高校生の部 国際協力特別賞
「積極的第三者」になろう
京都市立堀川高等学校1年 中村 健人

もし差別問題を解決するのに自分一人だけではどうしようもないと思っているのならば 考えを改めたほうがいい。誰でも簡単に情報が手に入る現代において、その考え方はあまりにも消極的すぎる。一人の力だけで問題の状況を変えることができる人は世界中でほんの一握りの人たちだけだ。むしろ自分だけではどうにもできないのが当たり前だ。どうせ何も変わらないと諦めるのではなく、自分でもできる何かを探すことが問題解決の第一歩となる。当事者でない人たちのこの小さな一歩こそ、いま求められているものだと私は考える。

世界には今でも、様々な差別問題が存在する。例えば、インドのカースト制度だ。身分差別の一種で上位からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの四段階の身分で構成される。不可触民はカーストの外にあり、その権力はどのカーストよりも低い。差別が特に深刻なのは、シュードラと不可触民に対しての差別である。一九五〇年にカースト制度が撤廃され、制度上身分差は無くなったのだが半世紀以上経った今でも差別は続いている。もちろん性差別も色濃く残っている。

現代は情報革命の波の中にある。この革命は、コンピュータが発達しインターネットが 世界に広く普及したことで情報の伝達が容易になったことでもたらされ、私たちはスマホ 一つで世界のあらゆる物事について知ることができるようになった。このことは差別問題 の解決の一つの糸口にもなるはずだ。まずは第三者が差別の現状を知ることから始まる。 差別問題の解決には第三者の介入が必要不可欠だ。差別問題の当事者の間には権力の差が あり、弱い立場の人間が状況を変えるのは難しい。逆に強い立場の人は差別によって自分たちが有利になっているため状況を変えようとはしない。直接は無関係な人間こそが状況を変えられるのだ。

しかし多くの差別問題が注目はされていても打開されていないのが現状である。知ってはいても解決しようとする人は少ない。差別は良くないと思いつつ、そんな大きな問題は自分だけではどうにもできないと半ば諦めながら、どこかで圧倒的な発言力を持った人が現われるのを待っている。だがそれは最善手とは言えない。なぜなら問題の解決法は一つではなく、多様な意見やアプローチが必要だからだ。一人の手によって完全な解決法が生み出されることはないだろう。より多くの人が興味を持ち、議論し改変を重ねることで、少しずつ少しずつ解決へと向かっていけるのだ。

我々は自分で問題を解決しようとして立ち尽くすのではなく、その問題に興味を持ち、それについて知り、議論の場を作り出すことが大切なのだ。情報技術が発達している現在、議論はどこででもできるようになってきた。そして議論を展開するための知識や情報も簡単に手に入るようになった。もちろん、インターネット上の情報だけがすべてではなく、またそれらがすべて正しいわけでもない。だからこそこれからの世界で生きていく私たちには、正しい情報をつかもうとする姿勢も求められている。実際にいろんな人と会って話をすることも、大変有意義であろう。知りたいと思う気持ち、正しい情報かどうかを判断する力、より良い「積極的第三者」になるために必要なものだ。知ろうとすること、そして誰かと話をするということが、今の自分にできる最低限かつ最善手だ。その小さな一手を打つことが、いま我々がすべきことなのである。私と同年代の人たちも「積極的第三者」 になろうとしてほしい。それはネットニュースで記事を読むことからでも構わない。その 時私たちは立派な「積極的第三者」としての一歩を踏み出しているのだ。インドのレストランには驚くほど多くのウェイターがいるがウェイトレスはほとんどいないらしい。明日、 友達と話してみよう。