外務大臣賞
小さな手

清教学園高等学校 1年 大家 弓佳

痛みと、苦しさと、自分から流れて広がっていく血だまり。必死で繋ぎ止めようとした意識を失う時、死を感じて恐怖でいっぱいになった。昨年、私は下校中、暴走した車に撥ねられて下敷きになった。レッカーで車をどかしてもらい、ドクターカーで救命救急に運ばれたらしい。出血性ショック状態だった私は、ドクターやスタッフの方々のおかげで一命を取り留めた。

その時まで、死は私には遠いものだった。飢餓や内戦、死と隣り合わせの人たちがいることを知っていて可哀想だと思っていても、それ以上何も考えようとしていなかった。けれど、死はこんなに近く恐ろしいものだと分かった。ブレーキも踏まれずに突っ込んで来た車の恐怖に、私はまだ普通の道も歩けない。事故にあったのは、車両通行禁止の道路だったのだ。私にとって、どの道も安全に思えなくて怖い。それ以上に、世界には死を近く感じて恐ろしい思いをしている人たちがたくさんいるのだと思った。それも、助かる方法さえ分からない人たちが。

私が助かったのは、皆さんの力もあるが、日本だったことも大きいと思う。救命救急での一月近くの治療は本当に苦しく辛いものだったけれど、それがなければ死んでいた。十二時間以上かかったらしい手術も、医療の発達していない国では不可能だった。

必死に手を伸ばした時に、私は多くの手に掴んでもらえて助けられた。けれど、今でも誰にも応えられないまま、ただ空を掴む小さな手がたくさんある。

私もそういう人たちのために何かしたい、と思った。でも、すぐにそう考えるのも分不相応の気がした。私に何ができるだろう。母に車で送迎してもらえなくては、学校にも通えなくなった私に。自分の足で走ることもできない。普通の人と同じような距離も歩けない。事故前に当たり前にできたことができなくなって、掃除の時間に自分の机を運ぶこともできなくなった私に。誰かに手助けしてもらえなければいけない私に、誰かを助けることなんてできるのだろうか。

私は、結局何も思いつかなくて、お店においてある募金箱に硬貨を入れた。これで、何もできない気持ちを楽にしようとしているようで、後ろめたい気持ちになった。正直に私の気持ちを伝えたら、母が言った。

「実際の手、心の手、お金の手、それぞれ持っている人もない人も、大きな人も小さな人もいる。でも、それぞれ、その手の大きさで助けたり、支えたり、できる範囲でしていけばいいんじゃないかな。小学校を卒業した後、NGOを通じてランドセルや新品の文房具を海外へ寄付したよね。それから、毎年はできないけれど、お米や食品をフードバンクに寄付したりしているでしょう。 そんなふうに、できることを続けていったり増やしていったりすればいいと思う」

だから、「何もできない」って立ち止まっている必要はないんじゃないか、そう母は優しく言ってくれた。どれだけ大きな手を持っていても、世界は広くて一人の手で全てを包むことはでき ないから、と。 私は、この世界で誰かのためになるには、何か特別な大きなことができなければならないのだと思い込んでいたことに気づいた。

私は、小さな小さな手しかない。けれど、その小さな手でも、たくさんの手の一つになれれば。それはとても遠くて難しいけれど、小さな手でできることなら、多くの人ができるかもしれない。たくさんの人の手があれば、きっと世界中の人に届くようになるかもしれない。

自分の欲しい物を買う時に、硬貨のおつりは募金することにしよう。母と相談して、できる限りフェアトレードのものを買うようにしよう。私は、今すぐに実行できることを考える。これから、できるかもしれないことを探し続ける。たとえそれが小さなことでも。