中学生の部 審査員特別賞
今、私にできること
江東区立第四砂町中学校1年 荒木 愛海

私は二年前、登山に挑戦するため、祖父とネパールを訪れました。

そこで私は、六歳くらいの男の子に出会いました。男の子は私と目が合うと、私のもと にかけて来て、「食べ物か、ルピーをください」と持っていたバケツを差し出しました。私 は、どうしたらいいか迷いましたが、その子のやせた細い腕を見て、思わずポケットの中 のアメを渡しました。すると、男の子は、歯でアメを半分に割り、半分だけ自分の口に入 れ、残りは元の包み紙に大切にしまうと、「これは妹にあげる」と言って、嬉しそうに帰っ ていきました。私は、その時の自分の行動が本当にそれでよかったのかと今もずっと考えています。

ネパールは、二〇一五年四月にマグニチュード 7.8 の地震が発生し、多くの建物が倒壊 しました。私が訪れた旧王宮であるハヌマン・ドカも、震災復興の工事中でした。私は、 その工事中の看板に日本の国旗と JICA のマークを見つけ、日本が支援していることを知り ました。興味を持った私は、祖父とJICA の事務所を訪ねることにしました。

突然の訪問にも関わらず、職員の方がネパールにおける日本の支援について教えて下さいました。世界遺産である「カトマンズ盆地」にある多くの文化財は、ネパールの人々のアイデンティティーであり、大切な観光資源であるということ。そして、観光業はネパールの大切な産業の一つであり、こうした復興支援は、ネパールの経済にとっても大切で、 未来のネパールの支援になるということを学びました。

その後、私は街の中で多くの働く子ども達に出会いました。屋台で働く子、風船を売る 少年、花を売る少女もいました。ネパールは近年、義務教育化され、十四歳以下の児童労 働も禁止されましたが、実際は学校も先生も学用品も不足していて、農村や山岳部の子ども達の中には街へ出かせぎに行く子もいると祖父から聞きました。私はどうしたら、そういう子ども達が学校で学べるようになるのだろうかと考えました。その時、JICA の職員の方から聞いた「未来のネパールの支援」という言葉を思い出しました。私は未来につながる、継続的な支援をすることが重要なのだと気がつきました。

しかし私は、あの時、あの男の子にその場しのぎのアメをあげる事しかできませんでし た。その場限りだけでなく、継続的な支援とは何か。私は、それをもっと考えたいし、色々 な事を知りたいと思いました。私は自分が望めば学ぶことができるのだから、その機会を 逃がさず、大切にしていきたいです。

今、私にできること。それは、学ぶことです。そして、私がネパールで見たこと、知ったことを周りの人たちに伝えていくことです。