国際協力特別賞

「当たり前」の格差

北陸学院高等学校 1年 津幡 高裕

私たちにとって平和な世界は当たり前のことなのかもしれない。日本が戦争をやめ、戦力を持たなくなってから76年が経過した。終戦から日本は大きく変わった。都市は明るくなり公園では子供達はサッカーができる。生活は便利になり、衛生環境も大幅に改善された。そんな「当たり前」がある。しかし、この当たり前はどの世界にも通用することではない。日本から約4200 キロ、私が降り立ったカンボジアにその「当たり前」はどこにでもあるものではなかった。都市から少し離れれば水道のない街がある。人と出会えば頭上にハエがたかっている。そんな日本とはかけ離れた「当たり前」が広がっていた。公園でサッカーをする。そんな「当たり前」はこの国にはない。サッカーをすると命を落とすかもしれない。そこには地雷が埋まっているという彼らの「当たり前」が存在していた。

目の前で見た地雷が爆発した瞬間を私は今でも鮮明に覚えている。彼がボタンを押した瞬間、けたたましい音とともに高い煙が上がった。視界いっぱいに広がる砂埃は恐怖そのもの、死を見たかのように感じた。地面を見てもどこに埋まっているかなど分からない、私の拳よりも小さな地雷。そんな恐怖が埋まる地雷原のすぐそこに、子供達は何も無いかのようにサッカーをしていた。その時、自分が何も気にせず生きることができる「当たり前」その尊さに気づいた。

私は現地で学校修繕のボランティアに参加した。学校は民間企業によって建てられたものだ。学校が建てられる以前、子供達は広がる青空のもと勉強をしていた。トイレなどの設備も不十分であったために、女子生徒の中には周りの目を気にして学校に行かなくなる子もいたそうだ。そのため整えられた設備のある学校で勉強している子どもたちは明るくみんな笑顔であった。学校修繕の作業を終えた私は人のために行動することへの幸せを感じた。

世界は国連によって2015 年に採択された「SDGs」という共通の目標に対して歩みを進めている。「住み続けられるまちづくりを」、私が見た光景は地雷原を更地にして、街を造る、そんなマイナスからの街づくりであった。巨大な重機を使いながらも、やはり人の手によって地雷が一つ一つ取り除かれていく。

今、日本企業は誰もが安心して暮らしていける社会をつくるために道を作り、橋をかけている。また、「質の高い教育をみんなに」のゴール達成にむけて学校建設や文具を配る活動をしている。

SDGs を世界で達成していくためには企業だけでなく中学生や高校生といった私たちのような若い世代が理解を深め行動していくことが大切なのではないかと考える。まずできることは、現状を知ることだ。インターネットが発達した現代では発展途上国や紛争地域の現状を知ることは難しいことではない。現状を知ることこそが、行動する上で一番の原動力となるのではないだろうか。そして次に行動していくことだ。ボランティアや募金といった活動もあるが、すぐに行動に移していく事は少しハードルが高い。しかし、普段の買い物からSDGsの達成に協力できる。それがフェアトレードのマークのついた商品を買うことだ。マークのついた商品を買うと普段より も多くのお金が発展途上国で働く生産者のもとに行く。そうすることで現地の人たちが質の高い教育を受け、少しでも豊かな生活ができる。発展途上国の人を支援する事はその国を支援し、その国が発展し、自国と貿易や文化交流などをすることに繋がり、結果的にお互いの利益となる。このように支援をすることが一番の利益となるのだ。だからこそ私たちは現状に目を向け、行動しなければならない。今、起こす小さな行動が、地球と私たちが共存していく上で大切なのではないだろうか。