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【 最優秀賞 】

「星空色の序章」 田中 望結(埼玉・星野高等学校 2年) 

「星空は何色か、考えたことはあるか?」
 隣でそう零した彼の声の響きは、気まぐれな口笛の一節か、もしくはのどかなあくびの音階にも似ていた。下校中の寄り道の先で、高校生が口にするには奇抜な発言だったけれど、彼はそんな浮世離れした言葉が似あう人でもあった。
「無いかな。生憎クイズは苦手なんだ」
 彼と目線があうように、僕は通学鞄を脇に置いてから、彼の隣に腰をおろして空を仰いだ。まだ星空と言えるほど暗くもなかったし、街灯が光の主張を繰り返すから星はみつけられなかった。
「これはクイズじゃない。比喩みたいなもので、どちらかというと心理テストに似てる」
 星空の色を想像する。深い藍か群青に、白、赤、あるいは青白い光が控えめに明滅する。光る砂をぶちまけたようでもあるし、ビーズを星座の形に縫いつけたようでもある。でもそれをうまく表現する言葉は僕の中の辞書にはなかった。
「うまく表現できない。群青色に、白や黄色かな」
「そう、だいたいの人がそう答える。黒にキラキラなんて表現する人もいる」
 静かに相槌をうち、彼の次の言葉が紡がれるのを待った。沈黙は肯定、という風潮がありがたい。
「星には白のほかに、赤い星や青白い星があることは知ってるだろ?」
 もういちど首肯する。小中学校の理科で習う話だ。星の色は表面温度によって変わる。
「でも、幼児が真っ黒に塗りつぶした紙に赤い斑点を描いていたら、もしかしたら親は止めるかもしれない。それが、当たり前に宇宙にある、正しい星空だったとしても」
「つまり、正解がない問い、ということかな」
 数秒の間、彼は黙った。首をどちらに動かすべきか迷っているようだった。
「少し違う、ほんのニュアンス分だけ」
「なら、これはなんの話だろう」
「題名をつけるとすれば、星空は星空色でいい、そういう話だ」
 星空は星空色、と反芻した。詩的な響きだ。でも、いささか意味がなさすぎるようにも聞こえた。
「当たり前にも思えるね」
「それは、君の視野が広いからだよ。誰もがそれを当然だと思えるわけじゃない」
 もう一度空を見上げた。公園の、背の高い木々に切り取られた空はその透明度をあげ、薄い紫色に藍色がさしていた。
「水は水色で桜が桜色ならば、星空が星空色だというのは当たり前だけれど、その当たり前をおかしいという人がたくさんいる。たとえば、もし今俺たちの会話を聴いている人がいたとして、君のことをだいたいの人が男性だと思うだろうね」
 「僕は男だよ」
「そうだけど、そうじゃない。君が男であることと、君を男だと決めつけることは全くの別物だ」
「それはそうだね」
「なんだって、型にはめるのはよくないんだよ。星空にはたくさんの色を持つ星があり、空の色すら移り変わる。ただの夜空とも少し違う。それをそのまま受け入れるためには、星空色という概念が必要なんだ。昔からある既存の色を組み合わせるのは簡単だけれど、それはあくまでも色の集合体であって、その色ではない」
「それがわからない人が、たくさんいるということかな」
「そういうことだ」
 彼は穏当な言葉を探して、それを丁寧に磨いて使っているような印象を受けた。言の葉を扱うのは難しい。これが花であれば、人が触れる場所から丁寧に棘を取り除いて花束をつくれるけれど、実体のない言葉はそうはいかない。差別や誤解を防ぐために、彼は慎重に言葉を使う。それはきっと、少なからず彼の過去が関係しているのだろうけれど、そん
なの誰だって変わらない。今の人物像をつくるという点においては、誰の過去でも平等だ。
 だから僕は、いつも彼に深くは干渉しない。
 でも今日は、少しばかり彼のことを知りたかった。彼が纏う空気が、いつもと違ったからかもしれない。それは微妙な変化だった。たった一度ピアノの白鍵と黒鍵を弾き違えたような、肌で感じる種類の違いだった。
「もしかして、怒ってる?」
「君は、俺が怒ってるように見えるのか?」
 そう尋ね返され、僕は数瞬言葉に詰まった。
「見える」わけではなかったのだ。彼は感情を隠すのが上手だった。
「いや、しいて言うなら怒ってるように『聞こえる』」
「そうか」
 その声音に、驚きが混じった。
「君、よく生きづらさを感じるだろう?」
「よくわかったね」
「優しい人は生きづらいからね。気づかなくていいことに気づくのはときに短所にもなる」
「僕は優しくないと思うよ。ただの普通の高校生だ」
「今まで、俺なんかにここまで『普通』に接してくれた人はいない」
 その言葉に、僕は眉を顰めた。
「……つまり」
 彼の横顔を見やった。端正な顔つきだ。ひとつ欠点があるとすれば、人間味がないことくらいだ。その怖いくらいの顔つきに、僕はしばしば無責任な憤りを感じる。
「君は自分のことを『既存の色を組み合わせた』存在だと思っているわけだね」
 彼が僕の方を見た。その顔に、ばつの悪そうな表情が浮かんだ。まるで、涙が結晶化したような表情だと感じた。いびつな顔なのにひどく自然だ。一度皺がついたら直らない折れ曲がった画用紙みたいに。今まで、何度こんな顔をしたら顔の歪みが癖になるのだろうか?
「もしかして、怒ってる?」
「ああ、それなりに怒ってる」
「悪かった」
「わかってくれればいい」
 空は群青色に染まりつつあった。おとなしい一番星が、ひそやかに夜を告げていた。
「そろそろ帰ろうか」
 そう、隣に座っていた彼が吐いた声を合図に、僕は立ち上がって砂をはたいた。それから、先に公園の出口に向かっていた彼を追いかける。
「おいてけぼりはひどいな」
 冗談めかしてそう言って、僕は彼の車椅子を押した。前から軽めのためいきが聞こえて、四五度くらい彼がこちらを振り返る。
「毎日介抱めいたことはしなくていいんだよ」
「君がこれを親切心だと思っているなら、君は少し優しすぎるかもしれない」
「じゃあ、君はどうして毎日俺の車椅子を押してくれるんだ?」
 公園から出たタイミングで、僕はほんの少し彼に顔を寄せ、微笑みながら言った。
「僕はいつも、こうやって君に少しだけ体重を預けてるんだ。だから、
これは友達同士で手を繋いでいるようなものなんだよ」
 しばらく、彼は返事をしなかった。
「そうか」
 ぽつりとそう言っただけで、そのひとことは流れ星のように一瞬で透き通った空気に溶けた。
「そうだよ」
 さっきの、彼の話を要約しようと思えば、きっとひとことでこと足りるだろう。世間への恨み言一節で、彼の怒っていた理由も、僕が怒った理由も、星空の色もすべてきっちり明るみに出るだろう。でも、星空の話をしたこと自体が彼の誠実で臆病な優しさなのだとしたら、この話は彼が語った瞬間に、真理以上の価値を帯びる。
 だから、完結しないこの話はこれでいい。ピリオドはうたれなくても、これは星空色の序章でいい。僕が「優しい」と形容されない日が来たとき、もしかしたら星空色という概念がはじめて世界に浸透するのかもしれない。
 それと同じ意味で、この星空にはまだ夜明けは来ない。

受賞者コメント

最優秀賞を受賞して、嬉しい、以外の感情がありません。誰かひとりにでも届けば……その一心で作品をつくりましたので、それがこのように評価していただけたことに大きな感動、喜びを感じています。私の物語を読み、さらに評価してくださった方々に心より感謝申し上げます。
この作品の制作は、否定から始まった、と記憶しています。多様性が掲げられつつも、どこか漂う排他的な空気に、「自分の感性をどうにか普遍的な小説として表現できないか」と考えたことがきっかけです。
また作品は、自分の思想を元にするものであっても、「誰かのための言葉」である必要があると思いました。誰かが読みたいと思ってくださるような言葉、ご甲斐なく自身の思いが伝わる表現を探しながら物語をつくる過程で、言葉を扱うことの難しさと、同時に楽しさや価値を感じました。
今後の具体的な進路はまだ模索中ではありますが、どのような大学、また職に就いても小説は書き続けたいと思っています。文学や心理学が好きなので、「どれだけ納得がいかなくても、物語は必ず完結させる」私はそれを軸に小説を書いています。作品を読み助言をくださる周囲の方々へ感謝しながら、これからもより幅広い表現や言葉を学び精進していく所存です。

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