植田さんの弁論原稿「将来の夢~障がい者の妹に生まれて~」

「涼香ちゃんの夢、恥ずかしくないの?」自己紹介カードの将来の夢の欄に、大きく、「私のお姉ちゃんみたいになりたい」と書いた小学生の私に、友達が言った言葉。どうして?と聞き返す間もなく友達は続けます。「お姉ちゃん、障がい者でしょ。隠さなくていいの?」私の姉は、恥ずかしいものなんだと思わされました。

大きくなるにつれて、世間の障がい者への差別、偏見を何度も実感しました。ただ、生まれた時に、もしくはその後に、自分がもちたくてもったわけでもない障がいに、一生苦しめられる。それは単に、身体的な不便さだけでなく、他人からの偏見も同様にです。実際、障がい者はいらない、という価値観をもった人が起こした、身勝手極まりない、とても残酷な事件もあります。

障がい者だから入学できない。障がい者だから就職できない。障がい者だから家庭をもてない。障がい者だから。障がい者だから。

知的障がい者、精神障がい者、身体障がい者の割合は、今や、日本の人口の、7.4%にものぼるそうです。7.4%と聞くと、少ない、と感じると思います。でも、うつ病、ADHD,発達障がいなどの、本人でさえも自覚しづらい障がいもあるのです。だから、本当の障がいを持っている人の数はもっと多いはずです。もしかしたら、あなたも私も、他人事ではないかもしれません。

そして現代では、多様性、自由な個性を求める声が、日に日に大きくなり、社会全体に「障がいを個性と認めよう」という動きが広まっています。

そんな今だからこそ、皆さんに伝えたい事があります。障がいをからかわないでほしい。偏見の目で見ないでほしい。ガイジ、と馬鹿にしないでほしい。

確かに、障がいをもっている人は少数で、物珍しい存在なのかもしれない。だけど、障がい者もみなさんと同じように、心があり、嬉しい、悲しいという感情があり、そして障がい者である前に、一人の人間です。あなたは、すれ違いざまにじろじろ見られたら、嫌な気持ちがしませんか。自分のコンプレックスについてからかわれるのは好きですか。

私は軽い内斜視をもっていて、黒目が普通の人より内側にあります。以前、それを友達に冗談半分で、寄り目してるの?とからかわれてから、至近距離で正面を向いて写真を撮るのが嫌いになりました。みなさんも、こんな経験があるのではないでしょうか。身長のこと、学力のこと、容姿のこと、家族のこと。馬鹿にされたり、ふざけ半分で触れられたりしたくない部分が、誰しもあるはずです。あなたがされて嫌なことは、障がいを持っている人にとっても、嫌なことです。表面上は笑って誤魔化していても、心では泣いている。あなたの軽はずみな言葉が、行動が、その人に一生ものの傷を負わせることもあるのです。障がいをもつ人が下を向いて歩かないように。障がい者が、障がいは個性だと自分自身で認められるように。私たちは周りの人を傷つけない、差別しない。そんな小さな、でも大切なことを、積み重ねていかなければなりません。

姉は友達と環境に恵まれ、障がいを恥じることなく生きています。普通の大学生として勉強を頑張り、趣味に打ち込み、友達と毎日楽しく過ごしています。私も姉を恥ずかしく思ったことはありませんし、むしろハンディーキャップをもっていても、常に前向きで、まるで太陽のような姉が大好きです。将来、姉のような人になりたい、と思う気持ちの強さも、昔から変わっていません。もし、生まれ変わりがあるとして、家族を選べるとしたら、私はまた、姉の妹として生まれたい。そう、胸を張って言えます。

最後に、皆さんにひとつ質問があります。あなたは、私の、姉のようになりたいという夢を、恥ずかしいことと思いますか?