審査員特別賞
託された思い
東京都立西高等学校 2年 倉𣘺 優亜

 

「人を幸せにできる人になりなさい。」中学校の恩師が残した言葉が私を支えている。

きっかけは小学生の頃に訪れたタイで、子供達が物乞いをしている姿に衝撃を受けたことだ。なぜ世界はこんなにも残酷で不平等なのか。幼い時の経験が今に繋がっている。

以降、教育委員会の主催する海外派遣事業に度々参加した。しかし訪れる国は先進国ばかりで、タイの体験とはギャップを感じずにはいられなかった。この状況を無視していてはいけない。だから、まずは世界を知ることから始めようとオーストラリアに一年間留学することを決意した。そこには、宗教、文化、言語の異なる人々が共生した社会があり、日本の枠組みの中で無意識に形成された私の固定概念は覆された。今まで当たり前だったことがそうではない。だからこそ、今当たり前のことに、無自覚な行動に、一度立ち止まり、他の視点からも見てみる。この重要さに気が付くことができた。

この留学中、私の誕生日に中学校の恩師は亡くなった。「幸せにできる人に」という言葉は、先生が私にこれからの世界を託してくれたのだと思う。しかし私に何ができるのだろうか。答えはまだ分からなかった。

帰国後、自分に何ができるのかを知るために、より世界のことを学びたいと思った。そこでロヒンギャ難民として日本に来たゾーミントゥさんにインタビューをする機会を得た。ロヒンギャの人々はミャンマー政府から迫害され、国籍さえも認められず、日々抑圧に耐えている。彼は教育こそが彼らの人生にとって最も重要だと言う。未来について考えられるようになり、地域を救う希望を持てるようになるから、と。しかし支援の多くは食料や衣料を送るといったことだ。その意味を思い知らされたのがゾーミントゥさんの「ものを送っただけで助けた気にならないで。」という言葉だ。この言葉は今も私の胸の奥に突き刺さっている。私も日本がものを送っているというだけで自己満足していた一人だった。確かに私たちの送る物資は難民の命を一日長く繋ぐことができるかもしれない。しかしそれでは一生難民を根本的に救うことはできない。目から鱗だった。今日明日を生きるためのごはんがあったところで、将来に繋がる力を与えられる訳ではないことを私は何も分かっていなかった。こうした事実を知ることが世界を知ることであり、それこそが救いの第一歩だと思う。

では、私たち高校生に今できることは何か。ゾーミントゥさんに尋ねてみた。「何よりこの現状を無視せず、より多くの人に伝えてください。」そう言われた。彼自身、様々な機関でロヒンギャの実情を訴えている。そのことで命の危険に及ぶほどの困難にも直面している。しかし彼は決してこの運動を諦めようとはしなかった。彼は父に「この村の未来を救うんだ。皆ずっと苦しんできた。お前が一番分かっているはずだ。諦めるな。」と言われたそうだ。「諦めるな」という言葉は今も彼の原動力となっている。知ることから世界は変わる。例えば教育が必要だと知る。一人一人が声をあげる。これが政治体制を揺り動かしその結果現地に学校が建設されるかもしれない。インターネットが普及している現代、一人の影響力は莫大なものにもなり得る。スマートフォン一つで世界中の人々と繋がることができる。私もJICAの合宿で派遣された方々と交流をしたり、未来会議や模擬国会で実際に政治家の方々に声を届けたりしている。このような学びを継続していく中で発信していくことが今私たちができることだ。

将来どのような形で私が「人を幸せにする人」になれるかわからない。しかしこの活動をこれからも全力で続け、先生が私に託してくれた思いを現実のものにしたい。

このエッセイが、たとえ小さくても、世界を幸せにする第一歩になりますように。