煙岡さんの弁論原稿

ものさし

西大和学園高等学校 3年 煙岡英樹

「え、どうやって見分けんの?」

「全然違うって!声の高さとかさ」

「んー分からんわ、あ、眼鏡の色ちゃうやん、英樹が緑で知樹が茶色な、おっけー」

今まで何百回とこんなやり取りをしてきた。このようなやり取りをしたことがある人ならわかるだろう、僕は双子の兄だ。

 そして僕は双子の「出来ない方」。いつからだろうか、そのことを自覚するようになったのは。何をしても何故か弟の方が上手くできる。弟より多く勉強しても成績は弟よりずっと下。弟は習い事を始めても僕より上の難易度から始まる。生徒会副会長や文化祭実行委員長を任されるほどのリーダーシップを持っていて、周りや大人からの信頼も厚い。弟が当たり前にこなす一つ一つの行動が僕には難しかった。劣等感を強く感じ、僕は出来損ないなのかもしれないと何度も思った。成長するにつれ、プライドもあり、弟と比較されることを恐れるようになった。「弟のほうが兄貴よりできるんや」その悪意のないであろう弟への称賛の言葉に何度も傷ついた。そして、「いや、お前もできるんやで」と付け加えられる僕へのフォローで更に傷ついた。自分なりに頑張っても弟のせいで素直に喜べない。双子になんて生まれたくなかった。そして、何よりも、自分の道を進み、みるみる成長していく弟を妬み、兄として素直に応援できない自分が1番許せなかった。

 しかし、中3のとき、転機が訪れた。学校の取り組みで科学オリンピックに挑戦する機会があった。そして、弟が数学オリンピックを選んだのに対し、僕は物理オリンピックを選んだ。物理を選んだ理由は当時、宇宙や物理が好きだからと周りには言っていたが、正直なことを言うと、数学で弟に勝てるはずがないことを悟り、物理に「逃げた」というのが正しかったのかもしれない。でも、今となってはこの一見消極的に思える選択が僕の人生を大きくかえたのだと思う。自分のペースで自分が思うように物理の勉強を楽しめた。双子の兄としてではなく、一人の人間として、多くの物理仲間と交流できた。弟と比較できない立場に進み、はじめて自分を比較対象としてではなく、自分を自分として見ることが出来たのだ。だからこそ、自分の頑張りを素直に喜べて、もっと頑張ろう!って思えるようになった。物理を誰にも負けないものだと思えるようになったし、今物理をする理由を聞かれたら、本心から物理が好きだからって言えるようになったと思う。

 ずっと僕は比べられるのが大嫌いだった。しかし、実は弟と同じ立ち位置にいることを望み、そのたびにしんどいほどに背伸びをして、背伸びをしても足りない弟との差を何度も目の当たりにし、弟よりできるか、できないのかという、つまらない基準で比較していた。そんなふうに自分を傷つけていたのは、他の誰でもなく自分自身だったことに気づいたのだ。

 僕は双子の出来ない方だって分かってる。でも今ではそんな自分のことを認められて、都合の良いように自分を評価できる自分が大好きだ。そして、妬むことしかできなかった弟を素直に応援でき、「自慢の弟です。」と言えるようになった自分が大好きだ。

 双子で良かった。誰よりも身近で頼りがいのある弟と一緒に生きてこられて、これからも生きていけることが本当に幸せだ。双子に生まれて本当に良かった。

 誰にだって優れている部分があって、トータルでみたらみんな才能は同じなんだとよく言われるが、世界がそんなふうにうまく出来ているとは思わない。世の中は理不尽だ。でも自分の幸せは自分できめられる。幸せを測るものさしは良し悪ししか測れない真っ直ぐなものである必要はない。幸せを測る目盛りは絶対的なものではないし、ローレンツ変換のような物理法則に規定されるものでもない。幸せを測るものさしは、自分の幸せを測るためだけに、そして自分が本当に幸せ者だなって思いながら生きていけるように、都合のいいように作ればいいと僕は考える。

 自分を他人と比較して苦しむすべての人に伝えたい。たとえ、誰かから比べられたとしても、その誰かが辛いことに本来応援してくれるはずの身近な家族であったとしても、あなただけはあなたの味方になってあげてほしい。あなたを一番苦しめているのはあなた自身だから。自分が自分の味方になる、それだけで今よりずっと楽になる。そのために、僕のように比較されないものを拠り所にするのでもいいと思う。あなたの幸せをあなただけのものさしで測れるようになってほしい。あなたにしか作れない幸せな人生を送ってほしいし、周りのあなたと同じように苦しんでいる人の味方になってあげてほしい。

 双子ではなくても自分を他人と比較して悩む人はたくさんいると思う。そんなふうに苦しむ人が、自分と周りを比較せず、自分が自分を大好きに思えて、周りを素直に応援できて、今を幸せに思える、それは簡単なことではないが、自分の思うように目盛りが書かれた、自分の思う形のものさしで自分を測れるようになれたらこの上なく素敵なことだと僕は思う。