高校生の部 国際協力特別賞
一歩先に見えた世界
学校法人聖心女子学院不二聖心女子学院高等学校1年 沓間まり萌

痛みは歳をとらない。一度傷ついた心が癒えるのは難しく、さらに深まるばかり。痛み の発生源は人種、宗教、文化など案外身の回りにあるものばかり。これらは自分と異なる 外観的特徴を持つ人々への受け入れがたい気持ち、つまり偏見や差別から始まる。これら を解決するためには、違いを認識することで、一見シンプルに聞こえるが結構難しい。ではあなたは偏見や差別をしていないか、と聞かれたらきっと誰一人進んで手をあげるものはいないだろう。三年前の私もそちら側の人間だった。しかし、その考えを百八十度変える経験を私はした。

私は以前シンガポールに住んでいたことがある。私が通っていたのは五十ヶ国以上の国から生徒が集まる国際的な学校だ。しかし、当初の私は多国籍の人たちと交流が浅かったせいか、彼らに強い偏見を持っており社交的とは言えない日々を過ごしていた。また、英語も皆無だったため、外国人と仲良くなるなんて無理と諦めていた。そんな時、目を疑う光景を目にした。それは、七歳だった妹が韓国人の子と手を繋いで笑っていた姿だ。本当に驚いた。妹も英語は未熟だったのに満面の笑みを浮かべていた。そして彼女はこう言った。

「私、韓国人の子と仲良くなったんだ。友達だよ。」

私は思わず彼女に聞いた。話が通じないのに何故仲良くなったの、と。すると彼女は、 「お姉ちゃん、気にしすぎだよ。友達になるのに言葉とかそんなに大切かな。」

一瞬で私の中にある何かが、すうっと風のように消えた気がした。そんなとき、クラス に転校生が来た。名前はキム・ミンジ。韓国人だ。その時私は韓国人=反日と誤った偏見を持っていた。ニュースなどで度々報道される日韓問題では、韓国政府が日本に対する否定的な言動をしている場面が多く取り上げており、視聴者側の私は自然とこのような偏見を持ってしまっていた。日本へのマイナスな言葉を耳にして痛みも覚えていた。しかし、 私は勇気を振り絞って声をかけた。すると、彼女が笑顔で返してくれた。その日から、私たちの距離は縮まり、気づいた頃には「友達」という関係に発展していた。多国籍の子と笑い合えるなんて夢のようだったし、この思い出は一生の宝物だ。この時にはもう、以前のような偏見に満ちた私はいなかった。私とミンジの仲は深まっていった。毎朝の挨拶は欠かさず、放課後も一緒に買い物をしたりと笑顔が溢れる毎日だった。彼女との出会いを 機に、私は他にも多くの外国人と仲良くなり、自分の視野が広がった。その三年後、私は 日本に帰国し互いに離ればなれになったが、彼女に会いに韓国に行ったり、電話をしたりなど今でも交流を続けている。

今回のように子供の柔軟さには驚かされることがあるが、皆以前はそうだったのだ。私 たちは忘れてしまったのか。彼らのような柔軟な考え方、他者を受入れる素直な心を。だ からといって過去に国々の間で発生した痛みを伴うような出来事を全て水の泡のように忘れてしまおう、というわけではない。過去の事実を知っている現代人だからこそ、他者を尊敬し認め合う事が求められているのではないか。例えば韓国。近くて遠い国と言われたりする。過去の両国の関係が影響しているだろう。だが、過去の出来事で決めつけ、ピュアな思考や好奇心を抑えつけてしまうのは何とも悲しいことだ。もし多くの人々が思考転換することができたら近くて近い国と言われる日も遠くはないかもしれない。己の意志を頑なに貫き自国の文化以外は承認したくないという姿は、真の人間の在り方なのか。先を見通し、常にオープンマインドを意識することが明るい未来への切り札となると思う。差別や偏見に打ち勝ち、皆が同じ価値観を持てたら、いつか同じ青い空を見上げる事も不可能ではないだろう。私たちの力は無限大だ。