニティ形成が住民へもたらす効果についての裏付けが不十分でした。したがって、感染症の拡大が収束した際には街頭アンケートや、神社、祭りの関係者への更なるインタビューを実施する必要があるとも考えています。

 
 

 

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【 佳作 】

「温故知新 ―埼玉県秩父市の伝統文化から考える―」

東京・海城高等学校 1年 島村 昂寿

応募の動機

コロナ禍で分散登校となっていた6月後半に、先生から高校生新聞主催のコンテストに関するポスターが配信されました。僕はその中でも、もともと興味があって調べたこともあった、「秩父の伝統」と「現代のアニメ文化」の関係性について、より深く調べたいと思い、今回の「第16 回『地域の伝承文化に学ぶ』コンテスト」に応募しました。

研究レポート内容紹介・今後の課題

今回の僕の研究のテーマは、「秩父夜祭」という世界無形文化遺産にも登録されている行事に代表されるような秩父における伝統文化の継承において、現在のアニメ文化との関係性がどうなっているのか、というものでした。
 この問題提起から、まず自身の推測としてアニメ側がデメリットを被ることはない、と思っていました。伝統文化がアピールポイントとなり、メリットとなることはあってもこの関係性が邪魔になるとは考えにくいからです。では、伝統文化の側には問題はないのでしょうか。僕は、ここに疑問を抱いたからこそ、今回の募集要項である「伝統文化の調査研究」に当てはまると思い、研究を進めました。
 まず、基礎的な知識を、とても古い文献から読み漁り獲得しました。その中で改めて「秩父夜祭」などの伝統文化の重要性を実感しながら、これを無くしたり簡素化したりすることはしてはいけないと思いました。その上でコロナ禍で取材が出来なかったために、1年前に行った取材と新たなフィールドワークによる実地調査を踏まえ、インターネットの情報も材料としながら、伝統文化とアニメの関係性についての本質を探っていきました。
 結論は僕の思っていたほどに悲惨ではありませんでした。僕が危惧していた問題は、「伝統文化が現在の流行に飲み込まれて変容してしまうこと」でした。しかし、現実ではオーバーツーリズム(観光の肥大化により地元が悪影響を受けてしまうこと。ex. ゴミのポイ捨て)などと言った問題が起こっていました。もちろんこれらも問題ではありますが、重大な間違いが生まれていることはありませんでした。経済的な面で秩父がアニメによって潤っていることは確かで、その影響が伝統文化に渡っていることもわかりました。けれども、現在よりもより良い関係性があることは間違いがありません。先ほどあげた問題点をなくすような方法もあるはずです。僕は今回具体的な方法を考えつきレポートに起こすことは出来ませんでした。これに関しては取材を受けてくださった方々も考えあぐねていた課題です。
 しかし、僕は資料を探して、吟味して、レポートを書いている間に漠然と思っていたことがありました。僕は作成途中、伝統文化と現代の文化・流行の違いが分からなくなる時がありました。元の秩父夜祭は蚕の生産が盛んであった秩父で絹の豊作を祝うという、他地域の豊作祭とは少し違ったものでした。しかし、現在の秩父夜祭では蚕の面影は薄く、大規模ではあるにせよ一般的なお祭りとなってしまいました。しかし、僕はここで「なり下がって」しまった、とは思いません。なぜなら、現代に合わせてある程度の変化は必要、という結論にたどり着いたからです。もちろん、伝統文化を毎年毎年、全く同じように行うことも素晴らしい。しかし、そうなってしまっては必ず衰退が訪れます。だからこそ、時代が変わるのだからほんの少しの変化は必要なのです。それすらも伝統となって後世に引き継がれていくのだと思いました。

札所17 番の絵馬とアニメのコラボ
商店街とアニメのコラボ

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