独立行政法人国際協力機構理事長賞

ダブルの私にできること

山梨英和中学校 2年 野中 真里

私の父はタイ人、母は日本人です。みんな私のことを「ハーフ」と言いますが、私の母は私のことを「ダブル」と呼びます。母は「ハーフというと半分で、何か足りないような気がする。パスポートも二冊持っているし、家もどちらにもある。言葉だってできるのだから、前向きにダブルのほうがいいじゃない」と言います。

私の学校ではウォーカソンで集めた奨学金をタイやラオスの子供たちに贈る活動をしています。私は小学校低学年までタイに住んでいましたが、タイに奨学金をもらわないと中学校に行くことが困難な子供たちがいることを知りませんでした。そこでこの夏休み課題として、現地に行くことはできませんが、電話やインターネットを使って奨学金をもらっている生徒に直接連絡を取り、生活状況や学校の様子を聞いてみることにしました。

現在タイもコロナ禍にあり、学校が閉鎖されていてなかなか連絡が取れませんでしたが、八月に入り、やっと連絡が取れるようになりました。本来ならば五月半ばから新学期が始まるのですが、感染者の急増に伴い、始業式が何度も延期となり、最近やっと分散登校が始められるようになったとのことでした。そこで事情を話し、先生のラインアプリのビデオ通話をお借りし、直接奨学生とお話をさせて頂きました。私と同じ中学二年生の男の子は、「いろいろ生活は大変だけれど、奨学金のおかげで中学校に行き、勉強することが出来てとても嬉しい。将来はバイクや自動車の修理工場を持ち、親の役に立ちたい。そして出来ればより多くの友達が奨学金を受けられるようにして欲しい」と言っていました。私は、「学校面倒くさいよね」とか「勉強やりたくないなぁ」など友人と話していた自分が恥ずかしくなりました。

私たちは生まれる場所も、時代も何一つ自分で選ぶことはできません。奨学生たちが悪いわけでも、私たちが良いことをしたから今の暮らしができているわけでもありません。ただ運が良かっただけ。ただそれだけだと思います。

私は十月から生徒会長になります。生徒会の募金活動の際、私の大好きなタイのお友達に奨学金を必要としている人がいることを自分の言葉で伝え、私が通訳として直接会話をする機会を作り、交流をしてみたいと思います。支援する側も相手の顔が見えれば沢山支援をしたくなるし、支援してもらう側も支援者の顔が見えれば、もっと頑張ろうと勇気をもらえるはずです。まだ私にできることは小さいことかもしれませんが、「人と人とをつなぐ」ということはできると思い ます。一人でも多くの人にいろいろな境遇の人がいることを知ってもらい、その中で何か小さな奇跡が起るよう協力していきたいと思います。それがダブルの私だからこそできることだと信じて頑張ってみようと思います。