沖田喜樹さん(京都大学iPS細胞研究所の研究室にて)

京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の作製に世界で初めて成功してから11年。再生医療や新薬開発、病気の原因解明など多くの期待が寄せられている。2010年に設立された京都大学iPS細胞研究所では山中教授が所長を務め、最先端の研究が行われている。同所の未来生命科学開拓部門に所属する大学院生・沖田喜樹さんに、やりがいや心構えなどを聞いた。(文・写真 木和田志乃)

未知の現象の答え 追い求め

――何を研究していますか?

「細胞老化」について研究しています。老化というと、しわができる、足腰が弱くなる、病気にかかりやすくなるというイメージを持つ方が多いと思いますが、実は細胞一つ一つも加齢に伴って老化します。

体の細胞をiPS細胞に変化させると細胞が老化したときに起きる変化やさまざまな現象がリセットされることが知られています。DNAの遺伝子情報を改変する技術を用いて、細胞の老化の進行を遅らせたり、逆にさらに老化を進ませたりしてiPS細胞と比較し、細胞の老化のメカニズムを見つけ出そうとしています。

――これからの医療技術とどう関わるのですか?

体内に老化した細胞があると、正常な細胞も影響されて老化するといわれています。これからiPS細胞の研究が進んで再生医療が現実的になったとき、高齢化の進んだ日本では再生医療を高齢者が受けることが多くなると思います。すると、iPS細胞から作った組織を移植しても、老化した細胞が邪魔をしてうまく働かなくなるのではないかという懸念があります。私の研究が、老化した細胞の多いところでもiPS細胞から作った組織がうまく働く技術に応用できればいいなと考えています。

――この分野について研究しようと思ったきっかけは?

大学時代は薬学部に在籍し、新薬を開発することを目的とした研究室に所属していました。当時は肺の難病を対象としていましたが、iPS細胞を使うと病気の状態を再現でき、創薬の研究にメリットがあることと、以前からiPS細胞を使った再生医療に関心があったことから決めました。

予想外の結果も面白い

――研究する上で大切にしている心構えは?

焦らないことです。研究を始めたての学部生のころは、実験をよく失敗していました。「研究のペースはこれでいいのか」と不安に思うことも多く、指導教授に研究計画を報告すると「焦りすぎている。着実に進めていく方がいい」とよく言われました。今でもその言葉を思い返し、「焦っているな」と思ったら、一度冷静になって考えることを心掛けています。

――研究する上でつらいことややりがいは?

実験の条件に縛られることがあります。例えば、細胞にある薬剤を掛けたとき、一番効果が見られるタイミングが12時間後とすると、早朝か深夜に実験をすることになります。効果が表れるのが1週間、2週間先と長期にわたる実験もあり、時間的な融通が利きづらいのがつらいところです。ただ、そういうことも踏まえて予想通り、期待通りの結果、逆に予想とは反しているけれど何か面白いことが見えてきそうなデータが得られたときはうれしいですし、それがやりがいの一つになっています。

成果がうまく出ないときは、今あるデータから何が言えるか、もしくは過去に発表されている論文と自分のデータをつなげて何か見いだせないかを考えます。実験が嫌だと思っても始めてしまえば楽しくなります。もともと実験が好きなんですね。将来的にも研究を続けていきたいと思っています。

高校時代の将棋が役立つ

――高校時代の経験で、今に役立っていることは?

高校の部活動で将棋をしていました。将棋は自分が指した手に相手が返す、その流れの中で戦略を組み立てて、相手に応じてまた新しい戦略を立て、勝利のためのプランを組んでいきます。研究も、どういった研究をすれば課題に対する答えが出るか、その結果に対してどう考えるかなど、将棋と似たようなプロセスを踏みます。高校時代に将棋をしていて良かったと思っています。

――研究者になるために必要なことは?

研究とは、未知の現象に対して答えを追い求めていくことです。自然科学に限らず、どの分野でも言えることですが、自分で課題を設定して何が分かって何が分かっていないのか明確にした上で考えたり調べたりしていく姿勢が求められます。

それから、強いて言えば英語です。英語論文を読んで情報を得たり、外国人研究者と話したりする機会は多く、私は苦労しています。

一日のスケジュール

【9:00】
研究開始(メールチェックや実験の下準備など)
【9:30】
論文紹介(学部学生との研究グループで最新の論文をチェック)
【10:30】
実験
【12:00】
学食で昼食
【13:00】
実験
【16:00】
細胞培養
【17:00】
実験ノートまとめ、データ解析、論文チェックなど
【18:00】
研究終了
【おきた・よしき】
1993年生まれ。京都大学大学院医学研究科医科学専攻修士課程2年。京都大学iPS細胞研究所の升井研究室(升井伸治講師)に所属。長野・飯田高校出身。慶應義塾大学薬学部薬科学科卒業。

 

【京都大学iPS細胞研究所】2010年に設立。「iPS細胞の臨床応用」を使命とし、30年までの目標に、再生医療の普及や難病の創薬などを掲げている。539人が所属(2017年3月時点)。16年度の執行予算は約81億円。

iPS研究11年の歩みは?

Q iPS細胞とは?

A 人間の血液や皮膚などの体細胞にごく少数の因子を導入して培養することで作製された、さまざまな組織や臓器の細胞に分化する多能性幹細胞のこと。山中教授が2006年に世界で初めて作製に成功した。

ヒトiPS細胞のコロニー(集合体)。横幅は実寸約0.5㍉(京都大学山中伸弥教授提供)

 

Q 誕生から11年。どのような点が進歩したか?

A iPS細胞誕生当時、細胞を初期化(他の種類の細胞に分化できるようになること)する因子には発がん性が高いものがあったが、別の因子を使うことで発がん性が低くなり、作製効率や多能性も高まった。また、導入した因子が細胞の染色体に取り込まれない、安全性の高い作製方法が開発された。

Q 期待されていることは?

A iPS細胞から作り出した細胞を移植して、病気やけがなどによって失った機能を回復させる再生医療や、病気の患者の細胞からiPS細胞を作って患部の細胞に分化させ、その状態や機能の変化を調べて病気の原因を解明する研究が期待されている。また、その細胞を利用した薬剤の有効性や副作用を調べることによる、新薬の開発が進んでいる。

Q 臨床への応用は?

A 14年、理化学研究所が臨床研究として患者自身の細胞から作ったiPS細胞で網膜細胞を作製し、移植する世界初の手術を実施。京都大は、手足の震えや運動能力低下を引き起こす難病のパーキンソン病患者に、健康な他人の細胞から作った神経細胞を移植する治験申請を18年度にも行う見込み。

Q 今後の課題は?

A iPS細胞から分化させた細胞の安全性が課題だ。目的の細胞に分化しきれていない細胞が残っていると奇形腫をつくる場合がある。現在も目的の細胞に確実に分化させる方法や未分化の細胞を取り除く方法を開発中だ。

iPS細胞ストックを貯蔵するタンク(京都大学iPS細胞研究所提供)