高校生の部 最優秀賞 外務大臣賞
ディスタンスがあってもできること
聖心女子学院高等科2年 小崎 真乃香

コロナウイルスが感染拡大しているから、海外に行けないから、まだ高校生だから。このような状況では、私に出来ることは何もない。心の奥底で自分を束縛し、何も行動を起 こすことが出来ていない自分を正当化しようとしていた。そんな自分にもどかしさを感じたのは今から四ヶ月前、コロナウイルスによって世界中が震撼していた時のことだった。

今夏参加予定だった、カンボジア訪問のプログラムの中止も学校から伝えられた。現地 を訪れない限り、自分にとっては未知の国だという意識の隔たりをなくせないと考えてい た私は、冴えない気持ちで、家で医療従事者の方々の報道を見ていた。休む暇もなく、感染リスクに晒されながらも、てきぱきと働いている姿。それは、休校中で毎日を家で何となく過ごしていた私とは対照的だった。医療に無力な私に出来ることは何だろう。大変だね、と見ているだけでなく、私にできる最大限のことをやらなくてはならない。心の底から突き上げてくる使命感に動かされ、看護師の方による動画を観て、試行錯誤でポリ袋を使った防護服の製作を開始した。

製作した二百着は医療機関等に寄付した。衛生面への配慮等、苦労もあったが、助かり 励みになった、との声を現場から頂いた時は涙が出るほど嬉しかった。その後日本では防 護服が充足しつつあると聞き、胸を撫で下ろした。だが、その時ふと私の頭を過ったのは 医療体制が脆弱な発展途上国のことだった。

発展途上国に行ったことはまだないが、将来世界で助けを必要とする人々のために働く 職に就きたいと考えている私は、摸擬国連の活動で、発展途上国の実状を勉強したことがあった。そこで学んだ、発展途上国の中には頭脳流出等によって医療従事者が不足し、医療体制が整わないという問題を抱える国々があるということがその時思い出されたのだ。 基本的な医療体制さえ整っていない国で、コロナウイルスが蔓延したらと想像すると、たとえ直接自分に関わりがない国のことだとしても、見て見ぬ振りをしてはいけないという思いが込み上げてきた。必要とされているならば、防護服が不足している国に防護服を届けたい。しかし私には、どこの国で防護服が足りていないのか、そもそも手作りの防護服の需要があるのかが分からなかった。JICA や外務省、大使館等に問い合わせ、多くの方にアドバイスをいただき、カンボジア国立母子センターで寄付を受け付けてくださることに 決まった。私一人では作れる数に限りがあると考え、学校で防護服製作を手伝ってくれる 有志も募り、十名超えの有志と、カンボジアと東京都に寄付するために製作を続けた。寄付先の院長の方が到着を楽しみにしてくださっている中、無事防護服を発送した。自分がまだ訪れたことのない場所の、会ったことのない人々の役に立てるかもしれないと考える と、現地に行くことができなくてもカンボジアの人々との強い心の繋がりを感じ、彼らと の距離が縮まったと感じた。そして小さな寄付にも関わらず、私達の防護服を受け入れてくださったことへの感謝と、いつかカンボジアを訪れて、自分の肌で現地のことを知りたいという気持ちがより湧いてきた。

今世界中で、コロナ対策として、人と人との物理的距離をあける、ソーシャルディスタ ンスが重要視されている。一方、意識的に人と人との非物理的距離を縮めていくことも必 要だと言われている。私は、何事も傍観するのではなく、たとえ現地に行けなくても、自分と社会、また世界との距離を縮めるために自分にできることを模索することが、今後より重要になってくるのではないかと考えている。その手段は寄付や、国際問題を学ぶ等、 一様ではないと思う。私はできることに制限があったとしても、自分にできる方法で、これからも日本、そして世界の人々との心のディスタンスを積極的に縮めていきたい。