光永翔音さん(東京・日本大学豊山高校3年)は、水泳部と野球部の両方で活躍した水陸の「二刀流」アスリートだ。競泳ではインターハイ優勝を経験、野球では4番打者として東東京大会ベスト8の結果を残した。2つの部活に打ち込んだ挑戦を振り返る。(文・写真 中田宗孝)

水泳と野球の二刀流

生後6カ月でプールに入り始め、ひと通りの泳ぎを習得した小2からは、最速タイムを目指すスイマーとして本格的に取り組んだ。中3のときバタフライで中学生記録を樹立。その際の50mバタフライ(長水路)24秒41を含む3種目のタイムは、2023年12月現在、今なお破られていない。

光永翔音さん。野球と水泳に高校生活を捧げた

一方、野球経験者の父の影響で小1から始めた野球では「ホームランを打てたときはうれしいし、みんなで勝利をつかむチーム戦が面白い」。中学では3度の全国優勝を誇る硬式野球の強豪クラブで強打者として奮闘した。競泳と野球、どちらも楽しく「トップを狙いたかった」。その強い思いから、高校でも両立を決断した。

「振り返れば、日大豊山だったから2つできたなと思う。他校ではきっと無理だった。そういう環境を作っていただけたことはありがたく、感謝の気持ちです」

両立できた理由は「強豪」だから

光永さんが入学した日本大学豊山高校の水泳部は、インターハイの常連でオリンピック選手を多数輩出している強豪だ。同校野球部は、甲子園への出場歴があり、部出身のプロ野球選手もいる。どちらも高いレベルで競技に打ち込め、水泳・野球部の両監督による競技両立への理解やサポートも手厚かったという。

「インターハイ優勝と甲子園出場を狙える環境でプレーしたことが、3年間、両立できた一番の理由です」。監督たちとの話し合いを重ね、光永さんの意向をもとに高校入学後は競泳にまず比重をおき、高2の夏以降は、自身が最上級生のチームとなる野球に力を注ぐプランを描いた。「高1のときも野球の練習量を多くした期間はあります。その時々の状況によって、ですね」

野球と水泳が互いに生きた

野球で磨いた瞬発力を泳ぎに生かせたと話す。「例えば、打撃でのボールを当てるインパクトや走塁時のスタートダッシュ。競泳では短距離のスプリンターなので、一瞬の力の入れ具合は、野球で得られたんじゃないかな」。また、2つの競技をすることで、メンタル面でプラスに作用したという。「野球で調子が出なければ、泳いでリフレッシュしたり、野球をして競泳での行きづまりを発散させたり。だからどちらも嫌にならずにやりきれた」

「二刀流」生活はメンタル面にも良い影響を与えた

高2の競泳のインターハイでは100mバタフライ、団体競技の400mフリーリレーと400mメドレーリレーで優勝した。そして、より野球に費やす時間を割いた高2の夏以降の試合では、計10本のホームラン(高校通算11本塁打)を放ち、チームの主砲としての力を発揮した。

チームメートに支えられ

二刀流の挑戦は成功体験ばかりでなく、つまずきも多かったと顧みる。「自分の考えや行動に甘えが出たときもある。競泳も野球も中途半端になるんじゃないかと不安をずっと感じていましたし、やはり体力的にはキツかった」

心身の不安を軽減できたのは、野球・水泳部、両方のチームメートの存在が大きかったそう。「一緒に練習していない期間もあったけど、どちらのチームメートも応援してくれたんです。本当にありがたかったですね」

そんな、両方の部の仲間たちとつかみ取った勝利が、自身の好成績以上に脳裏に浮かぶ。4番・ファーストで出場した高3の東東京大会5回戦では、延長タイブレークの末、関東第一高校に3-1で勝利を収めた。「昨年はコールド負けした相手だけに、とても気合が入った。みんなで勝利を喜び合いました」

次戦の準々決勝で敗退し、東東京ベスト8で高校球児の夏を終えた。一方、競泳のインターハイでは、日大豊山水泳部が6年連続で男子総合優勝を達成。「自分たちの代で総合優勝を途切れさせなかった。同級生部員が頑張ってたのは知っていたので、みんな本当によくやったなって」。光永さんも100mバタフライで5位、泳者の一人として臨んだ400mフリーリレーで優勝を果たすなど、部の全国6連覇に貢献した。

競泳でオリンピックを目指す

8月6日、光永さんは甲子園球場のグラウンドに立った。「第105回全国高校野球選手権記念大会」開会式の入場行進の先導役に選ばれたのだ。選手として甲子園の土を踏みたかった複雑な胸中だったそうだが、「貴重な経験をさせていただきました」。

大学進学後は競泳に専念する。「続けるからにはトップを目指す。オリンピック出場は最低限。口だけと言われても目標は声に出します」と、自らを鼓舞するように語る。高校で区切りをつけた野球への未練は、中学野球に励む4歳下の弟に託す。

「先日、弟の試合を観戦したんです。自分より肩が強くてキャッチャーとして成長していました。甲子園に行ってほしい。自分はアルプススタンドから応援したいんで」と話し、この日一番の笑顔を見せてくれた。

みつなが・しょうおん 2005年6月28日生まれ。千葉県出身。中学硬式野球クラブ「京葉ボーイズ」でプレー。右投げ右打ち。競泳では、バタフライ、自由形の選手。50mバタフライ(長水路)、50mバタフライ(短水路)、100mバタフライ(短水路)のタイムで中学生記録を保持する。191センチ、86キロ。