文部科学大臣賞

ボーダーレスの世界を目指して

United World College of South East Asia (East) 3 年 長谷川 海空

幼い頃、よく「男みたい」と周りの子たちから、からかわれていた。いつも短い髪型に短パンTシャツ。しかもそこにプリントされていたのはスパイダーマンなどのヒーロー。しかしからかわれても、私はそのスタンスをやめなかった。からかわれるのは正直嫌だったが、私は私でいたいと思う気持ちの方が強かったから。男だ、女だということの前に私はまず私だ。男らしい、女らしいということの前に、まず自分らしく生きていたい。

そもそも、男らしさ・女らしさとは一体何だろう。

私の家では、父が家事をして母が外で仕事をしている。新型コロナウィルスのまん延に伴い医師である母の仕事量が増えたため、看護師だった父は仕事を辞めて家事をするようになった。周りから見れば男女の役割がずっと逆のように思えるかもしれないが、私は毎日父が作ってくれたお弁当を持って学校に行く。そして、こういうのもアリだと思うし、むしろカッコイイと思う。男女の枠組みでものを考えることは、時として危険だ。それは差別に繋がるかもしれないからだ。例えば世界には、女だからという理由で学校に通えない子が1億3千万人以上いるという。

オリンピックの水泳で銀メダルを獲得したアジア系アメリカ人のエリカ・サリバン選手は、自身のことをLGBTQ の「Q= 性別を限定しない人」と発表したし、シンガーソングライターの宇多田ヒカルさんは、自身を「ノンバイナリー(= Q)」とカミングアウトしている。世界で活躍されている方たちが、自身への偏見をものともせずマイノリティであると主張する。そんなニュースを耳にするたびに、多様性を受け入れる未来の世の中を感じられて、私は嬉しくなる。

そして私は、男女の区別だけではなく民族や人種についても同じことが言えると思う。私が通っているシンガポールのインターナショナルスクールでは、日本人は学校全体の4%。七十四か国から来た学生たちが一つの校舎にいるので、多様性を認め合うことが大切だと低学年の頃から学んでいる。実際に私の友人たちも、例えば「母は日本人、父は中国人、でも生まれたのはアメリカで育ったのはカナダ、その後ベトナムを経て今はシンガポール」という人もいて、もうどこの国の人か分からないがそれは全く気にならず、大切な仲間であることには変わらない。性別、人種、民族といった垣根は、もういらないんじゃないかと私は思うようになった。

だから私は「外人」という言葉に違和感を感じる。「外の人」というのは存在しなくて、実際はみんなが人種・民族、はては男女の性別すら関係なく一人の「人間として」地球という共同体の中で「中の人」として一緒に生きている「『仲』間」なのではないかと思う。同じ共同体の一員として、私は差別や区別のない世界で生きていきたいし、将来それを維持していけるような人になりたいと思う。