2024年、正月の団らんを突如襲った能登半島地震。富山県の沿岸地域に暮らす高齢の祖父母を持つ私にとってもあの地震は大きな恐怖であったとともに、遠方に住む自分の無力さを感じる機会でもありました。それでも私にできることはないかと考え、ホームセンターに向かいました。(高校生記者・すのー=3年)

元日の大地震、祖父母と連絡が取れず

元日、東京の自宅でテレビを見ていたときのこと。まさか正月に聞くことになるとは思いもしなかった地震速報の不気味な音と、津波からの避難を促すアナウンサーの張り詰めた声を聞きました。

地震の際に祖父母のグループLINEに送ったメッセージ

その瞬間、富山県の海のすぐそばに住む祖父母を思い浮かべました。「津波警報!」「逃げて!!」と祖父母にLINEでメッセージを送るも、なかなか既読になりません。電話をかけてもつながりません。一方で、全国中継で写し出される祖父母の町の海の波は見る見る荒くなっていきます。大きな不安に覆われながらも、ただただ無事を祈ることしかできませんでした。

防災グッズを買いにホームセンターへ

その後、なんとか電話で祖父母の無事を確認できました。祖父母はこれまで大地震の経験はありませんでしたが、今回の揺れは危機感を抱き、避難所へ逃げる決断を下したそうです。

特に大きな被害も無かったそうですが、これを機に高齢の祖父母の防災対策を真剣に考えることになり、地震の翌日に母と近くのホームセンターへ向かって防災グッズをそろえました。

送った防災バッグと使いやすいようにシールをつけたモバイルバッテリー

まず一番に用意したのは防災バッグです。防寒シート、簡易トイレなど、欠かせないアイテムがセットになったものを購入しました。さらに、避難先に電気がなければ情報の入手や通信手段の維持が難しいと考え、ラジオの付いた手回し充電式ライトやモバイルバッテリーも購入しました。実際、祖父母の避難所にはテレビはなく、情報源が限られていました。

手書きの説明書を添えて

これらの防災用品を用意した後、祖父母を励ます手紙をつけて祖父母のもとへ送りました。祖父母はあまり電子機器の扱いに慣れておらず、防災用品の使い方も練習が必要です。手書きの説明書をつけるなどして、少しでも使いやすくなるよう工夫を凝らしました。

送った荷物が祖父母の元に届き、感謝されました。手書きの説明書を見た祖父母からは「わざわざ丁寧にありがとう」と伝えられました。正月の地震は高齢の祖父母2人きりでの体験だったので、励ましの手紙も「胸に染みた」と言ってくれました。「こういうときこそ若者がやらなければ」と強く感じた経験になりました。

若者の力で身近な命は守れる

災害への備えは「やらなければ」と思っていながらも、つい先延ばしにしてしまうことであるとともに、高齢者にとってはいっそう労力のかかることでもあります。

祖父母の住む富山県の海。いつもはおだやかな景色が広がる

こんな時に、私たち若者の知識と体力を活用できれば、身近な命を守ることにつなげられるはずです。「災害はいつ起きてもおかしくない」ことを肝に銘じて毎日を過ごしながら、被災地の一日も早い復興を願っています。