優秀賞

輝く未来の礎を築く

鳥取県立米子東高等学校2年 角來夏

 ある夜。見せたい番組がある、と私を呼び止める父。期末考査を翌週に控えていた私は、気のない返事をして自室に戻ろうとした。しかしその時、視線の隅に入ったテレビの中の光景は、そんな私を引き止めた。

荒涼とした岩だらけの大地が、ゆっくりとした描写で流れる。そこに佇む一人の日本人、中村哲医師。数人の現地の人を前に、彼は言った。「私と一緒にやりましょう。」この番組の名前は、「武器ではなく命の水を~医師中村哲とアフガニスタン。」パキスタンやアフガニスタンでの医療活動を行う国際NGO「ペシャワールの会」の代表である中村医師が、干ばつからの復興に協力する内容の番組だった。彼は、農業復活こそがアフガンの復興の礎だと考えていた。干ばつで苦しむ現地の人々の苦悩に満ちた生活や復興への思いを酌み、彼らと共に懸命に工事を行う中村医師の横顔は、何よりも強く暖かかった。そんな彼の見つめる先にある、やはり苦しい人々の生活の様子に、私は自らの経験を思い返していた。

私は生後3か月で、震度6強の鳥取県西部地震を経験した。激しい横揺れによって棚が倒れ、私は潰されかけたらしい。各地で地震が起こるたびにそれを聞いてきた私は、幼少期から自然災害に興味を持った。夏休みになると、私は地震や豪雨による洪水などの災害に遭った地を訪れ、その被害を調査してきた。中学生になると、被災者の方に当時の状況を訊ね、被災者が感じる恐怖や不安に対し第三者はどう対処すれば良いのかを、自分なりに考えた。いつかこの経験を役立てる、と私は心に誓っていた。そんな私を試す出来事が、起きた。起きてしまった。

昨年の秋、鳥取県中部で地震が起きた。震度6弱のその地震は、祖父母や従姉妹の住む地を突然襲った。翌日避難所に向かった私は息をのんだ。過去に伝え聞いてきた状況が、そこにはあった。余震に怯える人々を目の前にして足がすくんだ私に出来る事は、その手を握る事ぐらいだった。

そんな私は今、災害援助や紛争地で人道支援の現場に立つために、医学の道を目指している。まずは生まれ育った地、鳥取で、地域医療の経験を積み技術を磨く。固い決意を生んだのは、他でもない、過去の未熟な自分だ。

とはいえ、幼い頃から積み上げてきた知識や被災者の声は、既に大いに役立ち始めている。国土地理院の方と話す機会では、地域での災害や地理的な問題について提言し、理解を得る事が出来た。小学生に被災地の様子を聞かせて、何か出来る事はないかと考え込む彼らの姿に、大きな手応えを感じた事もある。無限に広がる可能性こそが原動力だ。

自らの思いに浸っていた私の意識は、テレビから聞こえてくるアフガンの風の音で現実に引き戻された。荒廃した大地が映し出された直後、切り換わった画面いっぱいに広がった光景に、私は目を見開いた。地平線の彼方までも覆う緑。清々しほどの青い空が、現地の人々の思いを象徴しているように見えた。一人の日本人とイスラムの人々が自らの手で蘇らせた一面の緑の中で、両手いっぱいの作物を抱え、シワだらけの顔を崩して笑う女性。輝く笑顔で水遊びをする子供。眩しいその光景は、思い出すたび私の心をときめかせる。

7月2日のNYタイムズに、「現代は憂鬱が蔓延しているのではなく、実は希望に満ち溢れている。悲観論を脇に置いて、日々良くなっている世の中を祝福しよう」とあった。以前の私には、紛争や災害ばかりの世の中の良い面なんて、目に入らなかっただろう。しかし、今は違う。誰もが祝福したくなるような世の中を、創る事だって出来ると思う。

今日のアフガンはきっと晴れ。眩しく輝く遠い地で夢を叶えるために。私の挑戦は、既に始まっている。

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