【目次(TOP)】【最優秀賞】【優秀賞】【佳作】
- 佳作
- 「おもかげ」小宮山 愛実(静岡・日本大学三島高等学校3年生)
- 「颯太と数学」菊地 兼太朗(宮城県仙台第三高等学校2年生)
- 「ネモフィラ色の空を」和田 七望(東京・精華学園高等学校探究アカデミー東京校3年生)
- 「月の光」小平 遥(東京・三田国際学園高等学校2年生)
- 「ゾウと夢の話」船山 莉紗(東京・白百合学園高等学校3年生)
佳作 「おもかげ」 小宮山 愛実(静岡・日本大学三島高等学校3年)
僕は眠るのが下手だ。おそらく、母が死んでからのことだと思う。眠ると必ず母が夢に出てきて、僕と何らかのやり取りをする。はっきりとした内容は覚えていない。しかし、とてもリアルで妙に生々しい夢。
夢の途中で決まって僕は目を覚ます。それは明け方だったり、真夜中だったり。その時必ず僕は涙をこぼしている。少しすればもうなにもかも忘れていて、妙な生々しさだけが僕を包む。そうしてぼんやりとしているうちに朝がやってきて、新しい一日が始まる。それをもうずっと、ずっと繰り返している。
母が死んだのは僕が五歳の時。もう十三年も前の話であるから、母との記憶はほとんどない。顔も声も匂いも好きな食べ物も覚えていない。それなのに、夢の中では顔も声もはっきりと受けとっている。けれども目を覚ませば忘れてしまう。
毎日仏壇で母の写真と目を合わせる。十三年ほぼ毎日母の顔を見ているのに、どこか他人のようで初めて会ったような感覚は拭いきれない。写真の母をなぞるようにして自分の顔を見て、どこか似てないところがないかを探しては、夢の時の母と慣れ親しんでいる自分を思い出そうと必死になっている。
僕は今、高校三年生で、今日十八歳になった。
去年くらいからか、母が働いていたスーパーでアルバイトをしている。今日もそのバイトの日だ。
授業を終えて、僕はスーパーに向かう。今日は珍しくあまり信号に捕まらなくて気分がよかった。スーパーへ着くとすぐさま制服から、スーパーの制服へと着替えて仕事を始める。黄色のブラウスのパリッとした袖が僕の気を引き締めた。僕の仕事はレジ打ちがほとんどだ。最初は慣れないことも多かったけれど最近は手際が良くなってきた。
夕方の四時半、僕のレーンに子供連れの親御さんが増えてきた。どの組もお母さんと子供の組み合わせ。前のレーンを見ても全てがそうだった。気になって、僕は後ろのレーンも見ることにした。結果は同じだった。お母さんと子供。この組み合わせだけ。だからといってなにを思うわけでもない。ただ少し、気になっただけだ。ただ少しだけ。
一時間くらいが過ぎた頃、珍しく店長に呼び出された。僕は何かやらかしたのだと、そう思い嫌な汗をかきながら店長の後をついて行く。
「今日はもう帰っていいからね」
店長の言葉は僕の予感を的中させた。焦るばかりの僕を見て店長は笑いながら言葉を続ける。
「君、今日お誕生日でしょ。だからもう帰っていいよって」
「あっ、ええ、どうして……」
僕はその言葉の真意に安堵したと共にあまりの予想外さに再び驚かされた。
「君のお母さんが昔よく、毎年この日になると今日は息子の誕生日だからって早く仕事を抜けるよう頼んできたからね、覚えていたんだよ。懐かしいね。そうだ、お父さんとケーキとか、食べる?」
「いいえ、父は仕事で帰ってくるのも遅いですし」
「そうか、じゃあちょうどよかった」
店長はそう言って、パックに二ピース入ったチョコレートケーキとプリンを一つ手渡してくれた。
「いいんですか?」
「いいのいいの、おめでとうね」
「ありがとうございます!」
店長は僕の言葉を途中まで聞いて、すぐさま持ち場へと戻って行った。
スーパーを出て僕はバス停へと向かった。少しばかりバスを待っているとバスはやってきた。このバス停からの乗客は僕一人。空いている椅子へと座り、僕は外を眺めた。完全に暗くならない空の紺とオレンジの境目を、僕はなぞって馴染みの街を眺める。街に歩く人々の長袖を着ている人の割合が増えたように思えて、僕はささやかな秋の訪れに触れたような気がした。もうすぐ秋。もうすぐで母が亡くなってから十四年が過ぎる。そんなことをふと思った。
いくつかバス停を過ぎた頃、窓の外からバスの中へと視線を移すと乗客はほとんどいなくなっていた。バスにいるのは僕、そして一つ前の席に座っている女性と、前方にもう一人、あとは運転手のみだった。僕は目線を変えて、前を向いた。目の前に座る女性の頭が目に映る。僕は目線の行き先を女性の頭に定めた。毛先が顎のラインと綺麗に重なっている。少し目線を下にやって僕は女性の首を眺めた。ただひたすらに、無心に僕はその首を眺めていた。こうしてじっと首を見つめることは初めてのように思える。
しばらく僕は眺めていたように思う。なぜだろうか、次第にその首から目が離せなくなった。特に何の変哲もない首である。それなのに僕は釘付けになっていた。滑らかで美しいと言えるような首ではない。少し日にやけて乾燥しているような首。それなのに僕はその首が気になって仕方がない。首に見える細い皺の数々に目を凝らす。凝らせば凝らすほど吸い込まれそうになる。付け根から、ゆっくりと視線を髪の生え際へと運ぶ。
女性の髪がかすかに揺れた。頭を動かしたわけでも、風が吹いたわけでもない。
カサッ。また動いた。
カサッ、カサ、カサ、と、次第に激しく、くすぐるように髪を何かが動かす。やがてそれは髪の中から姿を現した。女性の首よりも少し赤めいた、触覚のようなもの。左右に一本ずつ生えていて、徐々に僕の方へと伸びる。ぬるっとした、生々しい動きで。それが動くたびに甘い香りがかすかに漂って僕の鼻腔を染めるように温めた。
じわり、じわり、じわりじわり、じわりじわりじわり、と、滑らかにそれは進む。
どくん、どくん、どくんどくん、どくんどくんどくん、と、僕の鼓動は徐々に高まる。けれども、恐怖は感じなかった。早くそれに触れたいと思う気持ちで満たされるのみだ。
手を伸ばす。それは僕の手をするっと避けて、僕の顔をめがけて進む。
ぴたり。首から伸びるそれは僕の頬と触れる。じんわりと、ぬくもりが僕の肌を流れ、次第に心臓まで届く。胸の高まりは自然と止んで、伸びてきたそれのかすかな揺れが僕の鼓動と混じる。
息を吸うたび、それは枝分かれを始める。細く、木の根っこに密かに佇む脈のよう。
僕の体を、撫でるように、すべり伸びる。額から上に伸びるものは、髪の生え際を縫うように頭を、唇から下に伸びるものは肩から腕、服をすり抜けて胴体を覆っていく。
深く、何度か息をする。気付いた時には、つま先の方まで僕を覆っていた。
なつかしい。不思議とそんな気持ちにさせる、甘い香り。誰かにそっと抱きしめられているような、ぬくもり。羊水に満たされた赤子のように僕は目を閉じた。体の力を抜く。そして、僕を覆う優しさにだけ身を任せた。
揺れる。撫でるような揺れが僕の体をうごめく。生き先も知れぬ、深い場所へと僕を導いて、夢を見ているような、そんな気分にさせた。
ハッとして僕は目を開けた。目の前に女性の姿はもうなくて、バスはもうすぐで自宅の最寄り駅に着くところだった。さっきまで僕を覆っていた触覚のような、脈のような、あれは跡形もなく消えていた。
甘い香りも、ぬくもりも、全てが綺麗なまでに僕から抜けていて、頬にかすかに残っているように思えた温かさは僕の流した涙であった。
僕はバスを降りて、いつもの道を歩き、家に帰る。冷えた玄関のドアノブを握って家へ入ると、珍しく部屋に明かりが灯っていた。
「おかえり」
父が僕に言う。僕より早く帰って来ていたみたいだ。
「珍しいね、早いんだ」
「今日はお前の十八の誕生日だろ。特別だからな。母さんもそう言ってると思うぞ」
「そっか」
店長からもらったケーキとプリンの入った袋をリビングのテーブルに置いて、僕は自室へと着替えに行った。
部屋を出て、リビングへ向かうと、父は驚きと喜びの混じった顔で僕に言う。
「このプリン懐かしいな」
「どうして、好きだったの?」
「母さんがな、このプリン大好きだったんだよ。あぁ、懐かしい」
「そうだったんだ。じゃあそれはお母さんの分だね」
僕がそう言うと、父はおもむろにプリンのカップを持って母の仏壇へと向かった。母の仏壇に手を合わせる父親の背中越しに、仏壇に飾られている母の写真と目を合わせる。母のやわらかく笑う顔が、初めてなつかしく思えた。
秋の訪れを感じたあの日。僕が十八歳になったあの日。なぜだろうか、僕はバスの中で涙を流していた。またあの日も母との夢を見ていたのだろうか。その時のことは不思議なまでに覚えていない。
けれども、あの日以降、僕の夢に母は出てこなくなった。
受賞コメント
自分が思いのままに自由に楽しく書いた作品をこうして認めて貰えたことは、自分自身を認めて貰えたことのようでとても嬉しいです。今まで書き続けてきてよかったと改めて思います。そして、ここまで創作活動を続けて来れたのは私の友人の支えがあったからだと思います。今まで創作活動を続けていた中で、私の作品を誰よりも丁寧に読み込んで、沢山の感想をくれた友人がいました。私の作品と真剣に向き合ってくれた友人の気持ちと応援が私をここまで導いてくれたと思っています。改めて、今回私の作品を見つけてくださった方々、今まで私の創作活動を支えてくれた友人、今回の応募で協力をしてくださった担任の先生に心から感謝します。
日頃から創作活動を行っており、どこか応募できるコンテストがあるか探していたところ、自分の憧れている大学が主催しているコンテストがあると知り応募しました。
この小説は前の席に座っている人の首が気になった瞬間にこの話の構想が思い浮かびました。構想が思いついたら一気に書き上げ、それから推敲を行って作品を完成させました。文字の表記は一番意識して工夫するようにしています。同じ意味の言葉でもひらがなで書くのと漢字で書くのとで印象が変わると思うので、作品を書く際、文字の表記に関してはよく考えて書くようにしています。今作では「懐かしい」という言葉を登場人物によって「懐かしい」「なつかしい」と書き分け、登場人物の持つ感覚に差異を生み出すようにしました。物語が大きく展開していく場面は書いていてとても楽しかったです。
今作を通じて今までよりも柔らかい文体で文章が書けるようになったと思います。また、読み手側への意識も忘れないようにして、作品に矛盾が生まれないように気をつけて書けるようになりました。
創作活動の魅力は常識に囚われた世界から抜け出せることだと思います。創作は自由を快諾してくれる存在であるため、創作をしている時は本当の自分と向かい合っていられるような気分になれます。
幻想文学が好きなため、基本的にどの作品も幻想文学的な要素を取り入れています。その点が私の作品のポイントだと思います。 創作においては日頃の読書量や知識量、書くための技術なども大切だと思いますが、それ以上にありのままの自分の感性に身を委ねて、思うがままに書き出してみることが大事だと思います。創作は難しいと思わずに、ちょっと散歩に出かけてみようかなくらいの気持ちで書き始めれば、楽しく書けて素敵な作品ができると思います。
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佳 作 「颯太と数学」 菊地 兼太朗(宮城県仙台第三高等学校2年)
数学とはなんだろうか。
そんなことを考えながら今日も真っ白な紙を数式と論理で埋め尽くしていく。
物理はこの世界ではたらく力を学ぶ。化学は物質の成り立ちと構造を学ぶ。地理は世界の地形と人々の営みを学び、歴史では人々の過去を学びそこからつながる今を知る。それじゃあ数学は?
なぜ僕は数学に魅了され数学を学ぶのだろう。なぜ数学者は数学を研究するのだろうか。
「はあ…」
そんな途方もないことを考えていてもしょうがないから一度鉛筆を置き窓の外をみる。
外は太陽が痛いくらいに照りつけており、蝉の鳴く声がうるさい。徐々に意識が理論の世界から現実に戻ってくる。
今僕がいるのは高校の図書室で、夏休みの宿題をやろうにも家にいたって勉強する気にはなれなかったので来ていたのだ。といっても結局数学しかやっていないのだが。
少し落ち着いたところで再び紙に目を落とす。今まで自分が進めてきた論理に破綻はないか、繋がりに飛躍はないか、一行一行丁寧に確認していく。再び論理の世界に意識を傾けようとしたときだった。ガラガラと図書室の扉が開く音が聞こえた。きっと僕と同じように夏休みの宿題をしに来た生徒だろう、時間帯も午前9時を少し回ったころなのでちょうどいいタイミングだ、などと考えていると生徒の足音が自分に近づいてきているのがわかった。そして足音がピタリと僕の真後ろで止まった。振り返るとそこには1人の男子生徒がいた。手にはたくさんの本を抱えている。僕に何の用だろうかと考えていると男子生徒の方から話しかけられた。
「隣で勉強してもいいかな?」
図書室には僕と男子生徒以外いないのにどうしてわざわざ僕のとなりなんかで勉強するのだろうと戸惑ったが、断る理由も特に見つからなかったので、「いいよ」と答えた。すると男子生徒は少し喜んだような表情を見せた。
「僕は谷川颯太。よろしくね。君は伊勢原裕翔くんでしょ。」
相手が名乗ってきたので自分も名乗ろうとした矢先相手がすでに自分の名前を知っているので驚いた。
「どうして僕の名前を知っているの?」
「伊勢原さん、いつも数学のテストで1番だから」
そうか、と納得する。僕たちの通う学校では定期試験の結果上位5名をランキング形式で表に名前を載せるシステムがある。各教科ごとの順位と総合点数の順位の2種類がある。そこでふと気がついたことがある。
「もしかしてあの颯太くん?」
聞くと颯太くんは少し照れたように「そうだよ」と答えた。
谷川颯太という名前は学年で誰もが知っている名前だ。彼は常に定期試験の総合点数で1位を取り続けているからだ。各教科でもほとんどが1位の成績である。でもなぜそんな彼が僕と一緒に勉強なんかを?
「実は一緒に数学の勉強をしたくて来たんだ。」
と彼は言った。
「でも、僕誰かに勉強を教えたことなんてないから他の人にお願いしたらいいんじゃないかな…」
「いや、一度君の数学の答案を見たことがあるけど、論理がしっかり整っていて数学の本質を理解していることがよくわかったんだ。それから君の数学がどんなものか知りたくて」
「僕の答案を見たことがあるの?」
「そう、試験結果が返却されたあともっときれいに論理立てたいと先生に相談したら君の答案を是非参考にするといいって見せてもらったんだ。しかも理論だけじゃなくて君は解法も無駄がなくて少し感動したくらいだよ。」
そんなことがあったなんて知らなかった。自分の考えたことが他人に知られるのは少し恥ずかしい気もしたが、同時に他者が自分の論理を認めてくれて嬉しかった。
「どう、一緒に勉強してくれる?」
「あまり自信はないけど、いいよ。」
「やった」
彼は笑顔を見せた。僕の隣に荷物をおろす。彼が持っていた本は整数、幾何学、微分積分などの数学に関する本だった。どれも読んだことのある本ばかりだったが、つい本の表紙に見入ってしまう。
「数学に興味があるの?」
「興味があるのかどうかはわからないけど1番数学が好き。」
彼のその返答に少し安堵してしまった。僕は大学で数学を学びたいが、なぜ数学を学びたいのか、何のために学ぶのかがはっきりしない。ただ、自分以外にも数学が好きで学んでいる人がいるという事実が嬉しかったのかもしれない。
「早速なんだけどこの問題を君に考えてほしいんだ。」
そう言われふと我に返る。
シャープペンとコピー用紙を取り出しながら彼は1問の問題を見せてきた。問題文はいたってシンプルだった。
【x>0のときx/x^2+16の最大値を求めよ。】
頭の中でいくつかの解法を思い浮かべる。2つ思いついたが今回はⅹが正であるという条件をうまくつかって解くことにした。
僕も鉛筆を握り、紙に数式を羅列していく。計算自体は大して難しくはなかった。
「もう解けたの?」
頷くと彼は驚いた顔をした。
「その問題って微分をして解いていくんじゃないの?」
といって彼は自身の紙を見せてきた。見せてもらうと確かに彼は微分を用いて増減表を書いた上でこの問題を解いていた。
「その解き方でもできなくないし、現に答えは合ってるんだけどその解き方だとxが正であるという条件を見落としていることになる。」
「つまり?」
僕は彼に教えながら与えられた数式を変形していく。あるところで変形したところで彼は「あっ」と声を漏らした。
「相加平均と相乗平均の関係がつかえる…」
「そう。これなら微分を使った複雑な計算をしなくていい。」
「だからあんなに早く終わったんだ…」
彼は納得したようにもう一度数式を見つめる。
「そうか、その方法があったのか…」
その後も2人で数学の難問に挑戦し続けた。段々僕の数学を教えるというよりも2人で議論しながら問題に向き合っていくようになった。僕自身も対話しながら数学をするのは新鮮でとても楽しかった。そして数学を使って見ている世界は自分と他者とでは大きく異なっていることに気がついた。皆同じ公式や定理を学び、それらは絶対普遍なものなのにそれぞれがもつ数学世界は全く別の姿を呈する。新しい数学の楽しさを知った。
午後5時頃、完全下校を知らせるチャイムがなるまで僕たちは数学の問題を夢中で解き続けていた。
「明日も学校来る?」
帰り支度をしながら聞いてきた。彼が明日も来るなら来てもいいかなと今日の楽しかった1日を振り返りながら思った。
「うん、来ようと思っているよ」
「じゃあまた明日」
「明日からは颯太でいいからね。」
にっこりと微笑んで颯太は去っていった。
帰りのバス停で並んでいると道路を挟んだ向かい側のバス停で颯太が並んでいるのが見えた。どうやら僕たちの家は真逆にあるようだ。
颯太を見つめているとそれに気づいたのか手を振ってくれた。僕も手を振り返すが、ふと颯太の手に視線をやると、そこには古文の単語帳が握られていた。僕は国語や社会といった科目が苦手なのでそういった科目からは目をそらしていたのだが、颯太はどんな科目も一生懸命に取り組んでいてすごいなと素直に尊敬した。
そしてそんな優秀な生徒が魅了される数学という学問は一体何者なのだろうか、とも思った。
翌朝、昨日と同じように午前8時に学校に着く。
図書室の扉を開けるとすでに颯太は自習スペースに座って勉強をしていた。
今日も図書室には誰もおらず静かだ。しかしそんな図書室の静寂をかき消すように外から運動部の掛け声が聞こえる。
颯太は僕の存在に気づくなりこっちだよと手招きしてくる。
颯太の隣に座るや否や早速颯太が数学の問題を見せてくる。
「数学オリンピックの問題。昨日みたいに2人がかりでやれば解けるかな」
悪戯な笑みを浮かべながら言ってきた。数学オリンピックの問題と聞くと萎縮してしまいそうになるが、数学に自信がある僕は「絶対解くよ」と答えた。
思ったより手応えがあった。まさか2時間もかかるとは思わなかった。2人で知恵を振り絞りなんとか解ききったが正直1人では解けなかったと思う。ただ、難しいだけではなく、今まで解いてきたどんな問題よりも楽しかった。実験から仮説を立てたり、ゴールから論理を逆算していく。この数学的思考の繰り返しがあたかも未知の星を探検しているようでその道中に転がる数式一つ一つから学べることが斬新で刺激的だった。そう感じていたのは僕だけではないらしく、どうやら颯太も同じようだった。
達成感と数学の楽しさにしばらく沈黙が続いた。しかしすぐに颯太は無言で次の問題を持ってきた。僕もそれに答えるように力強く鉛筆を握りしめ、問題文を読み始めた。
午前11時30分頃1通り問題を解き終えて1度満足した僕たちは昼食を食べるために食堂に来ていた。
2人並んで座って弁当を食べながら雑談する。
「颯太はさ、どうしてどんな教科も勉強できるの?」
つい気になったことが口をついて出た。
「どうしてって特別な理由はないけど、強いてゆうなら好奇心かな」
「好奇心?」
「そう。学問にはそのもの特有の世界があってそれを学ぶことでしかみることのできない景色がある気がするんだよ。だから今のうちに学べることはなんだって学びたい。」
「なるほど…」
数学世界が僕の中にあるように学問には学問の世界があるのか…
数学以外本気で勉強をしたことがない僕にはわからないことなのかもしれない。
「だったら数学ってなんだろう…」
独り言のつもりで呟いたつもりだったが颯太は答えた。
「僕にとっての数学はね人間そのものだよ。」
「なんか難しそうなこと言うね…」
「でも考えてみたらそうじゃない?人間は自分たちの生きる世界がどんな神秘で満ちているのか自然と模索してしまうものでしょ?数学は人間の探究心と直結している気がするよ。」
数学には色んな捉え方があるらしい。
「裕翔にとっての数学は?」
「僕にとっての数学は世界の本質を読み解いていくための言語だよ。」
僕はそう、はっきりと答えた。「でもね」と僕は続ける。
「数学を研究していくのはすごくつらいことが多い気がするんだよ。」
「というと?」
「数学は研究したい分野、内容が決まっていてもそれがどんな結論になるかは全くわからないでしょ?自分がやっていることの道が真っ暗なのは怖いことだと思わない?」
「裕翔は数学者を目指しているの?」
いきなり聞かれ、戸惑ったが「うん」と答える。
「確かに数学を志す者としてそれは怖いことだと思うけど、でも自分がやっていることの結末がわかっていてもそれはそれで面白くないんじゃない?わからないからやり続けるんだよきっと」
「わからないからやり続ける、か」
たしかにその方が数学っぽくて面白いのかもしれない。
「まあ、思うことはたくさんあるかもしれないけど、今は自分たちの数学を楽しもうよ。まだ解いてない問題がいっぱいあるよ。」
そういって颯太は席を立つ。それに続いて僕も席を立つ。2人は再び図書室に向かう。
完全下校時刻を告げるチャイムが聞こえてきた。今日もこんな時間になるまで解き続けたのか。
今日はバス停までの方向が同じなので途中まで一緒に帰ることにした。
「まだ僕たちの知らない世界はこんなにも広いんだね」
今日解いてきた問題を振り返りながら、同意する。
「明日も数学をやりたいけど、別の教科を君に教わってもいいかな?」
ずっと1人で勉強し続けてきた僕だったが、颯太と勉強していく中で、数学以外の教科の面白さも見いだせるような気がした。
「もちろん。僕ももっと裕翔の数学の考え方を知りたいよ。」
颯太の方ももっと数学を楽しめるようになったのだろうか。
家に帰り夕食を食べてから自室の勉強机の椅子に座る。
数学の問題集を開こうと思ったが、その手を止め、古文のワークを開く。古文にはどんな楽しさがあるのかな。
数学とは何か。
それはまだわからない。ただ、数学の本質は数学以外の世界に足を踏み入れてこそわかるものかもしれないと気がついた。
数学をなぜ学ぶのか。
それも全くわからない。ただ、颯太と一緒に学んだ時間は永遠に消えないことはわかる。
僕は数学を学び続ける。それがたとえどんな結末になったとしても。
受賞コメント
小説が好きだという理由で申し込んだものなので、自分に少し小説の才能があるような気がして嬉しいです。
学校の夏休みの宿題でどうせなら小説を書いてみたいと思い、理数科として数学を通して学べることを小説ならではの表現で誰かに伝えてみたかったです。
風景描写を伝わりやすくすることで、自分の気持ちをより鮮明に言葉にできるようになりました。
初めて創作するにあたり、今まで読んでいた本を参考にしました。
好きなことをそのまま文字にすると自分の描きたい世界か鮮明に浮かんできます。
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佳 作 「ネモフィラ色の空を」 和田 七望(東京・精華学園高等学校 探究アカデミー東京校3年)
「だいたい、先生も人使い荒いよなあ」
美術準備室は仄暗く、儚い冬の陽射しがゆるゆると入ってくるだけだった。棚には、既に卒業した人の作品が置いてきぼりにされていたり、使い物にならない古い画材が残っていたり。まるで、夢を諦めた画家のアトリエみたいに散らかっていた。細かな埃が陽の光を弾いて輝きながら、ふわふわと舞っている。
「ついつい部室に遊びにきちゃったのが運の尽きでしたね」
「水瀬はいいの? 華の青春の時間を美術準備室の整理なんかに使っちゃって」
「大丈夫です。どうせ暇なので」
毛先が固まっている油絵の筆を、まとめてビニール袋に投げ入れる。
「水瀬、新品の絵の具セットあるけど、いる?」
「いえ」
「『欲しい画材があったら適当に持っていけ』って先生も言ってたし、遠慮すんなよ」
「私、もう絵は描かないので」
「水瀬は俺と違って、あと一年あるじゃん」
来年の三月に卒業する先輩は、「もったいない」と言うように眉根を寄せた。
「せっかく美術部なんだし。仕事にはしなくてもさ、趣味みたいな感じでやってくのもいいと思うよ。俺もそうするし」
私は、画用紙の棚の整理に取り掛かりながら、先輩のほうを見ずに言う。
「いいんです。この前のコンクールで、私には絵は向いてないって、分かったので」
今日の空はどこまでも青い。それは、神様が絵の具でムラなく塗った天井のように見えた。
ネモフィラの色だ。以前描いた、夜空の下に果てしなく広がるネモフィラの花畑の油絵を思い出す。三年前に見て、涙が出そうなほど感動した大好きな景色を、あの日の想いと一緒に切り取った絵。私の力の全部を懸けて、夏休みの間中、締め切りのギリギリまで向き合った絵。そして、コンクールで何の賞も―努力賞すら獲れずに終わってしまった、あの絵。
うちの美術部から入賞したのは、私の同級生の男子一人だけだった。彼の製作期間は夏休み中の二週間、部活にも二回に一回顔を出す程度なのに。彼は、いとも容易く入賞を果たした。
結果を聞いたとき、悔しさよりも先に、脱力感にも似たあきらめが身体を包んでいった。あのときの虚脱感と鈍い胸の痛みが、「挫折」と呼ばれるものなのだと思う。
私はそれから、一枚の絵だって描けていない。以前は日課にしていたデッサンも、二ヶ月以上していなかった。
「確かに絵って、不条理だよな。何て言うんだっけ、そういうの。カミュ的?」
「カフカ的、じゃないですか」
「まあ、そういう感じでさ。どんなに努力しても、急に見違えるほど成長するわけじゃないし、こだわった部分が誰にも気づかれないこともあるし。それに、大体の評価って第一印象で決められて、絵のこともろくに知らない奴が、平気で『下手』とか言ってくる。こっちは人生の時間削って描いてんのに」
その口調は、苛立っているようで淡々としていた。先輩は、段ボールに雑多に詰め込まれた絵の具のチューブを選別していた。フタを開けて、紙の上に絞り出してみて、中身が出てこないようならゴミ袋へ放り込む。
「こりゃ全部廃棄かなあ。丁寧に使えよなあ」
「……先輩、結局何が言いたいんですか?」
「絵を描き続ける人が本当に大切にしなきゃいけないのは『この絵が好き』っていう素直な感想だけ。あとは、本気のアドバイス以外、全部捨てていい。そして、自分の絵を自分がいちばん好きでいて、自分の努力は自分で認めてあげること」
絵は、残酷だ。積み重ねる努力は地味で、でも、その結果が数字で出るわけではない。その努力は平気でそっぽを向くし、才能ひとつで渡り歩いていけるほど甘い世界でもない。よほど目を惹く何かをもっていない限り、誰も、足を止めてくれもしない。そんなこと、最初から全部理解して、絵を描いているはずだった。
でも、いざ「あなたの絵は凡庸」だと現実を叩きつけられて、人並みに絶望を感じた自分が、情けなかった。たとえ裏切られると分かっていても、もっと努力していれば。そうしたら、「やりきった」って、晴れ晴れと絵から距離を置くことだって、できたかもしれないのに。
「……もういいんです。もっと頑張れていたら、変わったかもしれないけど。私には……才能のなさを補えるだけの努力が、できなかったってことなので。きっと、そもそも絵に向いてないんだと思います」
「そんなことない―って、言ってもきっと、水瀬には無駄なんだろうな」
「そうですね」
自嘲気味に笑いながら、クラフト紙に包まれた画用紙の束を取ろうとした。でも、棚の高いところにあるせいで、あと少し、届かない。
そのとき、私の背後からすっと手を伸ばして、先輩がそれを取ってくれた。
「ほいっと」
「あっ、ありがとうございます」
先輩は、受け取ろうとした私をやんわりと止めて、分厚い紙の束をそのまま抱え直した。
「これ、手つかずの新品みたいだし、向こうに持ってくよ。あとは捨てる物をまとめて整頓するだけだし、ちょっと休んでたら?」
「えっ、でも」
「手首、ちゃんと大事にしないと受験のとき困るよ。あと、冷やさないように、ね」
画用紙の束ふたつを軽々と抱える先輩。その背中が、とても広く、温かく見えた。
「気づいてたんですか?」
「ん? 何を?」
「私が、絵は辞めるって決めたのは、もう描きたくないんじゃなくて……右手が、思うように使えなくて、描けないからだって」
学校が終わって、宿題も終えてから、一時間は必ずスケッチブックに向かう。「美大に行く」と決めた中学一年生の冬からずっと、続けていた練習。コンクールのために来る日も来る日も絵を描いた夏休みが終わっても、私は、毎日欠かさずそれを描き続けていた。
でも、夏休み中の制作から無理が重なり、右の手首がズキズキ痛み始めた。やがて、線を真っ直ぐに描くことすら上手くできなくなった。
慢性的な腱鞘炎のいちばんの治療は、安静。
美大に行くなら、毎日描かなければいけない。でも、痛みが尾を引くこの手では無理だった。諦めるしかなかった。もとより、才能のなさを努力で補おうというのが無理な話だったのだと、自分を納得させて。絵を続けた私に残ったのは、挫折の苦い味と右手の痛みだけだった。
「なんで、分かったんですか?」
「俺も同じだったから」
「えっ……?」
「さっき、マーカーのインクが出るか紙に書いて確認してたときに、ちょっと顔しかめてたでしょ。それに最近、部活に顔出しにきても絵は描かないし、もしかして、って思って。図星?」
「……はい」
「俺も、絵の描きすぎで腱鞘炎になってさ、高二の二月に。勉強も書いて暗記するタイプだったから、こりゃ受験勉強は間に合わないってなって、大学は推薦入試で合格決めたんだよね。そのお陰で今、すごく暇なんだけど」
先輩はおどけるように言うと、私と目を合わせて励ますように微笑んだ。
「俺、水瀬の絵、すごく好きなんだ。凛としてて、真っ直ぐで、水瀬はこの絵のこの瞬間が、すごく好きなんだろうなって伝わってきてさ。だから、右手がちゃんと治ったらまた、水瀬には絵を描いてほしい。ま、俺の我が儘だけど」
「でも、私の絵なんて誰も見てくれなくて……」
「俺は楽しみにしてるよ。水瀬の絵を待ってる人が一人でもいるってこと、忘れないでほしい。水瀬の絵は、水瀬にしか描けないよ」
思わず、右手をぎゅっと握る。消えかけていた「絵が好き」という想いに、また明かりが灯った気がした。その光が、悔しさや劣等感を溶かしていく。胸の奥が、かすかに熱を帯びる。
絵を描くことが、好きだ。その景色、その一瞬を、「大好き」という想いを精一杯込めて、丁寧に切り取ることができるから。絵を描いているとき、その景色とひとつになれる気がするから。私は、絵が好きだ。たとえ、積み重ねた努力に裏切られても、それでも、絵が好きだ。
「……待ってて、ください」
「うん。ありがとう。待ってる」
「ありがとう」はこっちの台詞なのに。先輩の優しい笑顔が眩しくて、返す言葉がもつれた。
私が窓際で日向ぼっこをしている二分ほどの間に、先輩はてきぱきと画材を戻していった。
「はい、終わりー。こりゃ、タダ働きじゃ割に合わないくらいだな」
「先生が缶コーヒーおごってくれるらしいですし、いいんじゃないですか」
先輩は、腕を組んで私のすぐ隣で窓にもたれかかった。跳ねた髪に陽の光が当たって、キラキラと輝いている。
「そういえばさ、水瀬、ネモフィラの花畑の絵、描いてたよな」
「コンクールに出しましたね。惨敗でしたけど」
「絵は勝ち負けじゃないって。俺、あれがいちばん好きなんだよね。ネモフィラの花言葉って、『どこでも成功』でしょ? だから、どんな場所でも輝けるよって、教えてもらえる気がする。あっ、あの絵の写真ってある? もしよかったら、スマホの待ち受けにしていい?」
私は、「もちろんです」とうなずいた。
あの景色に励まされた私の絵が、今、先輩の心に、感動と共に残っている。それは、コンクールで評価されて、大きな賞状をもらうことよりも、ずっと尊いことのような気がした。
「先輩。ありがとうございます」
「ん? なんかしたっけ?」
先輩の温かい笑い声と、やわらかな陽射しが心地よい。さっきまで世界に蓋をしているように見えたネモフィラ色の空が、今は果てしなく世界を包み込むベールのように思えた。
受賞コメント
たくさんの作品の中から私の作品を佳作に選んでいただき、とても光栄です。「全国高校生創作コンテスト」に応募できる最後の年だったので、受賞のお知らせをいただいたときは、嬉しい気持ちと達成感でいっぱいになりました。
毎年の夏休みに応募させていただいていたので、今年は集大成のような気持ちで応募をしました。高校生活の最後に、こうして素敵な思い出をいただけて嬉しいです。
この作品で「絵を描くこと」を題材にしようと思ったきっかけは、私自身が中学生のときに「絵を仕事にすること」をあきらめたからです。私はもう絵の道に未練はありませんが、一度は「自分の絵で誰かを感動させられたら」と思ったことがあるからこそ、絵の道に進みたいと考えている人へエールを贈りたいという気持ちで、この小説を書きました。一枚の絵を描きあげるのにどれほどの時間がかかるのか、どれほどの苦労があるのかを痛いほど知っているからこそ、思いつくことができた小説だと感じています。
私も中学校で美術部に入っており、そのとき、先生に頼まれて他の部員と一緒に美術準備室の片付けをしたことがありました。そのときのひんやりした埃っぽい空気や、仄暗い室内に陽射しが射し込んだときの温かさを思い返しながら、言葉を選んでいきました。才能のなさや挫折に苦しむ女子高校生を描いた小説ではありますが、息苦しさから徐々に解放されていく様子を書きたくて、「ネモフィラの花」や「青空」などのモチーフを入れ込んでいます。いちばん悩んだのは、先輩の台詞を書くときです。「先生」のように何でも知っている大人のような存在ではなく、かと言って「同級生」ほど身近で話しやすい存在でもない絶妙な距離感と、先輩の魅力のひとつでもある押しつけがましくない優しさを演出するために、何度も台詞を練り直しました。
この作品を書いていて、ただただ絵を描くのが好きで画用紙に向かっていたときのことを思い出しました。特に、先輩の台詞の中にある「自分の絵を自分がいちばん好きでいて、自分の努力は自分で認めてあげること」という言葉は、自分でもとても印象に残っています。他人の評価ではなく、自分の想いをいちばん大切にしていくということは、様々な分野にも通じるものだと思います。この考え方は、自分でも大切にしていきたいです。
創作活動のいちばんの魅力は、自分自身でも気づいていなかった自分の感情や想いに気づけるところだと思います。時には、ぴったりはまる言葉が見つからず苦しいこともありますが、一所懸命に唸りながら言葉と向き合う時間は、自分自身の心と向き合う時間でもあります。心の奥に沈んでいた想いを、「言葉」という目に見えるものに昇華できる創作活動が、私はとても好きです。
創作をするときにいちばん大切にしているのは、「動機をもつこと」です。「どうしてこのテーマにしたのか」「どうしてこの言葉を選んだのか」をきちんと説明できるくらいまで、選んだテーマや書いた文章に向き合い、推敲するようにしています。また、日常生活の中で見聞きしたもののこと、それに対してどんな想いを懐いたのかを言葉にし、記録していることも、創作活動に活きていると思います。
創作活動を始めたばかりの頃は、他の人に読まれることが気恥ずかしく感じることもあると思います。しかし、そこから一歩を踏み出すことで、自分の言葉の魅力に気づけることもあります。まずは、「とにかく完成させる」ことを目標に、身近なテーマで創作を始めてみてください。
【目次(TOP)】【最優秀賞】【優秀賞】【佳作】
佳 作 「月の光」 小平 遥(東京・三田国際学園高等学校2年)
放課後、床に座って教室で踊る倭子を見ていた。ターンするたびに制服のスカートが綺麗な円を描いて広がり、灰色のチュチュとなっている。空っぽの教室には倭子の足音とシャツがかすれる音が響く。毎週木曜日の放課後、こうして教室で倭子と二人で自主練するのが私たちのルーティンだ。
倭子に出会ったのは6年前。同じ日に近所のバレエスクールに入ったという理由だけで仲良くなった。同じ高校に入れたら二人で毎週自主練すると約束し、私もなんとかこの同じ高校に合格した。
トーシューズを履き終え、私はストレッチをしながら倭子の練習を横目で見ていた。今度のソロパフォーマンスで倭子はドビュッシーの「月の光」を使うらしい。何ヶ月も前からその曲を教室で流すようになり、練習をしていた。倭子の振りは私も覚えている。フェッテからのアラベスクが終盤にくる。踊りを始める前、倭子はいつもあるノートを確認する。それに何が書いてあるのかは私も知らないし、見せてくれたことも一度もない。でも、そのノートに従う彼女の動きは明確で繊細で、全てを兼ね備えている。そして今日もまた、同じようにあのノートを確認していた。
ノートを閉じ、倭子が曲をかけようとした途端、教室のドアが荒い音をたてて開いた。
「倭子今日塾行くよね?」
同じクラスの紀穂だ。
「忘れてた、行く。」
倭子はいつだって冷静だ。驚いた時は眉が少し上がるくらいだけで、大きく鋭いその目は感情を一切見せない。
「じゃあさ、下で待ってるねー。」
「うん。わかった。」
倭子はトーシューズをリュックにしまいながらローファーを履いた。爪先からローファーに足を入れる動きさえも優雅に見えた。
「じゃあね。」
私は倭子を見上げて言った。
「うん。また明日。」
手を振りながら倭子の頬に少し力が入るのが見えた。その小さな動きで彼女の笑顔はいつも作られていた。
一人になった私は、自分のソロパフォーマンスの練習をすることにした。倭子が居る時には絶対踊りたくなかった。だから倭子はまだ知らない。私が倭子と同じ「月の光」を曲として使おうとしていることを。そして、私もフェッテからのアラベスクを取り入れようとしていることを。
その場でステップを小さく踏み、振りを小さく再現した。脳内では「月の光」がもう流れ始めていた。曲の終盤にくるフェッテからのアラベスクも練習をした。
足を床につけてフェッテのために脚を出した。出した右脚を横へ振り、回転を始めようとすると、目の前の景色が大きくぶれる。次の瞬間、フローリングに重くのしかかる脚の音が静かな教室に聞こえる。そして、軸を失った自分の影が床に映し出される。失敗。それから何度やっても、同じところでバランスが崩れ、アラベスクにたどり着けずにいた。
倭子だったら完璧にこなせるのに。悔しい。
小さな事でも、倭子がやるとなんだか欲しくなってしまう。自分のものにしたくなってしまう。倭子の感性の鋭さ。バレエの技を身につける速さ。私が考えようともしなかった表現の仕方を一生懸命にこなす姿。隣で練習するといつもそうだった。私の無いものに気づかされてしまう。それが何よりも嫌だった。
垂れた汗がぽたぽたと自分のトーシューズの間に着地した。それが涙でもおかしくない。立っているのに疲れ、その場に座り込んだ。床から窓の方を見ていると、一冊のノートが机の上に置かれていた。倭子のノートだ。きっと倭子が忘れたんだろう。手にとって開いてみると、技の観察や振り返りが綺麗な字で、綿密に書かれていた。ページをめくるごとにどんどん倭子の振り返りは長くなっていた。倭子はこんなにもあのノートに書いていたんだ。凄い。気づかないうちに噛んでいた唇が切れ、口の中で血の味がした。ノートを閉じ、カバーを再び見つめた。どこにでもある、普通のノートのカバー。右下には薄いインクで名前が書かれていた。立ちあがり、そっとその文字を人差し指で触れた。
そして、左隣にあったゴミ箱に投げ入れた。
ノートは一瞬、床を平行にして紙屑や消しカスの山にぼさっと着地した。まるで、グランドパシャみたいだ。あのノートにもきっと書いてある。その技が。
でも、あのノートはもうこの場には存在しない。
窓からは、差し込むオレンジの光が不意に眩しく感じた。まるで私だけのステージのようだ。
帰る前にもう一度だけ踊ってみよう。
そう決心して教室の鍵を掛け、机を後ろに下げた。床に引きずられた机たちは静かにこっちの方を見ている。満客。広がる目の前のステージは夕焼けからのスポットライトで完璧だ。
スマホを床に置き、「月の光」を流した。自分の息を止め、最初のステップを踏んだ。指さきから感じるピアノの音は少し悲しく、上品だ。だから私も倭子もこの曲が好きなんだと思う。ピアノの音は水彩画を描く絵の具たちのようにゆっくりとオレンジ色の光と混ざりあい、教室に浸透していった。連続するピアノの音と共に体が久しぶりに軽く感じる。それでも一個一個の振りは自分で丁寧にこなした。全てが、照明が、重力が、窓から入る夕方の風が全て私の味方だ。次から次へと覚えた動きを表現する体はかつてないほどに正確だった。
音楽はクライマックス。心臓から体の隅々に走る神経が刺激される。少しずつ早くなる自分の吐息が聞こえる。吐いた息を全てまた吸い込み、フェッテの為に脚を出す。
カーテンは揺らされ、時々揺れる木の影がスポットライトの邪魔をする。
体の体重を左脚に乗せ、右脚も床から離れた。教室がついに、自分の周りを周りだす。ターンをする時、成績一位の枠にある倭子の苗字が目に入る。何においても完璧な倭子が頭に浮かぶ。同じ道を歩んでいたはずなのに、私たちは全く違う運命を歩むよう作られている。どこかで私が道を間違えたのだろうか。それとも、とんでもない遠回りをしているのだろうか。そうだとしたら、そろそろ倭子の道を見つけて、そこを歩きたい。
それでも、私はターンを続けた。倭子の苗字を軸にして、周り続ける。動かされた椅子も、揺れるカーテンも、全ての運命は今私が踊っていることによって決められたものだ。きしむフローリングだって、全て私のものだ。
曲は終盤にさしかかっていた。
そっと脚を上げ、アラベスクで私の演技を終えた。それは、初めて私がフェッテからのアラベスクが出来た瞬間だった。窓からは肌寒い空気が私の頬に触れた。多分、褒め言葉をかけてくれたのだと思う。スポットライトは終わりを迎え、下校時間を知らせるチャイムが薄暗い教室になり響いた。拍手も何もなく私の演技は終わりを迎えた。
急いで教室を出ようとリュックを背負ってドアの方へ向かうと、あのゴミ箱が見えた。じんわりと心の底から重いものに引きずられていくのを感じ、ゆっくりとゴミ箱の方に近寄った。ゴミを袋ごと取り出し、上で結んだ。倭子のノートはしっかりとこっちを向いたまま上に乗っかっている。そして、校庭の裏のゴミ捨て場へと向かった。
ゴミ捨て場からは紺色の曇り空が見えた。雲間からは、月の光が見える。持っていたゴミ袋を両手で持ち上げ、燃えるゴミ箱に入れた。
「私たちの曲を思い出させるね」
突然、倭子の透き通るような声が聞こえた 。慌てて私は後ろを向いた。
「こっち、柵の裏」
そこには、笑顔で空を指差す倭子が居た。そういえば、塾の帰り道倭子は学校の前をいつも通って帰っていた。
「私たちの曲?」
私は空をもう一度見上げなら小さな声で答えた。
「ソロパフォーマンスの曲。ほら、月」
倭子は月の光の方へ指の位置をずらしながら言った。倭子は私が月の光を使うなんてことは一切知らないはずだ。状況をいまいち理解出来ないまま、ただ、雲の動きを見ながら静かに考え込んだ。雲は今にでも月を全て覆ってしまいそうだ。
消えてゆく月の光を見ていると、体の中がなんだか熱くなり始めるのを感じた。脳内にあらゆる考えが走り周り、はっとして気づいた。
倭子はあのノートを忘れたんじゃなかった 。きっと、わざと置いていったのだと。
受賞コメント
とても嬉しいです。普段は英語で創作活動をする機会が多く、正直、日本語で書いた自分の創作文にはあまり自信がありませんでした。その上、今まで自分が書いた作品を人に見せることなどなかったので、コンテストに応募し誰かに自分の物語を読んでもらうことは自分の創作活動においてとても大きな一歩でした。そのため、佳作を受賞したことは自分の自信に繋がりました。
自分が書いた作品が他人からはどう見えるのだろうと気になったのがきっかけで、その時、ちょうどこのコンテストを見つけたので応募してみました。
高校生になると、より他人、特に友達と比べることによって自分を知ることができるようになりました。友達なのに変な競争心が湧いてしまったりと、今まで自分が出会ったことのない感情が出てくるようになり、それを物語にしたいと考えたのがきっかけで「月の光」を書きました。
書いていく中で、終わり方を考えるのに苦労しました。短編小説には終わりが印象的な作品が多いので、作者が読んだ後に少し考えさせるような終わり方にしたいと考えていました。そのため、一つの答えが出せないような、色々な解釈があってもいいような終わり方を書くのに、通学中やご飯を食べている時などにアイデアを考えたりしていたことが多くありました。
物語を書くにあたって、自分の経験や感情について振り返ることがあったのですが、それが自分自身への理解につながったように感じます。自分はどのような時にどんな感情を感じるのかを深掘りして考えることが登場人物を書くヒントになったと思います。創作活動と同時に自己理解を深めることが出来たように感じます。
創作活動の魅力は、自分が日々感じたものを物語を通して伝えられるということです。自分が感じた感情や特に直接言葉にするのには伝えにくい自分の本性や人間らしい一面を自由に表現できるのが創作活動の楽しさだと私は考えています。自分が今まで創作した物語などを振り返るたびに、その時自分がどのような考えを持って過ごしていたのかなどが見えてくるのがまた魅力の一つだと感じます。
私は、自分の経験をもとにして作ることにこだわっています。自分がその瞬間その瞬間で感じたことを書き留めて、そこから物語などを発展させることが多いです。また、創作をする時にいつも物語の雰囲気や情景を想像するために音楽を聴きながら書いています。
創作活動を行う時、自分の心から出る言葉や感情をそのまま書くことが一番大切だと私は思います。なので、あまり考えずに自由に自分の気持ちをどんどん書いて、そこから物語を発展させてみてください!
【目次(TOP)】【最優秀賞】【優秀賞】【佳作】
佳 作 「ゾウと夢の話」 船山 莉紗(東京・白百合学園高等学校3年)
革靴で踏み出す一歩が、ただ広い空間に長く反響する。歩調を弱めると、フレアスカートが足を這う感触がより顕になる。建物内の様子は確認せずとも、人がいる気配がないことは明白だった。
いつもなら逃げ出してしまいたくなるほどの不気味な雰囲気が、今は冬休みの布団の中のような居心地の良さで、私を包んでいた。薄暗く湿っぽい空気を貫いて、干し草の匂いがつんと鼻をついて、ここはゾウの飼育舎だと思い当たる。
その証明のように、一頭の象が柵の中に佇むのが目に入った。萎びた体表面に、小さくなった耳。鼻の頭や目の周りがまだらに白くなっている。歳を取ったゾウなのか、それでも威厳のある、重々しい雰囲気を湛えてそこに立っていた。このゾウはきっと、私が知らないことをたくさん知っているのだろう。
柵の近くまで吸い寄せられるように歩いていくと、澄んだ目がこちらを見つめる。
薄いブラウンの虹彩に対して、瞳孔は意外にも小さい。目を凝らすと、それが長く整ったまつ毛に縁取られているのがわかって、彼女が目を伏せる様子は、美人と形容するのが相応しかった。
あなた、なんて名前なの?
そう、いい名前ね。
問いかけてくる声が、脳内に優しく響く。本を読む時に頭の中で台詞を再生する、その声とちょうど同じ感覚だったので、これは自分自身が勝手に想像した声なのだと、特に驚きはしなかった。
「昨日は雨が降りましたね」
今度は紛れもない外部からの声。
振り返ると、いつの間に入ってきたのか、茶色のオーバーオールにゴム長靴、帽子を後ろ前に被った男性――飼育員だろうか――が、帽子を外して軽く会釈した。
「森が少し湿っています。散歩をしようにもこの子が濡れてしまう」
彼は柵から手を伸ばして、ゾウの頭を撫でる。甘えたように鼻をその腕に絡ませる彼女が無邪気だった。
微笑ましい光景だと思いつつも、ギャップの言葉では片付かない強烈な違和感に気づく。
ゾウの頭の位置が、飼育員の肩より下にあるのだ。
「この子、外にいたゾウと同じ種類ですよね?」
ゾウを撫でる手はそのまま、彼は物腰柔らかに答えた。
「ええ。ここのゾウはみんな、同じところから来るんですよ」
屋外の飼育スペースにいた四頭は皆、個体差はありつつも、2メートルは越していたはずだ。『ゾウの背中に乗って自然を感じよう』というのがこの自然公園の謳い文句で、一緒に来た家族もお気に入りのゾウを見つけて散歩体験を申し込んでいた。
「赤ちゃん、なんですか?」
言葉足らずの質問から、どうやら意図をくみ取ってくれたらしい。ああ、と納得したような顔をして、話し始めた。
「そうも言えるかもしれませんね。僕たちからしたら赤ちゃんです」
含みのある言い方が気になったけれど、飼育員に鼻でじゃれつく姿を見れば、愛くるしい動物の赤ちゃんに他ならなかった。
「この子達の寿命は、120日です」
思わず飼育員の方向を凝視する。いつの間にか被り直していた帽子のつばが、横顔に薄く影を作っていた。
「1日ずつ体が縮んでいって、この子は84日目。ご家族が乗っていた子は64日目ですね」
底の見える清流のように澄んだ彼女の瞳が、まっすぐ飼育員を見据えている。
120日というのはきっかり120日なんですか。大きいままどうやって生まれて来るんですか。縮んでいったらお客さんが気づきませんか。最後はどれだけ小さくなってしまうんですか。
疑問は山ほどあるのに、どれを聞きたいのか、どれを聞けば自分が傷つかずに済むのかがわからなかった。
先ほどの彼女みたく名前を聞くのが無難だろうかとその澄んだ瞳に念を送る。視線が交わったけれども、困ったように首を傾げられただけだった。
こらえ切れずに噴き出す気配が隣でする。嫌味のない、愛おしさが思わずこぼれ出たような笑いに、場が少し明るくなる。
「あなたも聞こえる人ですか」
本当に聞こえているのかは怪しいところだが、初対面で名前を問われたことを考えれば、答えはイエスだろう。曖昧に頷いた。
「嬉しいな」
目を細めてくしゃりと笑う姿はゾウに負けず劣らず無邪気で子供らしい。
晴れ間がのぞいたのか、ガラス窓から柔らかい光が差し込む。本当に月並みだけれども、この人が少しでも笑える世界であればいいと、祈るように目を細めた。
「よければ散歩してみませんか。お代は結構ですので」
『ゾウの背中に乗って』パンフレットの文言が思い出されて、少し尻込みする。
「この子の背中に乗るのって…」
「ああ、すみません。僕もそんなつもりないですよ。この子と森を歩きたいんです」
本当は、ゾウも親しい人以外を背中に乗せたくないのだという。自分は何回か乗せてもらったけれど、その度皆を慰めていたと語る瞳は少し自慢げだ。
人差し指を口元に添え、オフレコでと囁く声が、飼育舎内に軽やかに響く。
「さて、行きましょうか」
そう言うと、重く分厚く作られた扉を、ギギギと音を立てて横にスライドし始める。それに合わせて、外の光が少しずつ、飼育舎内に入ってくる。
「つらくはないですか」
意図せず零れた言葉に、はっと口を押える。可愛がっているゾウが、たった120日で死んでしまうなんて、あんまりじゃないですか?辛くならないんですか?
そんなの、山ほどある質問の、一番ダメな選択肢だ。
光が中途半端に差し込んだまま、沈黙が、一秒、二秒、三秒と続く。
「慣れませんね」
重苦しい大気にぽつりと放たれた言葉の質量は、思ったよりも小さくて。
「でも、しかたがないです」
振り返った顔が湛えているだろう、諦めにも似た笑みを私は見たくなくて、彼を直視することは叶わなかった。
あふれんばかりの緑が、私に雨上がりの懐かしさを教えてくれる。田舎で育ったわけでも、梅雨生まれでもないのに、泣きたくなるほど安心するのはなぜだろう。
「この子と歩くと、いろんなことを教えてくれるんです。そこに虫がいるとか、足元に花が咲いてるだとか」
生憎私には、気まぐれに落ち葉をつつくゾウの声を聞き取る能力がまだないので、彼女の目を見つめて心を通わす練習から始めてみることにする。
相変わらず綺麗な瞳。生まれて数十日だとしても、やはり彼女は私の知らない、何か大切なことに気づいていて、私には見えないものを見ているような気がした。それがいいことなのかはわからないけれど、兎にも角にも私は、このゾウをとても好きだと思った。
次はキリン。私はライオンも見たい。園内のバスって――――
客の賑やかな声を遠くに感じる。きっと、私の家族もその中にいるのだろう。
母も父も、すれ違った知らないお姉さんも、家族連れも、みんな、ゾウの余命の話なんて知らなくていい。そう思うと、なんだかこの飼育員の気持ちがわかる気がする。
ゾウらしいゆっくりとした歩調が落ち葉を踏みしめる度に聞こえる湿った音だとか、不意に頭に滴り落ちる雫だとか、葉の隙間を零れる緑色の光。私には、それが心地いい。
雨の残り香を胸いっぱいに吸い込んで、自分に帰る場所が、ここではない場所があることに、どうしようもなく思い当ってしまう。
ここにいたい。かえりたくない。
初めてゾウの体に手を触れて、その硬さに安堵しながら、36日後の天気について考える。結局今日が何日なのかもわからないうちに、この優しい夢からゆっくりと醒めた。
受賞コメント
私は小学校高学年の頃から小説を書き続けてきたのですが、自分では素晴らしいものが書けたと思うことはあっても他人からの感想を聞く機会は少なく、自分の書く小説が独りよがりなものなのではないかと考えることも多くありました。今回、学校で推奨されているコンクールで、出来上がった作品が応募規定に合う文字数だったので応募しました。佳作を受賞させていただいたことで、自分の書いた小説が、他の人にも面白いと思ってもらえるものなのだと認めていただけたような気がして、報われたような思いです。
作品は、夢の中での出来事をもとにしています。夢の内容を書き留めておいた夢日記のような短い文章を、細部を膨らませるなどして大幅にリメイクしました。夢の中で感じた寂しさや愛おしさを言語化する過程が、夢を再びなぞるような感覚で、心地よかったのを覚えています。優しい人になりたい、優しい人の声に耳を傾けられるようになりたいと思いながら書きました。 書いていくうちに、登場するキャラクターに思い入れが増していき、その仕草を魅力的に描写するための言葉を選ぶのに頭を捻らせましたが、楽しくもありました。目を覚ました後も残る夢の中での感覚のような余韻を、読んだ人にも感じてもらいたいと思い、情景描写には特に力を入れました。書きたい光景を、思い描いたイメージから色褪せることなく文字に起こすことができたのは初めてだと思います。
私自身、口頭で自分の考えを説明することがあまり得意ではないので、創作は私にとって思いを伝える手段であり、私の言うことをじっと聞いていてくれる話し相手のようでもあります。自分と向き合い、自分に寄り添うという過程が創作の一番の魅力だと感じます。
文章を構成する上で、口に出した時にリズムの良い言葉や助詞の組み合わせを選ぶのにこだわっており、言葉選びは小説の醍醐味だと日々感じています。言葉の組み合わせや、題材、アウトラインなどについてはカフェインを取るといいアイデアが思いつくことが多いので、小説を書く時は紅茶を飲んだ上で深夜まで起きていることが多いです。
世の中には無数の創作物がありますが、自分の頭の中にある世界を形にできるのは自分だけです。自分が生み出した作品というのは、自分にとって測り知れない価値を持ったものになります。表現の壁など、さまざまな困難にぶちあたることもあると思いますが、諦めずに書き続けてみてください 。
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