中学生の部 優秀賞
広島に住む私が考える平和とは
広島県立広島叡智学園中学校2年 黒瀬 陽音

平和な世界を作りたい。この言葉は短いが壮大で深く難しい。これを実現するためにど れだけの人が語り合ってきたことか。今回はこの言葉を広島という目線から見てみたい。

広島と平和の二つの言葉を聞いた時、日本人であれば思い浮かぶことは原爆であろう。社会の教科書には原爆投下からの復興を遂げた都市として広島が記載されている。しかし 日本以外の国の意見、原爆が投下された理由や背景については日本の教科書には記載され ておらず、深く考える機会のないまま育つ人が多いように思われる。実際に私もそうだっ た。

中学一年生の時、私の学校では広島の教科書づくりプロジェクトという授業があった。 このプロジェクトではアメリカの小学生と私たちが一緒になって原爆投下についての教科書を作った。何度も意見を交換し、改善して最終的にアメリカの小学生と私たち日本の中学生の双方が納得のいく教科書を作るというものだ。この教科書作りを通して気づかされたことが三つある。

まず、アメリカの小学生は広島の原爆投下による被害について知る機会が少ないということだ。最初にアメリカの小学生が教科書を作る時、原爆についての知識がなく一から調べながら教科書を作ったということを意見交流の場で知った。このことは広島に生まれ育った私にとってショックであり、原爆投下の実情やその後の経過について世界の人々にもっと知ってほしいと思った。

逆に私が知らなかったこともあった。日本の教科書では大きな戦争を終結させるために 原爆を投下したアメリカの考えは記載されていない。ただ日本は原爆の被害者であるという記載はあるが、それは事実とは少し矛盾していることを日本人は知るべきだと思った。

そして、どんな理由で原爆が投下されたとはいえ、戦争は無残で残酷であることを知っ た。それでも今もなお原爆の開発や戦争は世界中で繰り返されている。

この教科書づくりプロジェクトが終わった後、オバマ前大統領の広島でのスピーチを読んだ。自国だけでなく相手の国のことも知ることの大切さがスピーチから読み取れた。人間の能力、可能性をひめている言葉だと思った。どう行動するかは私たち次第なのだ。

平和な世界は戦争をなくすことだけで実現するものではない。環境問題や少子高齢化の 問題など、これから学ぶ中で平和というものをもっと多面的に捉えられるようになりたい。 私は広島出身の人間としても、地球に住んでいる人間の一人としても、これからもずっと平和というものを考えていく。世界中の隣人と一緒に誰もが安心して過ごせる日が来ると信じており、それを実現できるかどうかは私たち次第だと信じている。