文部科学大臣賞

音楽の力を信じて
福島県立相馬高等学校 2 年 菅野 莉子

私の前に音のない街が広がっていました。ざわめきもにぎやかさも聞こえない日々。

二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災とそれに続く原発事故は私の生活から楽しい音、にぎやかな声を奪っていきました。当時の私は幼稚園を終えて、小学校への入学を心待ちにしていた時でした。私の住む福島県相馬市の沿岸部は津波被害で多くの犠牲者を出し、原発事故では目に見えない放射線への恐怖から、屋内で生活することが多くなっていました。楽しみにしていた小学校の入学式は延期となり、小学校は津波で家を失った人たちの避難所となりました。街全体が沈黙し、人々は息を殺すようにして不安な日々を過ごしていました。さいわい私の家は津波被害に遭うこともなく、家族がそろって生活することができました。幼かった私は、何が起きているかよく理解できないでいましたが、重苦しい毎日であったことは覚えています。

暗鬱な空気の中で私を救ってくれたのが音楽との出会いです。私は母親の勧めもあって小学校四年生の時に「エル・システマ」という団体のオーケストラに参加しました。国際的な音楽団体で、東日本大震災後の復興のために地域の音楽活動の支援を行っていただきました。ヴァイオリンの担当として年齢を超えた仲間と一緒に定期的に練習に参加しました。

二〇一五年三月、練習の成果を発表する機会を得ました。東京の大きなホールでコンサートを開くことになったのです。コンサートにはいつも一緒に練習している仲間の他に、団体のメンバーが各国から集まり、共演することになったのです。来日した外国人のメンバーと顔を合わせた時の印象は忘れられません。とても恐かったのです。小学生の私は彼らの大きな体、髪や目の色の違い、そして言葉の壁に恐れを抱いたのです。初対面から圧倒されて、目を合わすことも言葉を交わすこともできなかったのです。そんな空気を読み取ったのか、ベネズエラ出身の指揮者は練習前に私たちを集めて話をしたのです。

「言葉は一つの言語だよ。言葉で会話が出来なくても私たちは音楽を通じて心でつながることができるはずだよ」 そうだ。音楽にちゃんと向き合おう。よりよい音楽のために一緒に音を創っていこう。私は人 と人のつながりがオーケストラの音を創り、その音を聴衆に届けるのだという当たり前のことに気づいたのです。それからは積極的にこちらから話しかけるようにし、相手の話を理解しようと心がけました。ヴァイオリンパートの外国の演奏家と互いの思いが重なり、心が通じ合ったと感じた瞬間、自然に互いに笑顔になり大きな喜びを感じました。

演奏会には盲導犬を連れた目の不自由な方も来てくれました。じっと耳をすまし私たちの音の一つひとつを大切にして、真剣に聴いて下さっていることが私にも伝わってきました。演奏活動を通して、国籍や肌の色、言語が違う仲間がたくさんできました。さらに障がいを抱えた方々との交流も生まれました。

今考えてみると、最初に感じた恐れは何だったのでしょう。私の中に、自分と違うものを遠ざける気持ちと偏見が生まれていたことに気づきます。心を開いて同じ目標に向かうことで心が強くつながることをオーケストラでの演奏活動を通して知ることができました。

二〇二〇年から二年間にわたって、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大があり人々の行動が制限されています。自粛という言葉の下に人々の交流が絶え、重苦しい空気が世界を覆っています。コンサートなど発表の場も制限を受けています。この状況は東日本大震災後の街の空気と似ているなと感じています。でも、私には離れていても思いが共有できる音楽という手段があります。私は今も練習を続けSNSで演奏の様子を発信する活動を続けています。もっと届け私の音楽。そして、もっとつながろう、世界の仲間たち。