9月、生徒のポスター発表を聞く梶田隆章教授(左端)(写真提供・川越高校)

ノーベル物理学賞に決まった梶田隆章東京大学教授は、母校である埼玉の県立川越高校に指導のため年2回ほど来校する。研究発表会で直接、講評を受けた生徒たちは、研究に対する真っすぐな姿勢を感じたという。
(山口佳子)

同校は、文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)として科学技術に関する独自の授業などに取り組んでいる。梶田先生は、2013年から同校のSSH運営指導委員を務めている。

英語を褒められ自信に

太田佳佑(けいすけ)君(2年)は、今年2月のSSH生徒研究発表会で、英語でプレゼンテーションをした。発表を聞いた梶田先生は「私が初めて英語でプレゼンテーションをしたのは20代でした」と話し、太田君をたたえた。

 太田君にとって、当時の梶田先生は「東大の研究所にいる、ちょっと偉い先生」。太田君はハワイ島での調査の経験があり、ロボット競技の世界大会出場も決まっていた。「偉い先生が学んできた環境よりも、今の自分は恵まれていると実感し、ますます研究を頑張りたいと思いました」と振り返る。

質問に答えられず奮起

梶田先生は9月にも来校し、1年生8人から夏休みのハワイ島実習の研究発表を聞いた。

 天体観測に使う、自作の分光器を説明した照井孝之介君(1年)は「Hベータ線の波長は、どれくらいですか」という梶田先生からの質問に答えられず、しどろもどろになった。梶田先生は終始穏やかだったが、研究に対する厳しさを感じた。

 「Hベータ線の波長は、分光器の設計で基本になるだけでなく、観測後のデータ分析でもとても重要な数値。基礎的な数値を頭に入れておかなくてはいけない、と痛感しました」(照井君)

 照井君はその時感じた恥ずかしさをばねに、専門書や教科書を読み直すなど、メンバーと基礎的な内容を必死に勉強し直したという。今もハワイ島実習に関する研究・分析は続いており「梶田先生が来年2月に来校するときに、成果が伝わる発表をしたい」と、メンバー全員で意気込む。

「ずばぬけてはなかった」

同校の新津(にいつ)雅之先生(化学)は、梶田先生の高校時代の同級生。当時、弓道部で梶田先生と切磋琢磨(せっさたくま)した新津先生は「高校時代は、ずばぬけて成績がいい存在ではなかった。大学・大学院で相当頑張ったのだと思う」と受賞をたたえた。